「うわ……」
背の高い葦原を抜けたとたん、一行は思わず声をあげ、そのまま絶句してしまいました。
彼らの目の前にはパルバンがあるのですが、その景色はおぼろにしか見えませんでした。小石だらけの地面から黒い霧が壁のように噴き出し、激しく渦を巻きながら空へ立ち上っていたからです。霧の壁は左右にずっと続いていて終わりが見えません。
「これ……闇の壁かい?」
とメールが尋ねると、ポポロとレオンが同時に首を振りました。
「闇だけじゃないわ。いろんな魔法が混合した魔法の渦よ。パルバンをおおっているんだわ……」
「異体系の魔法は本来は影響を及ぼし合わないんだが、これだけ大量の魔法が複雑に絡みあっていると、さすがに相互作用を起こすようだな。魔法を解きほどくのも打ち消すのも、まず不可能だ」
「ここに無防備で入っていったらどうなるの?」
とペルラが尋ねると、ゼンが近くの地面を指さしました。
「たぶん、ああなるんだぜ」
そこには何かの獣の骨がちらばっていました。頭蓋骨も四本の脚も体の骨も、これでもか、というほどばらばらになっています。
ゼンは話し続けました。
「他の獣や鳥に食い荒らされたような痕が、骨に見当たらねえ。おそらく霧の壁に引きちぎられたんだろう」
「魔法が激突して作っている渦だ。荒れ狂う魔法に引き裂かれたんだな」
とレオンも言ったので、一行は思わず渦巻く壁から後ずさりしてしまいました。
ルルはポポロに抱かれたまま、ずっと顔を埋め続けています。
ところが、ここでもフルートはためらいませんでした。自分が先頭に立つと仲間に言います。
「ぼくが最初にパルバンに入るから、みんな遅れないでついてきてくれ。離れると金の石の守りが届かなくなるからな」
フルートがさっさと歩き出したので、仲間たちはあわてて後を追いかけました。フルートが無造作に霧の渦に飛び込んで行くので、はっと固唾(かたず)を呑んでしまいます。
フルートは渦の中でも平気でした。彼の周囲に金色の光が広がり、黒い渦を押しのけています。
「何してるのさ? みんな早く」
とフルートに振り向かれて、ゼンは顔をしかめました。
「ったく! どうしておまえはそう無鉄砲なんだ! そんなおとなしそうな顔をしやがってるくせによ!」
悪態をつきながら渦の中へ飛び込むと、金色の光がさらに広がって彼を包みました。やはり何事も起きません。
それを見て、他の仲間たちも次々と渦の中へ入って行きました。メール、ポチ、ルルを抱いたポポロ、レオンとビーラー、ペルラとシィ……一番最後に緑の毛皮を着た青年も、おっかなびっくりやってきました。金色の光が半球形に広がって黒い霧を押しのけていく様子を、目を丸くして眺めます。
「すごい力じゃないか。こんな魔法が使えるのを、なんで黙っていたんだ?」
「これは魔法じゃありません。守りの石がぼくたちを守っているんです」
とフルートは答え、仲間たちとゆっくり前進を始めました。金の光はフルートの歩みに合わせて動いていきます。渦巻く黒い霧が光の中に入り込んでくることはありませんが、ごうごうと嵐のような音が、ひっきりなしに響いています。
すると、ポポロの腕の中でルルがうめくようにつぶやきました。
「この音、嫌いよ……」
「え、何? なんて言ったの?」
とポポロは聞き返しましたが、ルルは返事をしませんでした。堅く目を閉じて頭をポポロに押しつけています。
すると、周囲が急に明るくなってきました。黒い霧の渦を抜け出したのです。ごうごうという音が離れていきます。
一行はほっとしましたが、周囲を見回して、すぐにまた顔をしかめました。
そこに広がっていたのは、岩と小石だらけの乾いた荒野でした。渦巻く霧は晴れましたが、あたりは相変わらず薄暗く、時折得体の知れない白いものが空中を横切っていきます。
「シルフィード!?」
とペルラは言いました。飛び過ぎる白いものが、透き通った人の姿をしていたのです。
「こんなところにもシルフィードがいたなんて! ここにおいで!」
と手をさしのべて呼びかけると、レオンがいきなりその手をつかみました。
「よせ! そんなことをしたら――!」
そこへ白いものがやってきました。守りの金の光の中に飛び込んで、ペルラへ透き通った両腕を伸ばします。けれども、それは美しい女性の姿のシルフィードではありませんでした。腐りかけ歯をむき出した男の亡霊だったのです。げらげら笑いながらペルラの肩を捕まえます。
とたんに、ばちん、と幽霊の手が見えない力に弾かれました。悲鳴を上げたペルラをレオンが引き寄せ、後ろにかばって幽霊へ手を突きつけます。
「ロエキヨイーレ!」
呪文を唱えると、手のひらから銀の光が広がって幽霊を押し返しました。亡霊は、おぉぉぉ、と悲鳴のような声をあげながら金の光から飛びだし、荒野へ戻っていきます。
「金の石、守りをもっと強めてくれ!」
とフルートはペンダントに頼みました。金の輝きが強まります。
メールが駆け寄ってレオンに言いました。
「ペルラを助けてくれてありがと。危なくとり憑かれるところだったね」
レオンは渋い顔になりました。
「いや、全然だよ。本当は消滅させるつもりだったのに、追い払うことしかできなかったからな。それに、最初に彼女を守ったのはポポロの魔法――」
言いかけて、レオンは急に振り向きました。座り込んでいたペルラが、手を伸ばして彼の手を握ったのです。驚く彼に、今にも泣きそうな顔で言います。
「ありがとう、レオン……。あたし、シルフィードだと思っちゃったのよ。こんなところにいるはずなかったのに。馬鹿よね……」
レオンはあわてて言いました。
「いや、そんなことないさ。シルフィードがいればみんなの役に立つと思って呼んだんだろう?」
ペルラはうつむいてうなずきました。涙をこぼし始めた気配がしたので、レオンはますますあわてて彼女の手を引きました。
「そら、もう立てよ。先に進むぞ」
「うん……」
ペルラがレオンの手にすがって立ち上がります。
その様子に、メールが、あれぇ、という表情になりました。そばにいたゼンに、こっそり耳打ちします。
「ねえさぁ、あの二人、ちょっといい雰囲気になってきたと思わないかい?」
「そうか? まあ、確かに喧嘩は減ったようだな」
とゼンが言ったので、メールは肩をすくめてしまいました。ゼンにこんな話をしても無駄だったことを思い出したのです。
ペルラはまだ涙をこぼしていますが、レオンは知らん顔をしています――。
すると、今度は毛皮の青年がいきなり声をあげました。
「おい、あそこにいるのは五万五千五百二十八じゃないか!? こんなところに来ていたのか! おぉい、おぉい、五万五千五百二十八!!」
青年が呼びかける先には大きな丸い岩があって、緑の毛皮の四つ脚の獣が上にうずくまっていました――。