泥流となった灰は、まずトウガリを、次に灰鼠と河童を、最後にオリバンとセシル、オーダと吹雪をさらいました。
一度流されてしまえば、止まることも立ち上がることもできません。水が地下からどんどん噴き出してくるので、速度を増しながら押し流されていきます。
「止まれ、水っこ! 止まれで!」
河童が必死で言い続けますが、水柱は消えません。
セイロスはその光景に、ふんと笑いました。河童が出した水柱をわざと利用して、自分の力を見せつけているのです。一度姿を消してから泥流の上に現れると、流れてくるオリバンへ手を伸ばします。
「さあ来い、皇太子。貴様の命と引き替えに、ロムド王の息の根を止めてやる」
オリバンはなんとか止まろうともがきましたが、灰の泥流には逆らえませんでした。待ち構えるセイロスへ近づいていきます。
「オリバン!」
「殿下!!」
セシルたちが叫びますが、やはり抵抗できずに押し流されてしまいます――。
すると、どこからか少年の声がしました。
「レオコーヨズーミ!」
とたんに、地面の何カ所もから噴き出していた水柱が石のように固まってしまいました。空から降る水しぶきも固まり、ばらばらと小石のような音を立てて落ちていきます。それは氷のかけらでした。噴き出す水が一瞬で完全に凍りついてしまったのです。
いえ、凍ったのは水柱だけではありませんでした。地面を流れる灰の泥流も凍りつき、動かなくなります。
オリバンたちは石灰で固められたように、その場所から動けなくなりました。全身にまとわりついた泥も、ぴしぴしと音を立てて白く凍っていきます――。
「ちょっと、まずいんじゃないのかい、これ? オリバンたちまで凍ってるよ」
と少女の声が言うと、別の少年の声が答えました。
「しかたないんだ。水が雨のように降ってると、ポチたちが飛べないからな。少しの間なら大丈夫だよ」
それはオリバンたちがよく知る声でした。全員がいっせいに叫びます。
「フルート!!!」
「フルートだと!?」
とセイロスも顔色を変えましたが、白く凍りついた泥流の上にも、それを取り囲む森の上にも、フルートたちの姿は見当たりません。
ところが、すぐそばの空から、ばさりと羽ばたくような音がしました。
「そこか!」
とセイロスが魔弾を撃ち出すと、空中に色とりどりの大きな鳥が現れました。花鳥です。次の瞬間、鳥の背中からフルートとゼンを乗せたポチと、レオンを乗せたビーラーが飛びたちます。
花鳥の背にはメールとペルラ、それにポポロとルルも乗っていました。ポポロは片腕にルルを抱き、もう一方の手に薄絹の肩掛けを握っています。
ペルラが驚いたようにポポロに話しかけていました。
「それ、本当に姿が見えなくなっちゃうのね。セイロスさえ、あたしたちが近づいてるのに気がつかないなんて」
「これはヒムカシの国でオシラからもらった魔法の道具なの……。でも、気配が消えていたのは、フルートの金の石のおかげよ。セイロスは聖なる守護を受けてるものは感知できないから」
とポポロが答えます。
西へと駆けつけていた勇者の一行は、闇の森の中でオリバンたちが危機に陥っているのを見て、姿隠しの薄絹でこっそり近づき、泥流の元になっている水を凍らせたのでした。冷凍魔法の呪文を唱えたのはレオンです。
そして、花鳥の上にはもうひとり、彼らの仲間が乗っていました。赤い髪と白っぽい灰色の長衣をなびかせた銀鼠です。花鳥の上から身を乗り出し、地上で動けなくなっている灰鼠たちをどなります。
「何をぼんやりしてるのよ、馬鹿ね! 早く殿下たちをお助けしなさい! 風邪でもおひかせしたらどうするの!?」
「姉さん、どうしてここに!?」
「隊長はどうしただ!?」
と灰鼠や河童は驚いて聞き返しました。銀鼠は具合の悪い赤の魔法使いに付き添って、峠の砦の近くに残ったはずだったのです。
「隊長なら、ロムド城の危機を知って、とっくに飛んで行かれたわよ! あたしは空飛ぶ絨毯で後を追いかけていたんだけど、その途中で勇者殿たちに会って、一緒に乗ってきたの! なにしろ、絨毯がこれだものね!」
先の戦闘でぼろぼろになった絨毯は、今は丸められて、花鳥の背中に載せてありました。銀鼠はロムドへ行くために一番近いルートを通っていて、途中でフルートたちに拾われたのです。
「これで全員が勢揃いか? いい感じになってきたな!」
とオーダは笑い、灰鼠に言いました。
「おい、早いとこ、これを何とかしてくれよ。こんなところでずっと氷詰めにされてたら、尻がしもやけになっちまう」
「いやだ、下品ね」
と銀鼠が空で顔をしかめます。
灰鼠は凍った泥の中から苦労して杖を引き抜くと、頭上に掲げて言いました。
「アーラーン、我々をここから開放してくれ」
すると、それに合わせて銀鼠も自分の杖を掲げました。ごうっと、これまでとは桁違いに大きな炎が湧き上がると、火狐の形になって、地上の人々の間を駆け抜けていきました。オリバン、セシル、灰鼠、河童、オーダ、吹雪、トウガリ――全員が凍った灰の中から抜け出します。
一方、フルートとゼンを乗せたポチと、レオンを乗せたビーラーは、うなりを上げながらセイロスに突進していました。
セイロスから大量の魔弾が飛びますが、金の石とレオンの魔法がすべて砕いてしまいます。
迫ってきたフルートたちに、セイロスが言いました。
「ここでもう一度決戦か! おまえたちはよくよく死にたいとみえる!」
ポチとビーラーはセイロスの両脇をすり抜けて背後に回りました。Uターンをしてまたセイロスに向かいながら、ゼンが言います。
「よく言うぜ! 性懲りもねえのはてめぇだろうが! さっき負けたんだから、とっとと退散したらどうなんだ!?」
「私が貴様たちに敗北したと言うのか? ありえん! 貴様たちこそ、海の王たちがいない状況で私に勝つつもりでいるのか!?」
「もちろん、そうさ」
と答えたのは、ゼンではなくフルートでした。隠すように握っていた剣を構えると、隣へ呼びかけます。
「頼む、レオン!」
「ヨビノーヨバイヤー!」
レオンが呪文を唱えると、銀の星が散ってフルートの剣にまとわりつき、その刃が、ぐぐんと伸び始めました。とたんに剣が重くなって刃が下がったので、ゼンが一緒に握って支えます。横真一文字に構えられた剣が、銀色にきらめきながら空中へ伸びていきます。
セイロスは冷笑しました。
「それは炎の剣ではないな。私を相手に手加減か。相変わらず優しすぎるぞ、フルート」
「それはどうかな?」
とフルートが答えました。ゼンと一緒に剣を構えながら、セイロスの横を飛び抜けていきます。
「くだらん」
とセイロスは言いました。闇の障壁を張って剣を弾き返そうとします。
ところが、銀の刃は障壁を切り裂きました。さらに鎧の上からセイロスの左腕に切りつけます。
リーン……
涼やかな音と共に障壁が霧散して消え、セイロスの腕には深い傷が刻まれます。
凍りついた地面に立っていたオリバンが、それを聞きつけて顔を上げました。
「今の音――まさか私の聖なる剣か!?」
その横へ花鳥が舞い降りてきて、メールが言いました。
「そうだよ。こっちに向かって飛んできたら、途中に落ちていたのをポポロが見つけてさ。それでオリバンたちが危ないってわかったんだ」
聖なる剣は闇のものに絶大な効果があります。鎧ごと腕を切られたセイロスは、叫び声を上げて傷を押さえました。そこから噴き出してきたのは血ではなく、黒い霧でした。魔法で止めようとしますが、すぐには止まりません。
フルートはまたポチと共にUターンして言いました。
「効いただろう、セイロス。なにしろレオンに光の魔法をたっぷり込めてもらったからな。次はこれでとどめだ」
と首から金のペンダントを外して握ります。
その傍らに精霊の少年が姿を現しました。フルートをはさんだ反対側には赤いドレスの女性も現れます。
「先ほどから少し時間がたった。もう一度くらいならば守護のに力を送っても大丈夫だろう」
と願い石の精霊がフルートの肩をつかんだので、セイロスは顔を引きつらせました。もう一度障壁を張ろうとしますが、ゼンがフルートに代わって聖なる剣を構えているのを見て、たじろぎます。障壁を張ってもゼンに切り裂かれると察したのです。
むき出しの状態で金の石を使われれば、聖なる光をまともに食らうことになります。しかも、願い石の力を防ぐ鎧は、左腕の部分でほころびてしまっているのです――。
セイロスは構えていた大剣を下ろしました。フルートに向かって言います。
「まだだ! 私の本当の戦場はここではない! 貴様たちが駆けつけてきたときには、すでに戦闘は終わって決着がついているぞ!」
「なに!?」
フルートとゼンは思わず聞き返しましたが、セイロスは空中から消えていきました。それっきり姿が見えなくなってしまいます。
ゼンは肩をすくめました。
「なんだ、あの野郎。思わせぶりなことを言って、結局逃げただけじゃねえか」
けれども、フルートは首を振りました。
「違う、セイロスはロムド城へ飛んだんだ! 早くぼくたちも行かないと!」
すると、地上からメールが大声で呼びかけてきました。
「フルート、早く早く! オリバンの目が大変なんだよ! 早く来とくれよ!」
えっ!? とフルートやゼンはまた驚くと、大急ぎでオリバンたちの元へ降りていきました――。