ルルが一対の白い翼に変わってしまったので、一同は愕然としました。
「いやよ、ルル!! いやぁぁ!!」
ポポロが泣き叫びます。
「三の風のせいだ!」
とレオンが言いましたが、それ以上はどうすることもできませんでした。彼の力で三の風の魔力を打ち消すことはできなかったのです。
「ワン、ルル! ルル!」
ポチは必死で翼に頭をすりつけました。翼の奥からはルルの息づかいが聞こえてきますが、同時に、ざわりざわりという音も聞こえていました。翼に羽毛が増えて、大きくなっているのです。
フルートは半狂乱になっているポポロの腕をつかみました。
「もう一度魔法は!? ルルを元に戻せないのか!?」
ポポロは泣きながら頭を振りました。彼女の中にもう魔法の力は残っていなかったのです。その間にも白い翼はどんどん大きくなっていきます。
すると、いきなり彼らの前に金の石の精霊が姿を現しました。驚く五の青年を無視して、フルートへどなります。
いえ、呼びかけたのは別の相手です。
「ぼくだけではルルを止められない! 力を貸せ、願いの!」
とたんにフルートの横に背の高い女性も現れました。炎のような髪とドレスを揺らしながら、フルートの肩をつかみます。
「急げ、守護の。完全に変わってしまったら、もうルルを犬に戻せない」
緊迫した事実を、願い石の精霊は淡々と伝えていました。美しく整った顔も冷静な表情です。
「わかってる!」
と金の石の精霊が言ったとたん、ばりっとフルートの全身がしびれて、すさまじい力が体内に流れ込んできました。願い石の精霊が力を送り込み始めたのです。同時にフルートの胸でペンダントが輝き出しました。たちまち光が強くなって、周囲が金色に閉ざされてしまいます。
あまりのまぶしさに、一同は目を開けていられなくなりました。光が強すぎて、誰もが体中に痛みを感じます。フルートにいたっては、全身がばらばらになるほどの痛みに襲われていました。願い石は普段以上の力を一気に送り込んでいたのです。
フルートは歯を食いしばって痛みに耐えました。一瞬でも気を抜けば、そのまま気を失ってしまいそうな激痛です。永遠にも感じられる時間が過ぎていきます――。
すると、金の石の輝きが急に弱まり始めました。吸い込まれるように光が収まって、フルートの胸の上で静かに輝くだけになります。
それに合わせて、フルートの体からも力の奔流が消えていきました。彼の肩をつかんでいた願い石の手の感触が薄れていきます。
一同が目を開けると、そこにはもう金の石の精霊も願い石の精霊もいませんでした。先ほど白い翼があった場所には、茶色い犬に戻ったルルが倒れています。
「ルル!!」
仲間たちは駆け寄りました。ポポロが泣きながら雌犬を抱き上げます。
「ルル! ルル! 大丈夫!? しっかりして――!」
「ワン、ルル、ぼくたちだよ! わかるかい!?」
とポチも必死で彼女の顔をなめます。
ルルはポポロの腕の中でぐったりしていましたが、彼らが呼び続けると、ようやく目を開けました。弱々しい声で言います。
「私……どうしたのかしら……? どうしてこんなに体がだるいの……?」
「ルル!!」
仲間たちはまた声をあげました。ポポロがルルを抱きしめて大声で泣き出します。
「ああ、良かったぁ。どうなることかと思ったよ」
とメールは、ほっと安堵しました。
「金の石の力で元に戻れたのね。でも、あんなに強く光らないとだめだったなんて」
とペルラは言って、心配そうにフルートを見ました。願い石から強烈な力を流し込まれたので、フルートはまだ苦しそうに顔をしかめて、自分の上半身を抱いていたのです。
「大丈夫だったか?」
とゼンも尋ねましたが、フルートは何も言わずにうなずいただけでした。まだ痛みが体に残っていて、声を出すことができません。
「ルルはポポロに守りの魔法をかけてもらっていた。それなのに姿が変わりかけたのか。三の風というのは思っていた以上にとんでもないもののようだな」
とレオンは言って考え込みました。
ビーラーやシィは、自分たちまで翼に変身してしまうのでは、と考えてあわてて体を見回しましたが、幸い、それ以上変身するような仲間は現れませんでした。
やがて、フルートの体から痛みが引いていきました。
フルートは冷や汗にびっしょり濡れた顔を拭うと、体を起こして仲間たちに言いました。
「これ以上は無理だ。戻ろう」
フルートが意外なほどあっさりと考えを変えたので、仲間たちは驚きました。痛い目に遭ったくらいで目的をあきらめるフルートではないのですが……。
「でも、竜の宝がパルバンにあるかどうか確かめるのはどうすんのさ?」
とメールが聞き返すと、フルートは言いました。
「そこにたどり着く前に、きっとまた三の風が吹くだろう。次は何人もがまとめて変わるかもしれないし、金の石や願い石だって、次にまた元に戻せるとは限らない。ぼくたちの今の装備と守りでは、これ以上パルバンを進むことができないんだ。引き返そう」
彼は自分ではなく仲間たちが三の風で危険な目に遭うことを心配しているのでした。ぐったりしたまま自分の脚で立ち上がれなくなっているルルを、心配そうに見つめます。
「どれ、俺が抱いていってやる」
とゼンがポポロからルルを受け取りました。身動きもろくにできなくないルルを、軽々と片腕で抱きかかえます。ルルはパルバンに入るときにもポポロにかかえられていたので、行きも帰りも抱かれていくことになりました。
フルートが先頭に立って引き返し始めたので、仲間たちはあわてて後を追いかけました。メールやペルラ、ビーラーやシィは何度も後ろを振り向いてしまいます。
「せっかくここまで来たってのにさ」
「悔しいわよね。次にまたここに来ることができるかわからないんでしょう?」
「あの三の風はどうしても防げないんだろうか」
「でも、三の風で怪物になってしまったらどうしようもないわ。確かに危険よね……」
すると、彼らの前を歩いていたレオンが言いました。
「三の風を完全に防げる強力な守りが必要なんだよ。そうでない限り、パルバンには入り込めないんだ」
「だからパルバンには行くなって言われていたのかぁ。五万五千四百七十一の言う通りだったな」
と青年は頭をかいていました。自分が三の風で怪物になったことは、やっぱり覚えていないようです。
そのとき、ゼンとルルの横を歩いていたポポロが、いきなり飛び上がって叫びました。
「来るわ! また三の風よ!」
全員はぎょっとしました。ポポロが指さす方向を青くなって振り向きます。
けれども、すぐに青年が言いました。
「ああ、大丈夫だ。風向きが違うから、こっちには来ない」
彼の言う通り、今度の三の風は荒れ地の彼方を横へ吹きすぎていました。地平線が鉛色の煙におおわれてにじみ、見えなくなりますが、こちらには向かってきません。
「急いでパルバンを出よう」
とフルートはまた歩き出しました。行く手にも黒い霧が壁になって渦巻いていますが、こちらは金の光で防ぐことができます。この霧の壁を越えればパルバンを抜け出せるのです。
フルートは地平線をなめるように吹く三の風を横目で見ながら進み続けました。他の仲間たちも急ぎ足でついていきます。
すると、ほんの一瞬、地平線で三の風がとぎれました。
風の勢いが弱まったのか、鉛色の雲がほどけて、向こうが見通せるようになったのです。
荒野の彼方には、枝も葉もない一本の枯れ木が、黒い塔のように立っていました。そのてっぺんに、何か黒いものが留まっています。
フルートは思わずそれを注視して、はっと心の中で息を呑みました。遠い彼方にあるはずの立木が、いやにはっきりと目に飛び込んできたのです。
木のように見えたのは、誰かによって立てられた高い柱でした。つや消しの金属のような表面が間近に見えます。
フルートは視線を上に向けて自分の目を疑いました。自分が見ているものがいったい何なのか、判断できなくなります。
柱の上に留まっていたのは黒い羽毛でした。巨大な黒い翼が、羽根の先を重ね合わせ、包み込むように柱の頂上を抱きかかえていたのです。
黒い翼に鳥の体はありませんでした。一対の翼だけが存在しています。先ほど三の風で変化したルルと同じように……。
けれども、次の瞬間、三の風はまた鉛色の雲を巻き上げ、柱と翼をおおい隠してしまいました。どんなに目をこらしても、もう見つけることはできません。
フルートは自分が歩いていたことも忘れて、三の風が吹く地平を見つめてしまいました――。