フルートたちは朝食を終えると支度を調え、五万五千五百五十五の魔法で地下の洞窟から地上に出ていきました。
朝の光に照らされたオレンジの草原を、青年の後について歩き出します。
洞窟から誰かが追いかけてきて、パルバンへ行こうとする青年を引き留めるのではないか、とフルートは心配しましたが、そんなことはありませんでした。
たちまちマドが遠ざかり、草の中に隠れて見えなくなります。
すると、ポチが首をひねりました。
「ワン、五さんはぼくたちが進んでたのと違う方角に行きますね。ぼくたちは間違った方角に進んでいたのかなぁ」
五万五千五百五十五という青年の名前は長すぎたし、ここにはもう他の番人たちがいなかったので、彼のことを簡単に「五さん」と呼ぶことにしたのです。
フルートも考える顔で言いました。
「地面が入れ替わってもパルバンは同じ方角にあるはずなんだけど、いつのまにかずれていたのかもしれないな。パルバンはまったく動かないのかと思ったけど、少しは動いているのかもしれない」
「つまり、俺たちだけでパルバンに行こうとしたら、完全に迷子になったってことか」
とゼンは苦笑しました。道案内に青年を連れてきて正解だった、ということです。
やがてまた涼しい二の風が吹き抜けて、周囲の景色が変わりました。オレンジの草がなびく草原が消えて、一面白い砂を敷き詰めた平原が現れたのです。
「ああ、サバクか。こりゃ歩きやすくていいな」
と青年は言って毛皮のフードを脱ぎました。フルートたちも、さくさくと足跡を後ろに残しながら砂漠を歩いて行きましたが、じきにまた二の風が吹いて、今度はうっそうとした森に変わりました。ねじれた木が怪物のように枝を垂らし、棘だらけの藪が行く手をふさいでいます。
青年は腕組みして立ち止まりました。そのまま動かなくなったので、メールやペルラが尋ねます。
「いったいどうしたのさ?」
「まさか、進めなくなったの?」
「いや。ただ、ここはトゲノヤブだからな。モジャーレンの毛皮が破れるのは嫌だから、待っているんだ」
「待つって何を?」
とルルも尋ねたとたん、また二の風が吹きました。森や棘だらけの藪が薄れて消えていった後に、今度は奇妙な形の石柱群が現れます。岩の柱はどれも先端が丸くなっていて、傾きねじ曲がり、ぐにゃりと地面に向かって垂れ下がっていました。柱の間の地面にも、先端から溶け落ちたような丸い岩がごろごろしています。
「あ、ここ……」
とポポロは思わず声を出しました。彼らが闇大陸に来たばかりのときに、遠くに見えていた場所だったのです。
「さあ、歩きやすくなったから行くぞ」
と青年はまた歩き出しました。
「進みやすい地形の時にはどんどん前進して、進みにくい場所が現れたら、次の歩きやすい場所が来るまで待つのか」
とレオンは感心しました。確かにこれは闇大陸に暮らす人間だからこその知恵です。
そんなふうにして、彼らは歩いたり立ち止まったりしながら進んでいきました。休憩や食事も忘れずにとります。
太陽のような結界のつなぎ目は頭上の一点にあるので、その動きで時間を知ることはできませんが、なんとなく半日ほど歩いたかな、という感覚がしてきた頃、青年が行く手を指さしました。
「見えてきたぞ! あれがパルバンだ!」
一行はちょうど背の高い葦原(あしはら)を通っていたので、背伸びをして青年が示す場所を眺めました。
ところが、そこには景色らしいものは何も見えませんでした。ただ、得体の知れない黒い影が、雲のように渦巻きながら地平線に淀んでいます。
ゼンは渋い顔で舌打ちしました。
「ったく。やっぱりパルバンってのはこういう場所なのかよ」
「いかにもおどろおどろしいよね」
とメールも肩をすくめます。
犬たちは背が低かったので、それぞれに抱き上げられたり肩に担がれたりしていました。
ビーラーがレオンの肩の上で鼻をひくひくさせます。
「闇の匂いがするな。光の魔法の匂いも。ものすごく渾沌とした匂いが伝わってくるぞ」
「ワン、光と闇の魔法が激突した場所だからだね。魔法なんて全然わからないぼくでも、すごい気配は感じるな」
とポチはフルートの肩の上から言います。
シィはペルラの腕の中で伸び上がり、目を丸くして淀む影を見ています。
ところが、ルルはポポロに抱き上げられてひと目そちらを見たとたん、ものも言わずにポポロの胸に頭を埋めてしまいました。背中の毛を逆立ててぶるぶる震えだしたので、ポポロは驚きました。
「どうしたの、ルル? 大丈夫?」
「嫌いだわ――あの場所!」
とルルはくぐもった声で言いました。頭をポポロの脇の下に突っ込んでしまいます。
「確かに気持ちいい場所じゃねえよな。絶対何かいやがるぞ」
とゼンは言って、自分の首筋の後ろをなでました。
「パルバンにはものすごい怪物がたくさんいるって話だ。たまにパルバンから這い出してくるんだが、追い返すのにえらく苦労するからな」
と青年も言いました。こちらは槍をしっかり握りしめています。
レオンはペルラが青い顔をしていることに気づいて、そっと尋ねました。
「大丈夫かい?」
ペルラは、かっと赤くなってにらみ返しました。
「馬鹿なこと聞かないで。あたしは海の戦士よ。平気に決まってるないじゃない」
けれども、彼女の体も小刻みに震えています。
レオンは肩をすくめました。
「怖いものは怖いでいいじゃないか――。ぼくだって怖い。あの場所からは尋常じゃない気配が伝わってくるからな。それも全然秩序だっていない、手のつけられない魔法の渾沌だ。あれを正すことなんか、天空王様にだってできないだろう」
ペルラはレオンをにらむのをやめました。ちょっとためらってから、うん、とうなずいて言います。
「せめて魔法が使えたらいいんだけど。あそこに行っても自分には何もできないんだと思うとね……」
「そうだな」
とレオンも自分の手を見つめて溜息をつきます。
けれども、フルートだけは恐れる様子もなく一同に言いました。
「ぼくたちが探してきたものがパルバンにあるかどうかは、パルバンに入ってみないとわからない。でも、ポポロの魔法はぼくたちを守っているし、金の石だってここにいるんだから、絶対に大丈夫だ。行こう!」
何があっても誰がどんなことを言っても、絶対に考えを変えない、あの強い声でした。今はその声が仲間たちを勇気づけます。
ゼンも声をあげました。
「よぉし、行こうぜ! パルバンまでもうちょっと案内を頼まぁ、五さん!」
とたんに青年は口をとがらせました。
「俺は五万五千五百五十五だぞ。略すな!」
「長いってばさ。五さんでいいじゃん」
とメールが言い返し、それに青年がまた言い返します――。
彼らの前にはまだ深い葦原が広がっていました。その彼方に黒雲のような影は淀み、ゆっくりと渦巻いています。
一行はそこへ向かってまた前進を始めました。