闇の森の中で、オリバンとセシル、灰鼠の魔法使いとオーダは馬車から離れるように逃げました。
その馬車は飛竜の脚の下でこっぱ微塵になっています。ランジュールと合体した飛竜が馬車の上に着陸して踏み潰したのです。馬車を引いていた馬は、引き具が壊れたので森の中へ逃げていってしまいます。
オリバンは先になって馬車を飛び出したのですが、その後はセシルに手を引かれて走っていました。オーダがその背中を守り、灰鼠は振り向いて飛竜へ炎を撃ち出します。
「おっとっとぉ」
飛竜になったランジュールは飛びのき、炎は馬車に激突しました。粉々になった馬車が火を噴いて燃え出します。
飛竜は背中に大きな二枚の翼がありますが、かわりに前脚がありません。ランジュールは腕を振るように翼を動かして笑いました。
「いくらグルのお兄さんが炎を撃ち出したって無駄無駄ぁ。ボクは空を飛べるからねぇ。ほぉら、炎なんかひとっ飛びで、愛しの皇太子くんのところへ」
巨大な飛竜の体がふわりと浮き上がり、炎や灰鼠たちの頭上を越えて、逃げていくオリバンの前へ着地しました。
「オリバン!」
セシルはとっさに引き留めようとしましたが、オリバンは逆に彼女を突き放しました。左手で大剣を引き抜き、目の前へ切りつけます。
ちょうどそこにへ襲いかかっていたランジュールは、鼻先を切りつけられて飛びのきました。飛竜の顔に傷を負って、あいたっ! と悲鳴を上げます。
「ど、どうしてわかったんだ?」
目が見えないはずのオリバンが正確に敵を撃退したので、オーダは驚きました。
セシルが跳ね起きながら答えます。
「オリバンは幼い頃から命を狙われ続けてきた。敵の気配には敏感なんだ。だが――」
怒った飛竜がまた襲いかかってきました。首を大きく振って、オリバンを横からなぎ払います。
オリバンは吹き飛んで、地面にたたきつけられました。その拍子に剣を手放してしまいます。
「オリバン!」
とセシルは駆け出しました。
オーダはそれを守って飛竜へ剣を振ります。
「そぉら、激烈大烈風剣!」
とたんに剣から猛烈な風がわき起こって飛竜に吹きつけました。いかにも強そうな技名ですが、実際のところはオーダが適当に言っているだけです。
飛竜になったランジュールは、空に舞い上がって風をやり過ごすと、また着地して言いました。
「キミ、どこかで見た気がするなぁって思ってたら、前にもエスタ国で戦ったコトがあったねぇ。風の魔剣を持ったおじさんだ。やっと思い出したぁ」
「おじさんじゃない、お兄さんだ! どこの世界にこんなに若々しくて二枚目なおじさんがいる!? 幽霊ってのはまったく目が悪いな!」
とオーダが言い返すと、うふん、とランジュールは笑いました。
「相変わらず、おじさんは頑固だなぁ。自分の歳を認められないんだから、それこそ歳をとってる証拠だよねぇ」
「なんだと!? 俺のどこが歳をとってるっていうんだ!? まだ四十前で年寄り呼ばわりされてたまるか!」
オーダがまた風を起こそうと剣を振り上げると、灰鼠の声がしました。
「危ないぞ、オーダ!」
とたんに飛竜の長い尾が地面の上を飛んできました。飛竜の頭に注目していたオーダの脚をなぎ払い、地面に倒してしまいます。
「アーラーン!」
灰鼠がオーダを守ろうと炎を撃ち出すと、飛竜は翼を大きく動かしました。羽ばたきが風を起こし、飛んできた炎を押し返します。
「うぁっちっち!」
炎の直撃を食らいかけたオーダは、悲鳴を上げて転げました。火が燃え移ったマントの裾をあわててたたいて火を消します。
ランジュールはくすくす笑いました。
「ほぉんと、キミたちってお馬鹿さんだなぁ。ここは森の中だよぉ。今度炎を使ったら森へ跳ね返してあげるから。そしたら森が火事になるよぉ。キミたちみんな丸焼けになりたい? それもいいけどさぁ。うふふふ」
それを聞いて、灰鼠は次の攻撃にためらってしまいました。ランジュールと合体した飛竜を攻めあぐねます。
一方オリバンはセシルに担ぎ起こされながら武器を探していました。
「剣……私の剣はどこだ……!?」
「その状態では無理だ、オリバン!」
とセシルが言っているところへ飛竜がまた襲ってきました。オリバンもセシルも攻撃をかわすことができません。
すると、そこへ管狐が割って入りました。二人をかばいながら飛竜の胸元にかみつきます。
「あいたぁ!」
とランジュールはまた悲鳴を上げました。どうやら飛竜と合体していると、幽霊の彼も傷の痛みを感じてしまうようです。
「嫌になっちゃうなぁ、もぉ! そんなおいたをするコンコンちゃんたちにはお仕置きしちゃうから!」
飛竜は長い首をねじると、自分にかみついている管狐の背中へがっぷりと食いつきました。そのまま首を振って引きちぎってしまいます。
ケーン!
管狐は悲鳴を上げると、たちまち五匹の小狐に変わりました。四方に飛び散ると、森の木を蹴ってあたりを飛び回り、また一カ所へ集まろうとします。
「おっとぉ、そぉはさせないよぉ!」
飛竜は太い尻尾を振りました。せっかく集まっていた小狐たちをたたいて、また散り散りにしてしまいます。
そのうちの一匹が尻尾の直撃を食らって怪我をしました。森の木を足がかりに飛び回ろうとして、失敗して根元に落ちてしまいます。
セシルはとっさに言いました。
「戻れ、管狐!」
次の瞬間、木の根元を飛竜の尻尾が直撃しました。小狐はセシルの腰の筒に戻ったので無事でしたが、彼らを守っていた大狐がいなくなってしまいます――。
「やばい状況だぞ、こりゃぁ」
とオーダは起き上がりながら言いました。マントの火は消しましたが、顔や手には火傷を負ってしまっています。
灰鼠はオリバンとセシルに駆け寄って守っていました。炎の代わりに光の魔法を撃ち出しますが、飛竜に軽くかわされてしまいます。
くすくすとランジュールがまた笑いました。
「グルのお兄さんったら、火の魔法は得意でも、それ以外の魔法はあんまりうまくないんだねぇ。お姉さんがいないからかなぁ? これならボクたちの楽勝だなぁ」
そんなふうに言われて灰鼠がまたたじろぎます。
オーダは頭を振りました。
「俺の長年の傭兵経験から言うとだな、こんなやばい戦からはとっとと手を引いて、命大事と逃げ出すのがいいに決まってるんだ。ところが連中はロムドの王族だし、なんと言ってもフルートたちの友だちだ。ここで見捨てて逃げたら、後であいつらになんと言われるかわからんよなぁ。うぅむ、どうしたもんか」
ぶつぶつひとりごとを言って悩むオーダに、吹雪が足元からほえました。叱るような声です。
オーダは肩をすくめました。
「おまえまで行けって言うのか? しょうがない、わかったよ。負けそうな戦いだが、やれるだけやってみよう」
飛竜は灰鼠の張った障壁を尾で砕いて、オリバンやセシルにかみつこうとしていました。絶体絶命の状況です。
オーダは走りながら剣を構え、勢いよく振りました。
「そらいけ、飛竜吹き飛ばし剣!」
並んで走っていた吹雪が、なんだその技名は、と言うようにオーダを見ます。
飛竜は突風を食らってよろめきました。森の中に倒れ込んで木々をへし折ります。
その間にセシルはオリバンの手を引いて走り出しました。
「逃げるぞ、オリバン! こっちだ!」
ところが、いくらもいかないうちに、オリバンが倒れました。道の上に現れていた木の根につまずいたのです。転んだ拍子にセシルと手が離れてしまいます。
「オリバン!」
セシルは助け起こそうとして、とたんにまたオリバンに突き飛ばされました。次の瞬間、セシルがいた場所に飛竜が食いついてきます。森にひっくり返った格好のまま、長い首を伸ばして襲ってきたのです。
セシルは無事でしたが、飛竜に間をさえぎられてオリバンに駆け寄れなくなりました。飛竜がぐりんと首を回し、鼻先のランジュールの顔がオリバンを見つめます。
「やぁっとそばに来れたねぇ、皇太子くん。会いたかったなぁ、うふふ。今、おいしく食べてあげるからね。一口で呑み込んじゃうのはもったいないから、まず頭を食べてぇ、それから上半身を食べて、それから下半身……いや、その逆がいいかなぁ。最後までキミの苦しそうな顔を眺めるのも楽しいもんねぇ。ふふふふっ」
楽しそうな声で残酷なことを言っていますが、オリバンは答えませんでした。ただ武器を求めて地面の上を手探りします。オリバンは自分の剣を二本とも手放してしまっていました。手に触れるところに、武器になりそうなものはありません。
その様子を見て、ランジュールはいぶかしそうな顔になりました。
「何やってるのさぁ、皇太子くん? まるで目が見えない人みたいなコトをしてぇ――って――えぇ? ホントにそぉなの!? 皇太子くん、キミ、目が見えなくなってるのぉ!?」
唐突にその事実に気づいたランジュールは、すっとんきょうな声をあげました。それでもオリバンが必死に剣を探すのを眺めて、にんまり笑います。
「どぉりで、みんなが一生懸命キミを守るはずだよねぇ。皇太子のキミが目が見えないなんてさぁ。いつからそんなコトになってたのぉ? めーないちゃんも目が見えないし、気が合うよねぇ。ま、もちろん、ボクたちのほうが断然有利なんだけどね、うふふ」
「管狐、頼む!」
とセシルは必死で叫びました。大狐が再び現れて飛竜に飛びかかりますが、長い尾にたたかれてまたばらばらになってしまいました。小狐たちは全員が負傷して筒に戻って行きました。それきり、もう現れなくなります。
「やばいったらやばいぞ! 絶対とんずらしたほうがいい状況なんだぞ!」
オーダはまだ文句を言いながら、風の剣を振りました。飛竜をもう一度吹き倒そうとしますが、それより早く竜は空に舞い上がってしまいました。
「無駄だよぉ。キミたちの攻撃はワンパターンだから、もう見切っちゃったもんねぇ。はぁい、お返しぃ」
飛竜がばさりと羽ばたくと、強風がオーダに吹きつけてきました。森の木の葉が舞い上がってオーダの視界をさえぎります。
思わずたじろいだオーダの前に白いライオンの吹雪が飛び出しました。飛竜が襲ってきたら主人を守ろうと身構えます。
ところが、飛竜はずしんと地響きを立てて着地しました。道の上に四つん這いになったオリバンのすぐそばです。頭の先でランジュールが話し続けます。
「雑魚(ざこ)にかまって肝心の皇太子くんを逃がしたら元も子もないもんねぇ。この際、初志貫徹。さっさと皇太子くんを食い殺そぉっと」
相変わらずオリバンは武器を見つけられずにいました。セシルも灰鼠もオーダも、助けに駆けつけるには距離があって間に合いません。
絶体絶命のオリバンの頭上で、飛竜が大口を開けます。
とたんにオリバンが叫びました。
「灰鼠、私に剣をよこせ!」
魔法使いの青年は意味がわからなくて一瞬混乱しかけましたが、オリバンが手を突き出したのを見て命令を理解しました。杖を振って言います。
「アーラーン、殿下に剣を!」
すると、地面に落ちていたオリバンの大剣がオリバンの手の中へ飛んで行きました。先ほどまで戦っていたので、鞘を払った抜き身の剣です。
オリバンは剣を両手で握ると、片膝立ちになって思いきり頭上へ突き出しました。
とたんに手応えが返ってきて、飛竜の悲鳴が響きます。
オリバンの剣は飛竜の口の上あごを見事貫いたのでした――。