馬の後ろに四枚翼の竜の影が現れていました。白煙のようにたちこめる灰の中で前脚を振り上げます――。
「殿下!」
トウガリはとっさにオリバンを馬から突き落としました。次の瞬間、馬と一緒に竜に殴り飛ばされてしまいます。
トウガリと馬は血しぶきを散らして灰の中に倒れ込みました。白い煙が湧き上がって彼らを呑み込んでしまいます。
「オリバン!」
セシルは落馬したオリバンに駆け寄り、剣を振り上げました。四枚翼の竜の影が、またオリバンへ前脚を伸ばしてきたのです。
ところが、手応えと共にセシルの剣は跳ね飛ばされてしまいました。これも灰の煙の中に見えなくなってしまいます。
「化けものめ! とっととあっちに行け!」
とオーダは風の魔剣を振りました。ごぅっと突風が湧き起こり、四枚翼の竜の影に吹きつけます。
すると、その後からセイロスが人間の姿で現れました。手には黒い大剣を握っています。
「私は化けものなどではない。この世界の王だ」
とセイロスは冷ややかに言って剣を振り下ろしました。目の前にいるセシルを真っ二つにしようとします。
ところが、その剣を別の大剣が受け止めました。オリバンが気配を頼りに剣を使ったのです。
「逃げろ、セシル!」
とオリバンはどなってから、セイロスへ言い返しました。
「おまえはこの世の王などではない! 王は家臣と領民から信頼されて、彼らを統治する者だ。家臣たちからも信頼されない王など、王とは呼ばん!」
二本の剣はぶつかり合ったまま、ぎりぎりときしむ音を立てていました。力でそれを押し切ろうとしながら、セイロスとオリバンが言い合います。
「私には絶大な力がある! この世がある限り、決して尽きることのない無限の力だ! 世界のあらゆるものも人も、私の前にはひれ伏し従うしかないのだ!」
「その力は世界を破壊する力だ! 自分の暮らしや命を破壊されるとわかっていながら、そんな奴に従うものはおらん!」
すると、セイロスはにやりと笑いました。
「いいや、従わせてみせよう」
とたんにオリバンは前のめりになりました。セイロスが急に剣を引いたのです。バランスを崩したオリバンは、セイロスの前に倒れてしまいます。
セイロスはオリバンへ手を伸ばしました。
「ロムド城の連中もフルートたちも、貴様を見殺しにすることはできない。私と一緒に来てもらおう。貴様は人質だ」
「そんなことはさせない!」
とセシルはセイロスへ飛びかかろうとし、オーダもまた剣を振りましたが、どちらも広がった障壁に跳ね返されてしまいました。杖を振ろうとしていた灰鼠の魔法使いも魔弾を食らい、黒い火花と共に倒れます。
再び煙のようにたちこめ始めた灰の中で、セイロスがオリバンを捕まえようとします――。
すると、セイロスとオリバンの間に、いきなり水柱が湧き起こりました。
川も泉もなかった場所ですが、地面から突然水が勢いよく噴き出してきたのです。頭上高い場所まで吹き上がると、四方八方に広がって雨のように降ってきます。
不意の出来事に、セイロスは大きく飛びのきました。その拍子に黒い障壁が消えたので、セシルとオーダがオリバンへ駆け寄ります。
水しぶきはたれこめていた灰の煙に降りかかり、たちまち落ち着かせていきました。けむって見えなくなっていた周囲の様子が、また見渡せるようになります。
少し離れた場所で、トウガリがよろめきながら立ち上がっていました。馬は横腹を切り裂かれて瀕死でいますが、トウガリ自身はかすり傷でした。自分の剣を拾って駆けつけようとします。
魔弾を食らった灰鼠も無事でした。地面に座り込んだまま、傷ひとつ負っていない自分の体を眺めて驚いています。
すると、そんな灰鼠の尻を小さな足が蹴飛ばしました。
「こら、何をぼさっとしてるだ! 殿下をしっかりお守りしねっがダメでねえが!」
灰鼠は振り向き、青緑色の長衣を着た子どものような人物に言いました。
「遅かったじゃないか、河童! 間に合わないかと思ったぞ!」
そこにいたのは、彼らと一緒にロムドに向かったはずの河童だったのです。
「しょうがねぇべした! おらぁ殿下の目を治す霊験(れいげん)の水を探しさ行ってだんだがら……! 戻ってみたら、みんながセイロスと戦ってっがら、びっくり仰天しただぞ!」
「いきなり現れたんだよ。殿下を人質にしようとしてるんだ」
と灰鼠は言って跳ね起きました。河童はこう見えても光の魔法使いです。灰鼠へ飛んできた魔弾を防いでくれたのは、河童だったのです。
セシルは河童に尋ねました。
「オリバンの目を治す水は見つかったのか!?」
「見つかったんなら、早く使ってくれ! どえらくやばい状況なんだからな!」
とオーダもどなります。水柱はセイロスと彼らの間をさえぎるように勢いよく噴き出していましたが、セイロスを撃退する力があるわけではなかったのです。
河童はたちまちすまなそうな顔になりました。
「それが、見つかんねがっただよ。地面の深いとこで水の精霊さ逢って訊いだげんぢょ、ここは闇に染まってた場所の地下だがら、聖なる魔力の水はねえんだって言われてよ……」
河童は水の魔法が得意な魔法使いです。故郷のヒムカシの国に、洗えば目が見えるようになる霊験の水というものがあったのを思い出して、それを探しに地下の水脈へ出かけていたのでした。
そのやりとりを聞いていたセイロスは、冷ややかに笑いました。
「そうか。皇太子は目が見えなくなっていたのだな。だが、ロムドの魔法使いどもがいくら現れたところで何ができる。私を止められるとでも思っているのか? では、やってみるがいい――!」
セイロスが手を振ったとたん、地中から噴き出す水の柱がいっそう高く大きくなりました。しかも、灰になって崩れた森のあちこちから同じような水柱が噴き出し、一帯に土砂降りの雨のようなしぶきをまき散らし始めます。
灰鼠は驚いて河童に尋ねました。
「どうしてこんなに水を出すんだよ!? 戦いにくいじゃないか!」
「おらのしわざじゃねえ! セイロスがやってるだよ!」
と河童は答えました。河童はいくら水に濡れても平気ですが、セイロスの意図がわからなくてとまどっています。
その間にも水は噴き出し、地面に積もった白い灰に吸い込まれていきました。わずかに残っていた白い木々も、水しぶきに打たれて崩れ、完全な灰になってしまいます。それでも水は噴き出し続けます。
すると、トウガリが急に声をあげました。
「なんだ、これは!?」
トウガリはオリバンの元へ駆けつける途中でしたが、地面に降り積もった灰が水を吸って、白い泥のようになってきたのです。走ろうとしても足が滑り、ぬかるみにはまってしまいます。
「うぉっ!?」
「うわっ!」
オーダやセシルもちょっと動いただけで足が滑って、灰の泥の中に倒れてしまいました。セシルに支えられて立っていたオリバンも泥の中に膝をつきます。
がぉぅ、と情けない声を出したのは吹雪でした。四本足のライオンも、やっぱりぬかるみで滑って歩けなくなっていました。
「おい、何とかしてくれよ、河童!」
と灰鼠が叫びました。立とうとしても、すがるものが何もない場所なので、立ち上がることができません。
河童だけは泥の中でもいつも通りに立って、周囲を見回していました。
「水っこ、水っこ、もういいだ! もう止まっでくんちぇ!」
と呼びかけますが、地下から噴き出す水は止まりません。やがて、泥沼のようになった灰の表面に、無数のしわが寄り始めます。
河童は飛び上がりました。
「んまぐねぇ! ほだごどさっぢゃらおらだぢゃ……!!」
焦っているので訛(なまり)が普段よりきつくなって、仲間たちには河童の言っていることか理解できません。
すると、どこからか、ずずず、と地響きが聞こえてきました。灰の泥沼にいっそうしわが寄ります。
とたんにトウガリが叫び声を上げました。
充分に水分を含んだ灰が、泥水のように高い場所から低い場所へ流れ出したのです。さえぎるものが何もない場所を、地響きをたてながら移動し始めます。
泥流となった灰は、身動きが取れなくなった一行に襲いかかっていきました――。