イシアード国から飛び立った飛竜部隊は、ホルド国の上空を通過してテト国に入り、山脈と山脈の間の峠を抜けようとして、オリバンたちの砦に気がつきました。ごうごうと吹きすさぶ風の音に混じって、角笛の音が聞こえてきたからです。
先頭集団にいた伝令兵が、後方の大将の元へ駆けつけて報告します。
「行く手に敵を発見しました！ どういたしましょう！？」
数え切れないほどの飛竜が兵士を乗せて飛ぶ中、大将は翼が生えた馬に乗っていました。色が白ければペガサスですが、この馬は体が灰色でたてがみと尾は黒、翼はコウモリのような形をしています。大将自身は黒ずんだ紫水晶の鎧兜を着ていました。――セイロスです。
もう一頭の翼の馬で横を飛んでいたギーが言いました。
「地上に見張りがいたのか？ だが、空に攻撃することはできないだろう」
逞しい体に飾り気のない鎧と青いマントを着て、金髪の頭に二本角の兜をかぶった青年です。
セイロスは行く手を見つめてからギーに言いました。
「いや、どうやら敵は我々が通過する峠に陣取っているようだ。この飛竜は飛距離は長いが、あまり高い場所を飛ぶことができん。敵の矢が届くかもしれないな」
そこへもうひとりの人物が姿を現しました。白い服を着込み、長い前髪で顔の半分を隠したランジュールです。セイロスに並ぶと、不満そうに言います。
「しょぉがないじゃないかぁ！ 元々飛竜ってのは長くは飛べないし、高くも飛べない生き物なんだからねぇ。ボクが訓練に訓練を重ねて、これだけ長く飛べるようにしたんだから、それだけでもすごいと思ってくれなくちゃぁ」
すると、ギーがランジュールに言い返しました。
「イシアード王にセイロスの手紙を運んで、路頭に迷っていた裏竜仙境の連中を保護させたのは俺だぞ。その連中に飛竜の卵を預けたのも俺だ。おまえだけの手柄じゃない」
彼はセイロスの副官ですが、セイロスの周囲でちょろちょろするランジュールをおもしろく思っていないのです。
ランジュールは飛びながら肩をすくめました。
「そりゃぁ、飛竜の卵を孵化させることができるのは竜仙境の人間だけだよぉ。裏竜仙境の人たちは、そうやって育てた飛竜をこっそりサータマンに売ってたから、ユラサイの皇帝に里を潰されたんだよねぇ。そこの住人をイシアードの王様に保護させたのはセイロスくん。住人に特別な卵を預けて飛竜を増やすように命令したのもセイロスくん。だ・け・ど・ねぇ。ボクがその飛竜たちを訓練しなかったら、こぉんなすごい飛竜部隊は作れなかったんだよぉ？ ホントに苦労したんだからさぁ。二百頭だよ、二百頭。そんなにたくさんの飛竜を一度に訓練したボクの身にもなってよねぇ。夜も寝ないで特訓したから、ボクのお肌は寝不足でよれよれのぼろぼろになったんだからぁ」
「おまえは幽霊だ。寝不足なんか無縁なはずだろう」
とギーが大真面目で反論しますが、ランジュールはこれ見よがしに手鏡を取り出しました。あらやだ、こんなところにシミが、とわざとらしく頬に手を当てます。
「ランジュールを相手にするな」
とセイロスはギーに言ってから、改めて自分の周囲へ目を向けました。二百頭の飛竜が武装した兵士を乗せて空を飛んでいます。彼がイシアード国で密かに準備していた、新たな戦力です。
ことの始まりは、セイロスがサータマン王と手を組んだときのことでした。
サータマン国は非常に大きな軍事力や財力を有していますが、一番厄介なロムド国を攻め落とすには、地理的にあまり良い場所にありませんでした。ロムド国の南に位置していたので、間には光の魔法使いたちが守るミコン山脈が横たわり、それを迂回しようとすると、同盟国のエスタ国やザカラス国との交戦が避けられなかったのです。
先に彼が手を組んだメイ国の軍師チャストは、東のエスタ国で騒動を起こしながらロムドを西から攻める作戦を立案しました。その作戦自体は失敗に終わり、チャストも処刑されましたが、チャストの戦略はセイロスに大いに参考になりました。彼が戦っていた二千年前には見られなかった、大がかりな陽動戦法だったのです。
セイロスは自分でもこの戦法を使ってみようと考えました。サータマンがロムドを攻めると見せかけながら、背後からロムドを襲おうとしたのです。どの国に協力させるか思案していたところに、面白い情報が飛び込んできました。サータマン王が各地に放った間者のひとりが城に戻ってきて、裏竜仙境の住人がイシアード国に逃げ込んできた、と報告したのです。
サータマン王はセイロスと手を組めたことに舞い上がっていて、そんな報告は右から左へ聞き流しましたが、セイロスはこれを好機と見ました。サータマン城にはまだ二、三頭の飛竜が残っていて、飛竜が産んだ卵がいくつか保存されていたのです。サータマンの人間にそれを孵化させることはできませんが、裏竜仙境の人間であれば飛竜にすることが可能です。
セイロスはギーに書状と飛竜の卵を託して、イシアードへ送り出しました。
「サータマンの後ろ盾で、イシアードに世界最強の飛竜軍団を作ってやる。裏竜仙境の住人を保護して飛竜を増やせ。私に協力してロムド国を壊滅することができたら、おまえを新しいロムド国王にしてやろう」
とイシアード王に持ちかけたのです。
イシアード国は長年エスタ国の属国でしたが、先に反乱を起こしたクアロー王のように、イシアード王もチャンスがあれば自分の国を独立した大国にしたいと考えていました。ギーが飛竜の卵を持ってきたことも、イシアード王の心を大きく揺さぶりました。
イシアード王は裏竜仙境の住人を抱え込み、国内に飛竜の一大飼育場を作りました。セイロスが預けた卵は魔法がかかっていたので、産まれてきた飛竜はわずか数日で大人になり、また新しい卵を産みました。そこからかえった飛竜も、やはり数日でまた卵を産みます。監督役としてイシアードに残留したギーの下、飛竜はどんどん増えていき、最終的には二百頭もの飛竜の群れができあがったのです。
その間、セイロスはサータマン王と協力してグル神を従属させ、疾風部隊と共に神の都ミコンへ攻撃をしかけました。フルートたちがミコンの魔法使いたちと協力して戦い、ついにセイロスたちを撃退したのは、記憶にまだ新しいところです。
そのとき、セイロスは兵を全て失い、ランジュールだけを連れて逃げたのですが、実際にはさほど痛手を感じていませんでした。彼が攻撃の主力と考えていたイシアードの飛竜部隊は、着々と準備が進んでいたからです。
セイロスはすぐにイシアードへ飛ぶと、ランジュールに飛竜の飛行訓練を命じました。従来の飛竜は飛べる距離が短いので、戦場の近くまで馬車で運ぶ必要があります。そうなるとロムド国にたどり着く前にエスタ国と戦闘になって、せっかくの飛竜を減らしてしまう心配があったのです。さらに、時間もかかるので、ロムドに防戦準備の余裕を与えてしまいます。飛竜の飛距離を伸ばすことは喫緊（きっきん）の課題でした。
ランジュールが飛竜たちを軍竜として鍛える間、セイロスは再びサータマン王と接触して、必要な装備や武器を要求しました。イシアード国内だけでは準備できなかったし、他国から買い集めようとすると、「イシアードに開戦の動きあり」と周囲の国々に知られてしまうからです。
セイロスはまた、馬や頑丈な装備もサータマン王に準備させていました。こちらはイシアードの地上部隊を増強するための支度です。飛竜部隊で一足飛びにロムドを襲撃した後、混乱に乗じて地上からも大軍で攻め込む――これがセイロスの考えた作戦でした。
今、彼の飛竜部隊はイシアード国を飛び立ち、ホルド国、テト国の上空を過ぎて、エスタ国との国境の峠を抜けようとしていました。エスタ国の上空も越えれば、いよいよロムド国です。
ここまでなんの抵抗にも遭わずに進軍してきたのですが、峠に敵が陣取っているという報告が、先頭から届きました。予想外の伏兵です。
先ほどセイロス自身が言ったように、飛竜はあまり高く飛ぶことができません。時間が足りなくて、ランジュールもそこまで鍛えることはできなかったのです。峠の左右には高い峰が連なっていました。飛竜には飛び越せない高さなので、先へ進むには、どうしてもその峠を抜けなくてはなりません。
セイロスは行く手の峠を見据えながら命じました。
「第一部隊、峠の敵を壊滅しろ。邪魔者は排斥するのだ」
「了解！」
伝令兵が飛竜の向きを変えて先頭へ戻っていきました。じきに先を行く飛竜たちが高度を下げ始めます。
それを見ながら、ギーが言いました。
「飛竜部隊の初陣（ういじん）だな」
「ボクの飛竜は強いからねぇ。敵さんはびっくり仰天するだろうね。かわいそうにぃ。うふふ……」
ランジュールは楽しそうに笑います。
ふん、とセイロスも笑いました。予定外の戦闘ですが、飛竜部隊の実戦練習にはちょうどいい、と考えたのです。
峠にオリバンの率いるロムド軍が陣取っているとは、さすがのセイロスもまだ知ることはできませんでした――。
