「ねぇ、ねぇ、ねぇったらさぁぁ……いるんだろぉ? その中にボクの愛しの皇太子くんがさぁ。せぇっかくボクがこうして来てるんだから、出てきて挨拶してくれたっていいじゃないかぁ」
そんなふうに空中から呼びかけているのは、幽霊のランジュールでした。透き通った腰に両手を当てて、道に停まった馬車を見下ろしています。
馬車は杖を持った灰鼠色の長衣の青年と黒い鎧の戦士に守られていました。戦士の足元には白いライオンが、馬車の後ろには巨大な灰色狐がいます。
そこはエスタ国とロムド国の間に広がる森の中でした。
以前は怪物が数え切れないほど棲みついていたので「闇の森」と呼ばれ、足を踏み入れれば生きては出られないと恐れられていた場所ですが、一年半ほど前から怪物は激減して、今はほとんど普通の森のようになっていました。
人が出入りするようになって、エスタ国からロムド国まで新しい道も拓かれています。
馬車はそんな道の真ん中で立ち往生していました。行く手をふさいでいるのは、見上げるように大きな飛竜です――。
ランジュールは空中から青年や戦士に話し続けていました。
「ボクはねぇ、空中でメイのお姫様の管狐を見つけたから、きっとお姫様が近くにいるんだろぉと思って、こっそり後をつけてきたんだよぉ。そしたら、管狐はその馬車に入っていった。ってことは、そこにお姫様がいるってことだしぃ、お姫様がいるってことは、きっと皇太子くんも一緒にいるってコトだよねぇ? ボクは皇太子くんを殺して魂を手に入れるためにこの世にいるんだよぉ。あ、もちろん、勇者くんも同じよぉに殺すつもりでいるけどね。そのために、こぉしてとっておきの怪物も出してるんだから、早く皇太子くんを外に出してよぉ。そこに隠れたままじゃ、殺してあげられないじゃないかぁ」
黒い鎧のオーダは剣を構えて馬車を守りながら、灰鼠の魔法使いに話しかけました。
「あいつはセイロスの手下の幽霊だな。以前、俺をおじさん呼ばわりした失礼な奴だ。この若くて男前な俺を捕まえておじさんとは無礼千万だ、と口論したことがある」
「あの幽霊はランジュールっていうんだよ。おじさんって呼び方については賛成しないわけじゃないけど、あいつは殿下とフルートの命をつけ狙っているんだ。とにかくしつこくて、全然あきらめようとしない、蛇みたいな奴さ」
と灰鼠は言って杖から炎を撃ち出しました。馬車に襲いかかろうとしていた飛竜が、たじろいで後ずさります。
ふぅん、とランジュールは言いました。
「キミのことは覚えてるよぉ、グルの魔法使いのお兄さん。お姉さんと二人で火の神のアーラーンを呼び出して戦ってたよねぇ? めちゃくちゃ面倒くさい相手だったけど、今日はお姉さんはどこぉ? 馬車の中で皇太子くんたちを守ってるのかなぁ?」
「ここに殿下は乗っていないと言っている! 殿下はロムド城だ!」
と灰鼠の魔法使いは答えました。実際にはオリバンは馬車の中にいるのですが、それを相手に知らせるわけにはいきませんでした。何故ならオリバンは――。
「もぉ。埒(らち)があかないなぁ。直接確かめさせてもらうからねぇ」
とランジュールが馬車に向かって降りてきました。幽霊の彼は、どんな壁もすり抜けて入り込むことができます。
灰鼠は魔法の障壁を張りました。ランジュールは障壁に額をぶつけて立ち止まると、怒って言いました。
「めーないちゃん、馬車を攻撃ぃ!」
飛竜は首を伸ばして馬車を襲おうとしましたが、管狐に食いつかれて首を引っ込めました。
ランジュールはきぃきぃと怒り続けます。
「まったくもぉ! どぉして馬車を見せないのさぁ! いるんだろぉ、皇太子くん!? 早く出てきなったらぁ――!」
馬車の中ではセシルがオリバンにしがみついていました。敵の出現に恐れているわけではありません。今にも外へ飛び出そうとするオリバンを、必死に抑えていたのです。
「だめだ、オリバン! 外に出ちゃいけない! 灰鼠たちが奴を追い払ってくれるから、ここにいてくれ!」
けれどもオリバンは彼女を吹き飛ばしそうな勢いでもがいていました。同時に手を伸ばして自分の剣を探します。彼の大剣と聖なる剣は、二本とも傍らの座席に置かれているのですが、なかなかそれを取り上げることができません。オリバンは峠の戦闘で負傷して、目が見えなくなっているのです。
それでも、オリバンは手探りで剣を探し続けました。
「目など見えなくても戦うことはできる! 放せ、セシル!」
ついにセシルは振り切られてしまいました。吹き飛ばされ、馬車の壁にぶつかって鎧兜がガシャンと音を立てます。
その音は馬車の外まで響きました。
ランジュールが聞きつけて言います。
「ほらぁ、やっぱり中に誰かいるぅ! 皇太子くんだよね? ぜぇったいにそうだよね? うふふ、嬉しいなぁ。セイロスくんを放っておいてここに残った甲斐があったよねぇ――。めーないちゃん、も一度馬車を攻撃ぃ!」
飛竜はまた長い首を振り上げました。通常の飛竜の数倍の大きさがあるので、頭も巨大です。それを振り下ろして馬車をたたき壊そうとします。
ところが、管狐がケーンと鳴いて飛びかかっていきました。背後から飛竜にのしかかり、前脚で首を踏みつけてしまいます。
すると、オーダの足元にいた吹雪も駆け出しました。管狐に抑え込まれた飛竜の頭へ走ると、蛇に似た鼻先にかみつきます。
きいぃぃぃ……!!!
飛竜は鋭く鳴き、ランジュールは飛び上がりました。
「なんてことするのさぁ! めーないちゃんはね、目が見えないんだよぉ! ボクが訓練した飛竜の中で一番大きかったんだけど、生まれつき目が見えなくて、暴れてばかりで兵隊さんを乗せられなかったから、ボクが引き取ったのさぁ。目が見えなくても匂いで敵がわかるよぉに訓練したのに、鼻にかみつくだなんてぇ! めーないちゃんがホントに見えなくなったらどぉするのさぁ!」
どうやら、めーないというのは「見えない」ということばから来た名前のようです。
飛竜は吹雪にかみつき、首をねじって管狐に食いつこうとしましたが、どちらにも素早く逃げられてしまいました。後を追いかけようとしますが、管狐と吹雪が正反対の方向へ逃げたので、どちらを追いかけるかで迷ってしまいます。
「チャンスだぞ、灰鼠!」
とオーダに言われて、灰鼠はナナカマドの杖を飛竜に向けました。
「アーラーン、敵の鼻面を焼き尽くせ!」
とたんに炎がほとばしって飛竜の顔面に激突しました。飛竜はまた悲鳴を上げて倒れ、すぐに跳ね起きました。逆上して周囲に食いつきますが、鋭い牙は空をかむばかりでした。鼻先を完全にやられて、敵の居場所がわからなくなったのです。
ランジュールはまた飛び上がると、飛竜へ駆けつけました。
「ひっどぉぃ! めーないちゃんの弱点を攻撃するなんて、どぉいぅことさぁ!? 飛竜虐待反対ぃ!」
「弱点を教えたのはおまえだろう、幽霊」
とオーダは言い返すと、灰鼠の腕をつかみました。
「今だ、逃げるぞ!」
と馬車に駆け寄り、御者席に飛び乗ろうとします。
ところが、そこへ馬車の扉が開き、中からオリバンが飛び出してきました。右手で剣を、左手でセシルの手を握っていて、オーダたちとぶつかりそうになります。
「で、殿下! 妃殿下!」
「おい、なんで出てきたんだよ!?」
灰鼠とオーダが焦っていると、オリバンは走りながらどなり返しました。
「馬車から離れろ! 殺気だ!」
「殺気――?」
灰鼠たちが驚いていると、そのすぐ後ろで地響きがして、馬車が一瞬で粉々になりました。馬車の上には大木のような脚が載っています。
灰鼠とオーダは振り向き、飛竜が馬車を踏み潰している光景を見ました。空に舞い上がった飛竜が馬車の上に飛び降りたのです。
長い首の先には、火傷を負った竜の鼻面の代わりにランジュールの顔がありました。仰天する人々を見て、にやにやと笑っています。
「めーないちゃんが見えないと困るからねぇ、こぉいうときはボクが目の代わりになってあげるんだよぉ。で、やっぱり皇太子くんたちは馬車にいたねぇ。うふふ、思った通り。さあ、今度はちゃんと見えてるから逃がさないよ。キミたちみんな綺麗な血だらけにして、めーないちゃんのご馳走にしてあげるからねぇ。うふ、うふふふふ」
ランジュールは飛竜の頭で楽しそうにまた笑うと、ずぃと彼らへせまってきました――。