「ゴレイ侯爵の領地が消滅いたしました」
占盤を見ながらそう告げたユギルの声は、この世とは別の遠い場所から響いてくるようでした。
ロムド王とリーンズ宰相は、ぎょっとして聞き返しました。
「消滅したとはどういう意味だ?」
「ユギル殿の占いから見えなくなった、という意味ですか?」
占者の青年は銀髪の頭を振りました。
「存在の消滅でございます……。人の象徴が消滅した場合には、それはその人の死を意味いたします。ゴレイ候の象徴も見当たらなくなっていることから察するに、セイロスの飛竜部隊の攻撃を受けて壊滅したものと存じます」
そこへ白の魔法使いが飛び込むように現れました。魔法軍団の長である彼女が、珍しく血相を変えています。
「たった今、部下たちが東部から戻ってまいりました! ゴレイ候の領地がセイロスの黒い魔法によって壊滅! 街は住人もろとも焼き払われ、生存者は皆無だそうです!」
ユギルが言ったとおりの事態に、王と宰相は青ざめました。
「ゴレイ候は!? ご無事でしょうか!?」
と宰相が聞き返すと、女神官は痛ましい顔になりました。
「侯爵も亡くなりました。勇敢で誠実なお方でしたが……」
王と宰相は絶句します。
すると、占者が口をはさんできました。
「今、黒い魔法とおっしゃいましたか? セイロスがあの強大な闇魔法を使ったのでございますか」
ユギルはその魔法のすさまじさを知っていました。魔王になった魔女レィミ・ノワールが、黒い魔法でリーリス湖畔のハルマスを破壊したからです。ハルマスの町は家も建物もすべて吹き飛ばされて、何ひとつ残らない焦土となりました。ロムド王がハルマス再建に取りかかるまで、占盤からも町の象徴が消えていたのです。
女神官は答えました。
「そうです。以前の戦いでも、セイロスは黒い魔法で一帯ごと我々を吹き飛ばそうとしたことがありましたが、直前でそれを取りやめました。勇者殿が願い石を使おうとなさったので、それを恐れてやめたように見せていましたが、実際にはそれだけの力がなかったのだろうと考えておりました。竜の宝を失っているセイロスは、力を充分に発揮できなくなっているのだろうと――。敵の力を見誤っていました」
「それは我々も同様でしょう」
と深刻な顔で言ったのはリーンズ宰相でした。
「セイロスの正体は確かにデビルドラゴンですが、それにしては発揮する力が弱かった。竜の宝というものが失われているために、セイロスは力を完全に発揮できずにいるのだろう、というのが、私たちの見解だったのですから。セイロスが黒い魔法を使えるというのは、大変な誤算だったことになります」
「敵が飛竜だけでなく魔法でも攻撃してくるとなると、都の防衛は魔法軍団に頼ることになる。セイロスが黒い魔法を使ってくるとして、魔法軍団はどれくらい耐えることができるか?」
とロムド王に尋ねられて、女神官は真剣な表情で考え込みました。
「今、城には赤がおりません。四大魔法使いの三人が塔の御具を使って都に障壁を張り、魔法軍団全員で防御に当たったとしても、黒い魔法一発を防ぐのがやっとではないかと……」
ロムド王は占者を振り向きました。
「この戦いはどうなっていく、ユギル? 我々はセイロスを撃退することができるのか?」
ユギルはまた占盤を見つめていました。彼方から響くような声で答えます。
「戦況はいつも素早く変化いたします。わたくしの占いであっても、追い切れないことがしばしばですが、今現在、二つの大きな結末が拮抗しております。一つは都も国も救われる結末。もう一つは、ディーラが占盤から消滅する結末でございます」
最善と最悪の予言に、部屋の一同は思わずことばを失いました。
白の魔法使いが拳を握って声を振り絞ります。
「ディーラの消滅など、我々魔法軍団が絶対にさせません――!」
占者は遠い声のまま言いました。
「未来は大きく揺れ動いております。どちらの結果へ向かうのか、今はまだ判断することができません。もちろん、魔法軍団の働きは絶対に必要でございます。魔法軍団がいなければ、わたくしたちは即座に敗れて、ディーラは消滅するでしょう。けれども、本当の勝敗を分けるのは、やはり勇者殿と仲間の皆様方――占盤はそう申しているのでございます」
「ですが、勇者殿たちはもう二ヶ月以上も行方不明です! 勇者殿たちはどちらにいらっしゃるのです!?」
とリーンズ宰相がたまらず声をあげたので、ロムド王がたしなめました。
「落ち着け、リーンズ……。ユギルよ、そなたは以前、勇者たちがいないために我々は負け、また、勇者たちがいないために我々は救われる、と言った。その占いの結果は、今もまだ変わっていないのか?」
「変わりございません」
とユギルは答え、我に返ったように王たちの顔を見ると、頭を下げて詫びました。
「お許しください。わたくしにも、この占いがどういうことを意味しているのか、いまだに読み解くことができずにいるのでございます。あまりにも謎めいておりますが、それでも、占盤は繰り返しそう言ってくるのでございます」
ふむ、とロムド王は考え込みました。他の者たちはそんな王を見つめてしまいます。
まもなく王は決心した顔になりました。
「占いの通り、勇者たちはまだ戻らず、我々はセイロスに敗れている。他の領主たちも黒い魔法を使うセイロスを止めることはできないだろう。だが、希望を捨ててはならぬ。セイロスに勝とうと考えることをやめて、代わりに敵に負けないことを考えるのだ。ディーラの守りを限界まで強めて攻撃に持ちこたえ、敵が侵入したらただちに追い払え。勇者たちが我々を救ってくれる、とユギルは言っている。未来から伝えられてきたことばを信じて、ディーラを堅く守り切るのだ」
それは籠城戦(ろうじょうせん)の命令でした。攻めてくる敵に対して防御を固めて、味方が助けに来るまで都を守り抜け、とロムド王は言っているのです。
「承知いたしました、陛下」
と白の魔法使いは一礼すると、魔法軍団に王の命令を伝えるために、すぐに部屋から消えていきました。
「私はゴーラントス卿の軍をディーラに呼び戻してまいります」
と宰相も部屋から飛び出していき、部屋にはロムド王とユギルだけが残ります。
王はまた言いました。
「ユギルよ、我々が取るべき最善の策を占うのだ。言ったとおり、セイロスに勝つことは考えなくてよい。ただ負けぬこと。セイロスに敗れぬためにはどうしたら良いか、それを占って知らせるのだ」
「御意」
占者は王へ頭を下げると、さっそくまた占盤に向かいました。王の言うとおりに、敵に勝つ方法ではなく、負けないための方法を探し始めます。
王は焦りを押し殺して占者を見守りました――。