河童は砦の石垣の上で両手を空に向けてつぶやいていました。
「よぉし、岩っこ。よぐおらの言うこと聞いただな。あっちさ行くだ、あっちさ」
そう言いながら手を横へ動かすと、落ちてくる岩がまた砦の外へ飛んでいきました。河童のそばにいるオリバンやセシルの上に岩は降ってきません。
河童は青緑の体に亀のような甲羅を背負い、顔にはくちばし頭の上には丸い皿という、まるきり怪物のような姿をしていますが、実際にはエルフの血を引く光の魔法使いでした。水の魔法が得意ですが、それ以外の魔法もある程度は使えるのです。
オリバンは河童に言いました。
「その魔法を砦の上全体に広げることはできないか? このままでは反撃ができんぞ」
すると、河童は困ったように首をかしげました。
「おらにはそこまでの力はねえだ。それは隊長のお役目だな。ほれ」
河童が示したのは宿舎の屋上でした。
赤の魔法使いが、両脇を銀鼠、灰鼠の姉弟に守られながら、かがみ込んでいます。
「彼は何を――?」
とセシルが尋ねようとしたとき、いきなり屋上から赤い光が湧き上りました。先ほど竜を撃ち落としたときのような光の弾ではありません。太い光の柱が空に立ち上り始めたので、飛竜が驚いて上空から逃げます。
「あれは?」
とオリバンは尋ねましたが、河童が答えるより早く、光の柱が広がり始めました。宿舎全体を包み込み、周囲の地面へ急速に広がって、石垣の上までやってきます。
足元の石が赤く輝いて光り出したので、弓矢兵たちは浮き足立ちました。光はますます強くなって、やがて宿舎と同じように空に向かって光を放ち始めます。
すると、河童が言いました。
「心配ねえだ。隊長が地べたの力を使っで砦を守り始めただよ。隊長は大自然の魔法使いだがらなし」
彼の目には、屋上にいる赤の魔法使いが宿舎の屋根へ両手を押し当て、大地の歌を口ずさんでいる様子が見えていました。宿舎は周囲の山から切り出した木や岩で作られているし、河童たちがいる石垣も同様に山の岩や土でできています。赤の魔法使いは岩や木を通じて大地から力を吸い上げ、自分の中で守りの魔法に変えて、大地伝いに周囲へ流していたのです。立ち上る光の柱は、大地が放つ守りの魔法そのものでした。
飛竜に乗った敵は、少しの間、光を用心して高度を上げていましたが、やがて光を浴びても支障がないことに気がつくと、攻撃を再開しました。飛竜がまた岩を落とし始めます。
ところが、岩は光の中をある程度落ちていくと、空中で突然破裂しました。まるで地面に激突した岩のように砕けて飛び散ります。
飛散した岩のかけらは、空にいる飛竜部隊に襲いかかりました。飛竜が驚いて急上昇したので、油断していた敵兵が振り落とされました。岩のかけらの直撃をくらって落ちる敵兵もいます。山の斜面に激突して滑り落ちていく敵に、砦の中から歓声が上がります。
岩の雨はぴたりとやみました。
飛竜たちは上空を旋回し続けています。
それを見て、セシルは言いました。
「用心しろ。岩が効かないとなると、次は火袋の攻撃が来るぞ」
「火か。この砦を焼かれてはまずいな。赤の魔法使いの守りは火にも有効なのか?」
オリバンの質問に、河童は頭を振りました。
「これは大地の攻撃から身を守る魔法だがら、火には効果ねえだよ。火が降ってきだら、素通しになっちまうだ。近くに水っこがあれば、おらが防ぐげんちょ、ここは水っこがあんましねえだよ」
と心配そうに空を見上げます。火の攻撃には水が有効なのですが、湧き水が少ない山の上だけに河童も力を発揮しきれない、と言うのです。
そこへまた飛竜の一団が降下してきました。足に岩は抱えていません。赤い光に照らされながら、矢が届く距離ぎりぎりまで降りてくると、ぱらぱらと革袋を落としていきます。袋の口元には火がついています。
「火袋だ!」
とセシルは叫びました。
「来るぞ! 備えろ!」
とオリバンもどなり、本当に革袋が赤い光の中を素通りするのを見て、歯ぎしりしました。赤の魔法使いの魔法で火袋を防ぐことはできないのです。
すると、宿舎の屋上から男女の声が響きました。
「いでたまえ、アーラーン!」
「あの火を受け取りたまえ!」
銀鼠と灰鼠です。
二人の杖の先から炎がほとばしり、ひとつになって空に駆け上がりました。尖った大きな耳に尖った鼻先の狐の形になっています。アーラーンは火狐の神なのです。
とたんに火袋が次々と爆発し始めました。ぼん、ぼんと音をたてて弾け、空中で炎の塊に変わります。
アーラーンはその火を呼び寄せ、残らず自分の体に吸い込んでしまいました。前より大きな炎の狐になると、さらに高い場所へ駆け上がって飛竜に襲いかかっていきます。
竜は鳴き声を上げると、四方八方へ逃げました。アーラーンはそれを追い立て、やがて小さくなって消えていきました。炎が燃え尽きたのです。
地上でそれを見ていた河童が、にやっと笑って言いました。
「さすが銀鼠と灰鼠だぁ。火の扱いはお手のものだなし」
飛竜部隊と峠を守るオリバンたちの部隊は、空と地上に陣取ったままにらみ合いを始めました。
地上からの攻撃は飛竜には届きませんが、飛竜の攻撃も魔法使いに阻まれて地上に届きません。
オリバンたちは、峠の手前で旋回する飛竜部隊を見ながら、何か有効な攻撃手段はないかと考え続けていました。飛竜は頑丈でも、乗り手は軽装備の人間です。乗り手を飛竜から落とすことができれば、敵の戦力を減らせるのですが――。
すると、いきなり激しい風が上空に吹いて、飛竜部隊にまともにぶつかりました。突風です。飛竜はあおられてきりきり舞いをし、背中の乗り手が振り落とされました。そこへまた突風が吹いたので、さらに多くの飛竜がバランスを崩し、乗り手がまた小石のように落ちていきます。
オリバンたちが驚いていると、宿舎の上から銀鼠が言いました。
「殿下、あれを!」
と砦の背後にそびえる山の上のほうを示します。切り立つ岩壁の途中に黒っぽい人影があったのです。その傍らには白い獣の姿もあって、見上げる人々へガォォンとほえました。ライオンの声です。
「オーダ!!」
とオリバンやセシルは声をあげました。人影は黒い鎧を着たオーダだったのです。岩壁の中腹に仁王立ちになり、両手には風の魔力を持つ疾風の剣を握っています。
「飛竜一掃旋風剣!」
とオーダは敵味方へ高らかに宣言すると、足元の吹雪に向かって続けました。
「って技名はどうだ? いけてる名前だろう?」
ガゥン?
と白いライオンは首をかしげました。敵が飛竜じゃなかったらどうするんだ? とでも尋ねたのかもしれません。
山の上にオーダが登って風の剣を使うようになったので、飛竜部隊はますます攻めあぐねるようになりました。乗り手が落ちた飛竜は、身をひるがえしてどこかへ逃げてしまいます。
「そぉれ、もう一丁、飛竜全滅旋風剣!」
とオーダはまた魔剣を振って敵へ突風を送り込みました。技名が微妙に違っていますが、そんなことは気にしません。
敵はなんとかそれをかわすと、オーダがいるのとは反対側の山へ近寄りました。そこにはオーダの風も届かなかったのです。空中で羽ばたきながら、砦の魔法使いたちの隙を狙い始めます。
すると、そんな飛竜の頭上から矢が降ってきました。竜の上にいる乗り手をまともに襲います。いつの間にか、守備隊の弓矢部隊の一部が山の頂上近くまで登っていたのです。竜より高い位置から射撃を始めています。
革の鎧は軽量なので竜に乗るには良いのですが、矢を防ぐことはできません。矢の直撃をくらった乗り手が二、三人、また竜から落ちていきました。すでに十頭ほどの飛竜が撃墜されたことになります。
「行けるぞ! このまま峠を守り切れ!」
とオリバンは守備隊全体に言いました。今はまだ出番がない歩兵部隊も、油断なく戦況を見守り、白兵戦の機会を待ち構えています。
飛竜部隊と砦の攻防戦は激しさを増しつつありました――。