風が強まるにつれて、海の波が大きくなっていました。いたるところで波頭がぶつかり、とどろきながら砕けて白波を立てます。
荒れ狂う海の上で、フルートはセイロスと剣を交えてにらみ合っていました。
「『あれ』をどうした!? 言え!」
とセイロスはしつこく尋ねてきますが、フルートは答えませんでした。セイロスがぐいぐい押してきても、ポチと一緒に後ずさって力を逃がし続けます。
すると、セイロスの目が赤く光りました。
とたんに、海面がざばぁっと音を立てて盛り上がり、中から白く鋭い山が現れます。
波間でシードッグにしがみついていた三つ子たちは驚きました。
「氷山だ!」
「なんでこんなところに氷山が――!?」
「セイロスが魔法で出したのよ!」
セイロスはフルートを氷山のほうへ押していきました。
ポチは、風の尾で氷山を動かそうとしましたが、相手が巨大すぎてびくともしませんでした。フルートと一緒に氷山の壁へ追い詰められてしまいます。
すると、セイロスの背後からデビルドラゴンが黒いものを吐き出しました。泥のように飛んできてフルートの胸元にへばりつきます。それは闇の塊でした。金の石をすっかりおおい隠して、光を出せないようにしてしまいます。
「金の石!」
フルートは焦りました。まだ剣でセイロスと切り結んでいるので、ペンダントを闇から引きはがすことができません。
そこへセイロスの背後から蛇のような触手が伸びてきました。剣を握るフルートの腕にするりと絡みつき、その内側へと入り込んでいきます――。
あたりがいきなり真っ暗になったので、フルートは息を呑みました。
セイロスと切り結んでいたはずの剣は、手の中からなくなっていました。押してくる剣を受け止め押し返す感触も消えています。
代わりに、目の前の闇の中にセイロスが立っていました。限りなく黒に近い紫水晶の鎧兜を身につけ、赤い瞳でじっとフルートを見ています。
セイロスも剣は持っていませんでした。フルートに伸びた触手も消えています。それどころか、背後で翼を広げていたデビルドラゴンも姿を消していたのです。ただ、その姿はひどく危ういもののように見えました。セイロスのはずなのに、陽炎(かげろう)のように揺らめくと四枚翼の竜が姿を現し、またセイロスに戻っていきます。
すると、セイロスが手を伸ばしてきました。黒い爪が伸びた指が迫ります。
フルートは飛びのこうとしましたが、体が動きませんでした。セイロスの手に腕をつかまれます。それは先ほど触手に絡みつかれたのと同じ場所でした。ぐい、とセイロスがフルートを引き寄せて言います。
「『あれ』をどうした、フルート? 言え」
絶対的な命令の響きを持つ声が、フルートの中に入り込んできます。
フルートは頭を激しく振りました。セイロスが求める答えを渡すまいと、歯を食いしばって抵抗します。
「言え!」
再びセイロスが命じました。
とたんに、フルートから金の鎧兜が消えました。普段着姿になったフルートの体の内側で、ざわっと何かが反応します。
人の体の半分は闇から作られています。その闇の部分がセイロスの命令に従い始めたのです。フルートは必死で抵抗しようとするのに、心の奥底の扉がこじ開けられていきます。
フルートはまた頭を振ると、セイロスをにらんで自分から口を開きました。
「おまえはもう『あれ』を手に入れることはできない! ぼくたちが消滅させたからな!」
「なに?」
心に侵入してくる見えない手が、ぴたりと止まりました。セイロスが貫くような目でフルートを見つめてきます。
フルートは精一杯の力でそれをにらみ返しました。侵入してくるセイロスを押し返し、心の底の扉を急いで閉じます。それだけで全身の力を使い果たしたような、とほうもない疲労感に襲われます。
すると、セイロスが笑い出しました。
「貴様が消滅させた? 貴様が『あれ』を消滅させた、だと!?」
いかにもおかしなことを聞いたというように、声を立てて大笑いをすると、またフルートを見つめて、にやりとします。
「貴様にそんなことができるはずはない、フルート。さては貴様たちは『あれ』を知らんな。パルバンに行く手を阻まれて、貴様たちもたどり着くことができなかったのだろう」
フルートは息を呑みました。セイロスの手がいきなり力を増してきたからです。防具が消えた腕をへし折れそうなほど強く握られて、思わず悲鳴を上げます。
「そうであれば、貴様たちにもう用はない。死ね、フルート」
セイロスの声が冷酷に響き、フルートをつかむ手が竜の前脚に変わりました。セイロスの体も黒い竜に変わっていきます。
デビルドラゴンは長い首を高々と持ち上げ、牙をむいてフルートに襲いかかってきました――。
ところがその瞬間、デビルドラゴンの頭がいきなり横へ吹き飛びました。
同時に竜の体から赤黒い血が噴き出します。
フルートはポポロの声を聞きました。
「フルート! フルート、フルート!!」
必死に彼を呼んでいます――。
フルートは我に返り、自分がポチに乗って海の上にいることに気がつきました。
背後には氷山があり、目の前にはセイロスがいます。
フルートはまた金の鎧兜を着て、剣を構えていました。セイロスも人の姿に戻って剣を握っています。デビルドラゴンはその背後で翼を広げていました。何故か悲鳴のような鳴き声をあげています。
すると、フルートの剣が急に軽くなり、セイロスがフルートの前から横へ吹き飛んでいきました。すぐそばでゼンの声がします。
「てめぇなんかにフルートに手出しさせるか! とっとと失せろ!」
振り向くと、そこには風の犬のビーラーがいて、拳を握ったゼンが身を乗り出していました。ゼンの後ろではレオンがあきれた顔をしています。
「セイロスの防壁を破って奴を殴り飛ばすだなんて。どれほど怪力なんだよ、君は」
一方、フルートの下ではポチが歓声を上げていました。
「やった、メール! 命中しましたよ!」
海上からはメールが海草の水蛇と一緒に飛び上がり、空のデビルドラゴンめがけて槍を放っていたのです。鋭い穂先は竜の体に突き刺さっていました。フルートが先ほど闇の世界で見たのとまったく同じように、体から赤黒い血をまき散らしています。
波間に浮かんだシィの上では、ポポロが泣きながらフルートを見上げ、腕に抱かれたルルが懸命に呼びかけていました。
「しっかりしなさいよ、フルート……! 奴に心を明け渡したりしちゃだめ。気持ちをしっかり持つのよ……!」
フルートは、ぶるっと頭を振って、やっと本当に正気に返りました。触手やセイロスにつかまれた右腕はまだずきずき痛んでいましたが、ルルが言う通り気持ちを強く持ち直すと、胸のペンダントに呼びかけます。
「金の石、光れ!!」
ペンダントはまだデビルドラゴンが吐いた闇におおわれたままでしたが、じきに闇にひびが走って隙間から光が漏れ出しました。闇は強固ですが、じりじりとひびが広がって光が強くなっていきます――。
と、いきなりそれが音を立てて砕け、黒い霧になって消えていきました。フルートの肩から体へ熱い力が流れ込んで、金の石が爆発的に光ったのです。周囲に金の光が広がり、フルートの腕から痛みが消えていきます。
「願い石」
とフルートは背後を振り向きました。赤い髪とドレスの女性を見て笑顔になりますが、女性のほうはにこりともせずに言いました。
「あれほどの闇を、守護のひとりに消滅させようとするな。守護のが力尽きたらどうするつもりだ」
「ぼくを非力な石よばわりするな!」
と精霊の少年も姿を現すと、精霊の女性に文句を言います。
セイロスは、金の石が輝くとデビルドラゴンと共に姿を消し、光が届かない空中にまた現れました。
ゼンに殴られた痕やメールの槍の傷は消えていましたが、近づこうとはせずに言います。
「烏合(うごう)の衆がどれほど集まろうと無駄なことだ! この世界は偉大な王者の統治を待ち望んでいるのだ!」
「へっ、その烏合の俺たちにびびって近づけねえでいるのは誰だよ!」
「そうさ! こっちは勢揃いなんだからね! いいかげん、勝負をつけようじゃないのさ!」
とゼンとメールが負けずに言い返します。
彼方の空にはデビルドラゴンを背負ったセイロス。
こちらにはフルートをはじめとする勇者の一行とレオンとビーラー、海王の三つ子とシードッグ、そして金の石と願い石の精霊。
闇の権化と光の戦士たちは、大海の真ん中で鋭くにらみ合いました――。