「おぉい、おぉい! 五万五千五百二十八ぃ!」
緑の毛皮を着た青年が叫びながら荒野へ飛び出していこうとしたので、フルートたちは焦りました。とっさにゼンが青年を捕まえて引き留めます。
「馬鹿野郎! どこへ行くつもりだよ!?」
「あそこにいるのって怪物だろ!?」
とメールも言います。
青年が駆け寄ろうとした大岩の上には、緑の毛皮におおわれた生き物がうずくまっていました。岩をつかむ前脚には鋭い爪が伸びています。
ところが青年はもがいて言い張りました。
「放してくれ! あれは五万五千五百二十八なんだよ! 間違いないんだ!」
「五万五千五百二十八って誰なんですか? どうしてその人だってわかるんです?」
とフルートは尋ねました。岩の上の怪物は長い毛の奥からじっとこちらを見ています。うずくまっているので姿形はよくわかりませんが、明らかに人間より大きな体です。
すると、青年は言いました。
「わかるとも! あれはモジャーレンの毛皮の服だ! ほら、左の方から脇腹にかけて、赤い縞が走っているだろう? あれが五万五千五百二十八の印だったんだよ! 俺が作られたときにいろいろ面倒見てくれたのが彼女だったんだ! いつの間にかマドの洞窟から姿を消したから、湖で溺れたんだろうって言われていたけど、俺は生きてるような気がしていたのさ――! おぉい、おぉい、五万五千五百二十八! 俺だよ! 五万五千五百五十五だよ!」
青年がもがくのでゼンが引き留め続けていると、いきなりゼンの体が宙を舞いました。青年に投げ飛ばされたのです。あやうく金の光の外に飛び出しそうになりますが、光が天井のように跳ね返して地面にたたきおとしました。金の光の中なので、ゼンに怪我はありません。
「この野郎! 自分に魔法をかけて怪力になりやがったな!」
とゼンは腹を立てて跳ね起き、目をむきました。いつの間にか青年が金の光の外へ飛び出して、あの怪物に向かっていたからです。
すると、怪物のほうも岩の上に立ち上がりました。獣のような四つ脚です。同時に頭部の毛が揺れて奥にあった目がのぞいたので、一同はぎょっとしました。怪物の頭には何十もの目がひしめき合っていたのです。
「本物の怪物だ!」
とフルートは叫び、青年を助けに駆け出そうとして立ち止まりました。金の光はフルートの周囲に広がっています。彼が駆け出してしまうと、光まで動いて、他の仲間たちが守りの光の外に出てしまうのです。
「五さん、戻って――!!」
とメールやポポロが呼びかけますが、青年は怪物へ駆け寄っていきます。
すると、ゼンが動き出しました。
守りの光の外へ猛然と飛び出すと、青年に追いついて毛皮の服をはっしと捕まえます。
「目を覚ませよ、馬鹿野郎! あいつは仲間じゃねえだろうが!」
そのまま引き戻して地面に転がすと、岩の上の怪物が飛びました。何十もの目は青年からゼンへ狙いを移していました。前脚でゼンを押し倒し、長い爪を地面に食い込ませて、ゼンを動けなくします。
カァァァァァ!!!
怪鳥のような鳴き声と共に口が開き、ずらりと並んだ牙がむき出しになりました。そのままゼンの喉笛を食いちぎろうとします。
とたんに、シュン、と音がして、一陣の風がゼンと怪物の間を吹き抜けました。次の瞬間血しぶきが飛び、怪物が叫びながらのけぞります。怪物の脚先は爪を食い込ませたまま地面に残されていました。前脚は途中で断ちきられています。
風は上空でつむじを巻くと、ゼンと怪物の間に舞い降りてきました。風の犬に変身したルルです。怪物の何十倍もある巨大な頭で、ガウン、と牙をむいてほえます。
とたんに怪物は転げるように逃げ出しました。地面に血の痕を点々と残しながら、どこかへ姿を消してしまいます。
「まったくもう! おちおち怖がってもいられないじゃない!」
とルルはぷりぷりすると、ゼンと青年を一緒くたに風の体で巻き取り、仲間たちが待つ金の光の中へ連れ戻しました。ゼン! とメールが飛びついていきます。
「大丈夫かい!? 守りの光の外に出て、なんともなかったかい!?」
「ああ、どこもなんともねえ。とはいえ、もう一度出ていきたいとは思わねえけどな。外は絶対やばいぞ。おい、五、あんたも肝に銘じとけよ!」
とうとう青年は「五」と呼び捨てにされましたが、当人はそんなことを気にする余裕はありませんでした。荒野を悲しそうに見回しながら呼びかけます。
「五万五千五百二十八! どこだ!? 戻ってきてくれよぉ、五万五千五百二十八――!」
「なんだかお母さんを呼んでるみたいね」
とぶち犬のシィが言ったので、一同は、はっとしました。青年が誕生したときから面倒を見てくれた女性だというのですから、本当に、彼にとっては母親のような存在だったのでしょう。
フルートはポチに尋ねました。
「あれは本当に五さんの呼んでいる人だったのかな? それとも、怪物がその人に化けていたんだろうか?」
「ワン、断言はできないけど、たぶん本当にその人だったんだと思います」
とポチは答え、なんとも言えない表情になった一同を見回しながら続けました。
「ルルが前脚を切り落としたときに、人間の血の臭いがしたんですよ。ただ、怪物だったのも確かです。たぶん、パルバンに迷い込んで、そのまま怪物になってしまったんでしょうね……」
フルートたちは、ますます何も言えなくなってしまいました。怪物は青年を食い殺そうとしたのですから、もう彼のことを覚えてはいないのでしょう。おぉい、五万五千五百二十八――と呼び続ける青年の声だけが、荒野にむなしく響きます。
一方、ポポロは犬の姿に戻ったルルの背中をなでていました。ルルはまだ興奮して、ふぅふぅ、とうなり続けていたのです。
「ルルったら、怖かったのに助けに行ってくれたのね。ありがとう。でも、よく変身できたわね」
とポポロが言うと、ルルは、ふん、と顔をそらしました。
「どうしてか知らないけど、急に力が湧いてきて変身できたのよ。ゼンたちがあんまり馬鹿だから、驚いて怖いのを忘れちゃったんだわ」
「おい、なんだよ。俺まで馬鹿呼ばわりするのか?」
とゼンが憮然としたので、ルルはまた牙をむきました。
「無鉄砲に飛び出して怪物に殺されかけたのは誰よ!? あなたもフルートも無鉄砲すぎなのよ!」
ルルの小言のとばっちりを喰らって、ぼくも? とフルートが目を丸くします。
すると、そのやりとりを見ていたビーラーが、レオンのズボンの裾をくわえて引っ張りました。
「なんだい?」
とかがみ込んだレオンに、ささやくように言います。
「パルバンに入ってから、ぼくはやっぱり風の犬に変身できないんだよ。ポチもそうみたいだ。どうしてルルだけが風の犬になれたんだろう?」
えっ? とレオンはルルを振り向きましたが、彼女は青年とゼンとフルートをまとめて説教している最中でした。自分だけが変身できた不思議には気がついていません。
「そういえば、彼女はさっきはやたらとパルバンを怖がっていたな。何か関係があるんだろうか……?」
とレオンは言いましたが、いくら考えても理由に思い至らなくて首をひねってしまいます。
青年はルルに叱られても、座り込んでぼんやり荒野を眺めているだけでした。怪物になった仲間が戻ってくるのを待っているのですが、いくら待っても怪物は現れません。
「さあ、そろそろ出発しよう。早くしないと日が暮れてしまうから」
とフルートが呼びかけても、まだ座り込んだままです。
ルルがそれをまた叱りつけようとしたとき、急に青年が飛び上がりました。体を震わせながら彼方を指さします。
「来た! 来た、来た――!」
さっきの怪物が!? とフルートたちは振り向きましたが、そうではありませんでした。広がる荒れ地の向こうから、なにかもやもやとした得体の知れないものが、鉛色の煙を巻き上げながら迫ってきます。
もしかして砂嵐――とフルートが言いかけたところに、青年の声がかぶさりました。
「来たぞ! 三の風だ! 早く隠れろ!!」