セイロスは空の上から王都ディーラの観察を続けていました。
都を守る障壁に彼が空けた穴は、もうふさがれて、今はまた白、青、深緑の三色の光の膜が、ディーラを半球ですっぽりと包み込んでいます。
「これだけの魔法は、私の時代でもめったに使われることがなかったな。複数の魔法使いが魔力を増強して張っているのか」
とセイロスは障壁について分析すると、その内側に送り込んだ飛竜部隊を眺めました。第二部隊と第三部隊の飛竜たちですが、昨日の峠での戦闘で数が減った第一部隊も編入したので、全部で五十頭ほどもいました。
それが今では半数ほどしか飛んでいないのを見て、セイロスはまた言いました。
「もうこれだけ撃墜されたか。思ったより抵抗が激しいな」
飛竜の背には同じ数だけのイシアード兵が乗っていました。飛竜が撃墜されたということは、イシアード兵も撃墜されたということなのですが、セイロスには兵を顧みる様子がありません。
そこへギーが馬で飛んできました。青ざめながら言います。
「まずいんじゃないのか、セイロス? 穴がふさがれたから、中に入った兵士たちが退却できなくなってるぞ。地上からはどんどん攻撃が飛んでくるし」
「あれは魔法の弾だ。空高く飛ぶ敵に合わせて作った武器のようだな。飛竜の鱗は矢を返せるが、魔法攻撃を防ぐことはできない」
とセイロスがいやに冷静に分析したので、ギーは思わず声をあげました。
「このままじゃ全滅するかもしれないって言ってるんだよ! 見殺しにしたら、他の兵士たちが騒ぎ出すぞ!」
兵たちに強力な飛竜を準備し、飛竜部隊にふさわしい武器防具を与えたのはセイロスですが、実際にイシアード兵と細かいやりとりをしてきたのは、副官のギーです。都の攻撃に向かった部隊が障壁の内側で次々撃墜されていく様子に、外にいたイシアード兵たちが恐怖し、味方を助けようとしないセイロスに怒り始めているのを、ギーは敏感に感じ取ったのでした。
ふん、とセイロスは鼻を鳴らしました。
「この時代は人も軟弱だな――」
「え? なんて言った、セイロス?」
つぶやきが聞き取れなくて、ギーが聞き返しますが、セイロスは答える代わりに、またディーラへ向かっていきました。
降下するにつれて、光の障壁ごしに都の様子がはっきり見えてきます。
飛竜部隊の兵士はそろそろ火袋を使い果たしていました。建物が密集している場所を狙って落としていったのですが、一瞬火の手があがっても、たちまち消えてしまったのです。
それは都のあちこちに配備された魔法軍団の活躍でした。火袋が落とされたと見るや、たちまちその場所に駆けつけ、魔法で消火していったのです。
火袋が尽きれば岩落としの攻撃に移るのが常套手段でしたが、これもまた難しい状況になっていました。
まず、整備された都の中には、竜が脚で持ち上げられるような手頃な岩がありません。岩の代わりに路地に放置された荷車や水瓶、貴族の庭の彫刻などを使おうとしたのですが、地上へ舞い降りると、今度は魔法攻撃が飛んできました。矢は跳ね返す飛竜も、魔法攻撃はまともに食らってしまいます。しびれて動けなくなったところへ、ロムド軍が駆けつけて飛竜を袋だたきにし、イシアード兵を捕虜にします。
下へ降りることができなくなった飛竜部隊は、都の上空を飛び回りながら、塔や高い建物の屋根から煉瓦や石をむしり取り、それを落とそうとしました。実際、教会の尖塔の石を落とされて、屋根に大穴が空いてしまった民家もあります。
ところが、煉瓦や石を取るために飛竜が建物に近づくと、それを狙って地上から高射魔砲の攻撃が飛んできました。建物にしがみつく飛竜は、攻撃の格好の的だったのです。
飛竜は魔砲に追い払われて、上空を飛び回るしかなくなっていました。そこも高射魔砲に狙われるので、一頭また一頭と撃ち落とされていきます。
セイロスは上空からその様子をつぶさに観察しました。魔法使いとロムド軍の兵士はよく活躍していますが、フルートたちの姿はやはり見当たりません。
彼は考え込みました。
「都の防戦態勢はよく整っている。我々の襲撃をかなり早い段階から予見していたということだな。あの占者のしわざか、千里眼の娘の力か、それとも、やはり奴がこちらの作戦を見破ったのか――。この状態ではわからんな」
その目の前でまた一頭の飛竜が攻撃を食らいました。竜はケーッと鶏のように鳴き、イシアード兵を乗せたまま墜落していきます。
セイロスは舌打ちしました。
「竜の扱いがなっていない。飛竜の能力は向上したが、乗り手の技術が追いついていないのだ。やはり、にわか仕立ての飛竜部隊だったか」
今や都の飛竜部隊は逃げ回るだけになっていました。火袋も完全に尽きて攻撃手段がなくなってしまったのです。それでも凶暴な飛竜を操って直接攻撃する方法はあったのですが、乗り手の兵士のほうが戦意をなくしつつありました。頭上で光の天井を作っている障壁を、絶望的に見上げています。
「臆病な人間どもめ!」
セイロスは怒りを込めてまたつぶやくと、障壁へ剣を振り上げました。今度は青く輝く光の膜へ切りつけようとします。
すると、守りの塔から白と深緑の光が飛んできました。セイロスがとっさに張った黒い障壁とぶつかって、激しい火花を散らします。
「くだらん!」
セイロスはどなると、改めて剣を振り上げました。自分が張った障壁ごと、白と深緑の魔法攻撃も、青く輝く都の障壁も切り裂いてしまいます。
ドン、ドドン、ドドド……ン!!!
雷のような音が立て続けに鳴り響き、ディーラの上空は飛び散る火花でいっぱいになりました。火花が収まると、青い障壁にぽっかり開いた大穴が現れます。
セイロスは都の飛竜部隊へ呼びかけました。
「全員上空へ待避しろ! のろまは見捨てるぞ!」
そのことばだけで、飛竜部隊の兵士はセイロスがしようとしていることを知りました。いよいよディーラへあの破壊魔法を使うのです。巻き込まれては大変、と我先に穴から逃げ出していきます――。
障壁の穴はすぐに狭まってふさがっていきましたが、セイロスはもうそこを見てはいませんでした。
大剣を鞘に収めると、中心に城がそびえる都を見下ろしながら言います。
「この都は反逆者どもの同盟の中心だ。ここを破壊されれば、くだらん同盟は散りぢりになり、反逆者どもは抵抗する力を失う。計画通りここを焼き払ってやろう。止められるものなら止めてみるがいい、フルート」
ざわり、と音がして、兜の下から流れる黒髪が伸び始めました。空飛ぶ馬にまたがるセイロスの後ろで、黒い扇のように広がります。
と、それが今度は寄り集まって四枚の翼に変わっていきました。天使のような鳥の羽ではなく、黒く大きなコウモリの翼です。さらに四枚の翼の中央が盛り上がって伸び続け、蛇のような鎌首に変わります。
キァァァ! と鋭い鳴き声を聞いたような気がして、飛竜部隊の兵士たちは、驚いてセイロスを見下ろしました。真っ黒な竜が、セイロスにおおいかぶさるように四枚の翼を広げているのを見て、またぎょっとします。
「セイロス……?」
とギーはあっけにとられていました。これまで、セイロスの髪が翼のように広がるのは幾度も目にしてきたのですが、こんな形に変わったのを見たのは初めてだったのです。
「この竜はどこから現れたんだ? セイロスが呼び出したのか? なんだかセイロスとつながっているようにも見えるが、まさかそんなわけは……」
と混乱しています。
セイロスの紫水晶の鎧兜は、今や闇を流し込んだような漆黒に変わっていました。血管のような赤い筋模様が、どくんどくんと本当に脈打ち始めています。
セイロスはおもむろに片手を上げました。そこに黒い霧のような闇の力が集まり、急速にふくれあがっていきます。大きな街を破壊し、何もかもを焼き尽くす黒い魔法です。
それをゆっくり頭上に掲げて、セイロスはまたつぶやきました。
「これで貴様が出てこなければ、貴様は都にはいないのだ。だが、貴様が出てきても、もうこの魔法を止めることはできん。貴様が何を企んでいたかは知らんが、これで貴様の拠点は消滅する。私の勝ちだ、フルート!」
セイロスは黒い魔法を掲げた腕を大きく振り下ろしました――。