怪物になった青年はフルートにかみつきました。
鋭い牙が生えた口で、喉笛をかみ切ろうとします。
ところが、がぎん、と堅い音がして牙が止まりました。フルートの鎧が攻撃を防いだのです。同時にフルートの胸で金の石が輝き、青年を押し返します。
青年は身をひるがえすと地面に伏せました。モジャーレンの毛皮を着ているので、元から怪物のような姿ではしたが、四つん這いになるとますます怪物らしい格好になりました。そのままふくれあがって巨大になっていきます。
ああ……! とフルートたちは声をあげました。青年は先ほど現れた怪物とそっくりの姿になっていったのです。緑の毛皮が青年の体に同化して、毛が伸びていきます。
すると、青年はまた飛び跳ねました。鎧を着たフルートは手に負えないと悟ったのか、今度はゼンに飛びかかっていきます。
「っとぉ!」
ゼンは両手で青年を受け止めました。全長三メートル余りの大猿のようになった彼を、仰向けにひっくり返して高々と持ち上げてしまいます。青年は手足をじたばたさせてもがきましたが、ゼンはがっちり捕まえたまま放しませんでした。その格好でフルートに尋ねます。
「おい、どうすりゃいいんだよ、この状況!? こいつをどうしたらいいんだ!?」
ところが、フルートが答えるより早く、青年がゼンに食いついてきました。毛だらけの首が急に伸びて、頭がゼンまで届いたのです。
とっさにゼンがよけようとすると、青年は首をねじって右腕に食いつきました。ゼンは叫び声を上げて青年を放り出しましたが、青年はかみついたままゼンを放そうとしません。牙が食い込んでいくと血しぶきが上がり、ゼンがまた叫びます。
「この! ゼンを放しなよ!」
とメールは叫んで槍を振りかざしました。先ほどまで青年が握っていた武器です。背中から突き刺すと、今度は青年が悲鳴を上げました。牙が離れたので、ゼンは青年から飛びのきます。
ゼンは腕を深く食いちぎられていましたが、その傷はあっという間に治っていきました。金の石が癒やしているのです。
同じ光は青年も癒やしていました。メールが突き刺した槍がひとりでに押し返されて、ぽろりと抜け落ちます。槍の傷痕は残っていません。
青年の首が振り向き、蛇のように伸びてメールに襲いかかってきました。長い緑の毛でおおわれ、何十もの目で埋め尽くされている顔は、まさしく怪物です。牙がメールに迫ります。
すると、ポチが青年に飛びかかっていきました。顔の真ん中にかみついたので、青年はうなってポチを捕まえました。石だらけの地面に思いきりたたきつけてしまいます。
キャン! とポチはまた悲鳴を上げ、すぐにまた跳ね起きました。やっぱり金の石が傷を癒やすのです。傷ついては癒やされ、また傷ついては癒やされ。戦いはいつまでも終わりません。
フルートは青年に向かって叫びました。
「やめてください、五さん! 正気に返ってください――!」
金の石の光で傷が治るということは、青年は闇の怪物になっているわけではないということです。まだ人間に戻れる可能性はある。フルートはそう考えて必死で呼びかけましたが、青年は暴れ続けていました。今度はペルラに襲いかかっていきます。
「よせ!」
レオンは青年を引き留めようとして、すさまじい力で跳ね飛ばされました。飛びかかっていったビーラーやシィも爪のついた手で払いのけられます。
「五さん!!」
フルートは飛び出し、正面から青年に飛びつきました。青年の胸の毛にしがみつくと、胸のペンダントに念じます。
「彼を戻してくれ! 頼む! 人間に返してやってくれ――!」
けれども、金の石がいくら輝いても、青年は元には戻りませんでした。長い爪の手がフルートの兜をつかんで勢いよく投げ飛ばしてしまいます。
兜は音をたてて地面に転がり、フルートの頭はむき出しになりました。青年の長い首が蛇のようにくねり、真上からフルートの頭に食らいついていきます――。
すると、細く高いの声が響きました。
「レドモニターガスノトーモ-!!」
ポポロがフルートの後ろに立って、片手を青年に向けていました。呪文を唱え終えるのと同時に指先から緑の光がほとばしり、どん、と音をたてて青年を吹き飛ばしてしまいます。
青年は地面に転がり、グァァ、と悲鳴のような声をあげました。顔を押さえながらのたうつうちに、その首が少しずつ縮み始めます。顔を押さえる手からも長い爪が消えていきます。
「元に戻っていくわ!」
とペルラとシィが言いました。巨大だった青年の体が小さくなって、元の大きさになってしまったのです。長く伸びていた毛皮の毛も縮んでいき、ぱさり、とフードが頭から滑り落ちます。
全員が息を呑んで見守っていると、青年が顔を上げました。不思議そうに一行を見回して言います。
「あれ、おまえら、どうしてそんなに俺を見てるんだ? 俺の顔に何かついているのか?」
その顔から何十とあった目と牙は消えていました。目は元の場所に二つだけ、口にももう牙はありません。
「ついてるんじゃないわ。なくなったのよ」
とペルラは顔をしかめて答え、シィは不思議そうに青年を見つめました。青年はもうすっかり元通りでした。怪物の姿になったことも全然覚えていないようです。
他の仲間たちはポポロを振り向いて、いっせいに話し出しました。
「ポポロ、あんた今、また魔法を使ったよね!?」
「ワン、今朝、ぼくたちを守る魔法と継続の魔法を使っていたのに!」
「三つ目の魔法が使えるようになったってぇのか!?」
「ポポロは魔法の上限回数が増えたのか! いつの間に!?」
けれども、一番驚いた顔をしていたのはポポロ自身でした。信じられないように自分の手を見つめています。
フルートは近づいていって、その手を取りました。びくりと身をすくめた彼女に言います。
「ありがとう、ポポロ。おかげで助かった――。でも、どうしてまた魔法が使えるようになったのかな?」
ポポロは首を振りました。
「わからないの……。そんなはずないのよ。今日の魔法はもう使い切っちゃったのに……。フルートがあの人にやられそうになって、危ない! って思ったら、あたしの中にまた魔法の力が湧いてきたの。それで……」
ポポロは震え出しました。三つ目の魔法が使えたことはすばらしいことなのですが、彼女にとっては喜び以上に衝撃が大きかったのです。強力すぎてコントロールが悪い魔法を三度も使えるようになって、これからどうなるんだろう、と不安にかられています。
ポポロが涙をこぼし始めたので、フルートは優しく抱きしめました。赤いお下げ髪をなでながら、もう一度言います。
「ありがとう、ポポロ。君のおかげでぼくも五さんも助かったんだよ。本当にありがとう」
ポポロはむせび泣きながらうなずきます。
仲間たちは、やれやれ、と顔を見合わせました。
「ポポロっていつもこんな感じだよねぇ。フルートのためには無我夢中なんだからさ」
「いかにもポポロらしいぜ。その後の反応もな」
それを聞いてペルラがうつむきました。こらえるように、自分の服の裾を握りしめます。
レオンはそんな彼女の頭に、ぽんと手を置きました。魔法を使うのを忘れたのか、自分の手をのせています。こちらは溜息をついて空を見上げてしまいます――。
一方、ビーラーとシィは人間に戻った青年の足元で匂いをかいでいました。相変わらず緑のモジャーレンの毛皮は着ていますが、匂いは完全に人間に戻っています。
「結局、あの三の風が人を怪物に変えてしまうんだな。ぼくたちもポポロの魔法で守られてなかったら、やっぱり怪物になったのかもしれない」
とビーラーが言ったので、シィは身震いしました。
「怖いわね。もし怪物になったとしたら、あたしたちはどんな姿になっちゃったのかしら」
「うん? おまえら、いったいなんの話をしてるんだぁ?」
と青年が聞き返してきました。何も覚えていないので、当事者が一番のんびりしています。
ところが、次の瞬間、青年は驚いた声をあげました。
「おい、どうしたんだ、茶色いワン公!? 大丈夫か!?」
一同は、はっとしました。茶色いワン公と言えば、それはルルのことです。あわててルルのほうを見ると、彼女は地面に伏せて荒い息をしていました。いやに苦しそうな様子です。
「ワン、ルル!」
「どうしたのさ――!?」
仲間たちは雌犬に駆け寄って取り囲みました。
「大丈夫、ルル? しっかりして」
とポポロが背中をなでますが、ルルは前脚の間に頭を突っ込んで苦しそうに息をしているだけです。
「金の石!」
とフルートが呼びかけると、魔石はまた明るく光ってルルを照らしましたが、彼女の様子は変わりませんでした。
「病気じゃねえようだな」
「急にどうしたんだろう」
とゼンとレオンは困惑します。
「ワン、ルル! 返事をして、ルル!」
ポチが鼻面を彼女に押しつけて呼び続けていると、いきなりその鼻先から感触が消えました。ポチは思わず前のめりになり、すぐにまたルルにぶつかって止まりました。ところが、それは長い毛におおわれた体ではありませんでした。つるりとした白い羽根がポチの鼻に触れます。
「ワン、ルル!?」
ポチは頭を上げて仰天しました。他の仲間たちも自分の目を疑います。
ルルは彼らの目の前で消えつつありました。茶色い長い毛におおわれた雌犬が透き通るように見えなくなって、代わりに白い羽根が湧き上がってきます。
それは二枚の大きな翼でした。白鳥の羽にも似ていますが、鳥の体はどこにもありません。ただ翼だけが石だらけの地面の上に落ちています。
「ルル……?」
一同が呆然としていると、翼が動きました。ばさり、と羽ばたき、宙に浮こうとしてまた地面に落ちます。
とたんに荒い息づかいが翼から聞こえてきました。それはつい先ほどまで聞こえていたルルの呼吸の音でした。
ポポロは悲鳴を上げました。
「いやぁ、ルル!! いやぁぁ!!!」
ルルは一対の白い翼に変わってしまったのでした――。