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第24巻「パルバンの戦い」

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40.知り合い・2

 宿の一室で待っていた女性をユギルが「母上」と呼んだので、ゴーリスもリーンズ宰相もロムド王も仰天しました。思わず駆け寄り、ユギルに抱きついている女性をのぞき込んでしまいます。

 すると、女性のほうでも驚いたように顔を上げました。派手なドレスや帽子からは想像できないほど老けた女の顔が現れます。昔は美人だったのかもしれませんが、今は口元や目元に無数のしわが寄り、黒髪にも白いものがたくさん混じっています。ユギルと違って白い肌ですが、不健康そうな青白い色は厚塗りの化粧でも隠し切れません。全体にくたびれきった感じの女性で、それが実際の年齢より彼女を老けて見せていました。

「ユギル殿の母上だと……?」

 とゴーリスが尋ねると、ユギルはおもむろに自分を女性から引き離しました。

「はい、左様でございます。大変残念なことですが」

 と皮肉な声で答えます。

 女性はゴーリスたちを落ち着きない目で見定めていましたが、じきに納得したようにうなずきました。

「あんたが働いているお城の人たちだね? まあ、立派な殿方ばかりだこと。まるで雲の上に住む方たちみたいじゃないか。こんな方たちと一緒に働いているんじゃ、あたしが現れてさぞ迷惑だろうねぇ、ユギル――」

 声に、ちらっと計算高い響きが混じりました。貧しい自分を卑下しているのではなく、そのことで何かを企んでいるような声です。

 たちまちゴーリスや宰相はうさんくさそうな顔になり、ロムド王はじっと彼女を見つめました。全員が厳しい目で観察を始めます。

 

 ところが、母親はハンカチを取り出すと、目に押し当てて、よよと泣き出しました。

「ああ、しかたないよね。あたしはおまえが五つのときに生き別れたきりなんだもの。でもね、ユギル、おまえが家からいなくなったとき、あたしは本当に探し回ったんだよ。街の隅から隅まで走り回って、見つからないから隣町まで行って、人に聞いて回ったんだよ。だけど、あんたの行方はわからなかったから、港から海に落ちたんじゃないか、ってことになって、泣く泣くあきらめたのさ。それが無事に生きていて、しかもこんな立派な方たちと一緒に働くような身分にまで出世していたなんて! ああ、こんな嬉しい日が来るなんて、夢にも思わなかったよ……!」

 よよよ、と母親はまた声をあげて泣きました。ハンカチでしきりに涙をぬぐっています。

 すると、ユギルは冷ややかに言いました。

「あなたが探していたのは、わたくしではなく、わたくしが持ち出した金でございましょう。あなたはわたくしを見ず知らずの貴族に金貨十五枚で売り渡す約束をされた。そのときに支払われた金を、わたくしが持ち出して逃げたので、金を取り返してわたくしを貴族に引き渡さなければならなかったのです」

 とたんに母親は悲鳴を上げてハンカチを放り出しました。その目は少しも涙を溜めていませんでしたが、手を握り合わせ、腕をよじりながら訴え始めます。

「それは誤解だよ、ユギル! あたしはね、あの男に『あんたの息子を引き取って一人前に育ててやろう』と言われたんだよ! 『あんたは貧しくて息子を育てきれないだろう。私は彼を学校に行かせるし、成長したら自分の屋敷で使ってやるつもりだ』と言われてね。あんたの幸せのためになら、そうしたほうがいいだろうと思って、泣く泣くあんたを手放すことにしたんだよ。だけど、それがどんなにつらいことだったか――」

 けれども、ユギルは話をさえぎって言いました。

「当時からわたくしに先を見る力があったことは、あなたもご存じだったはず。あの男はわたくしを傷つけ、めちゃくちゃにしようと企んでおりました。わたくしはあの男に殺されたかもしれないのです。わたくしは泣いて懇願しましたが、あなたは顧みようともなさらなかった。あなたがしたことは、わたくしが逃げ出さないように部屋に鍵をかけ、前払いされた金で好きな酒を買って酒盛りをすることでした。ですから、わたくしはあなたが酔いつぶれてから、あなたが隠した鍵を見つけ出して、家を逃げ出しました。テーブルの上の金を全て持ち出して。その後、あなたがあの男にどのような目に遭わされるか、わたくしにはわかっておりましたが、同情する気持ちにはなりませんでした」

 とたんに母親は顔を歪めました。鬼のような形相でユギルをにらみつけ、自分の首筋を押さえます。そこには古い傷痕がのぞいていました。襟のあるドレスを着ても隠しきれない大きな傷があったのです。ユギルに逃げられたことを知った貴族が、激怒して彼女に負わせたものに違いありません。

 

 ユギルはそれでも冷静な顔のままでした。よそよそしさを隠そうともせずに、母親へ話し続けます。

「あなたがなんのためにわたくしを訪ねてこられたのかも、わたくしにはわかりました。あなたは今、大変金に困っていらっしゃる。そこへわたくしの噂が流れてきたものだから、金になるかもしれない、と考えて、はるばるボーチェナからこのロムドまでおいでになったのです――。五歳の時のわたくしの値段は金貨十五枚でした。あれから二十五年がたとうとしておりますので、その分の利子もつけて、わたくしはあなたに金貨百五十枚をお支払いしましょう。この金額でわたくしは、わたくし自身をあなたから買い取りたいと思います。いかがですか?」

「金貨百五十枚!!」

 と母親は言って絶句しました。隣にいた男も金額の多さに驚いています。母親はひどく疑わしそうにユギルを見ました。息子との再会を喜ぶ演技は忘れてしまっています……。

 すると、ユギルは長衣の隠しから小さな革袋を取り出しました。革紐をほどきながら話を続けます。

「わたくしは普段は財布を持ち歩かないのですが、今日に限って、こうして持っておりました。あなたがここに現れることは知らずにおりましたが、虫の知らせがしていたのかもしれません。前金として、ここにあるだけの金をあなたにさし上げましょう――」

 ユギルが傍らのテーブルの上で袋を逆さにすると、中から金貨がこぼれて山積みになりました。ランプの明かりを返して金色に輝きます。

 母親は金貨とユギルを見比べました。まだ迷いと疑いが入り交じった表情をしているので、ユギルは重ねて言いました。

「どうぞ、母上。残りの金貨は後ほど、あなたが泊まっている宿へ届けさせていただきますよ」

 ついに女は息子から金へ走りました。テーブルにしがみつき、震える指で金貨を数えて言います。

「十五枚!」

 それをまた数え直し、さらにもう一度数え直してから、女は興奮したように言いました。

「お詫びに金貨百五十枚を支払うと言ったよね? 残りは百三十五枚だ。ちゃんとそれも支払うんだろうね?」

 ユギルはまた冷笑しました。

「そうお約束いたしました。ここにいらっしゃる方々が証人です。安心して宿へお戻りください」

「こ――こっちにもちゃんと証人はいるからね! 後でごまかそうとしたって無駄さ! そんなことをしたら城に乗り込んでいって、あんたの素性を王様の前でぶちまけてやるから!」

 それは……とリーンズ宰相は思わず口をはさもうとしましたが、ロムド王が引き留めて首を振りました。自分の正体を明かす必要はない、と告げたのです。ゴーリスはこみ上げてきた笑いをかみ殺すのに苦労しています。

「ご安心ください。お約束は守ります」

 とユギルは言って、女が金をかき集めて袋に戻すのを眺めていました。冷静そのものの表情をしていますが、女が財布をしまい込もうとすると、また口を開きました。

「あなたはわたくしに母親らしいことは何もなさらなかった。ですが、あなたがわたくしに命を与えてくださったので、わたくしはこうしてこの世界に生きております。その恩に一度だけ感謝をさせていただきましょう――。その金を受け取ることは、なさらないほうがよろしい。それは、あなたがなさってきたことの『つけ』を支払う金です」

 女はたちまち険しい顔になると、奪い返されるのを恐れるように財布をスカートの隠しに突っ込み、さらにそれを押さえながら言いました。

「なんだい、金を払うのが惜しくなったのかい、ユギル!? あんたは立派な旦那方の仲間入りをしたんだから、ケチな根性は起こすんじゃないよ! あんたの正体を王様にばらされたくなかったら、残りの金もすぐに準備しな! いいかい、三日以内だよ! それ以上は待たないからね!」

 言うだけ言うと、女は部屋にいた男を引き連れて出ていきました。まるで逃げるような勢いで宿から飛び出していきます――。

 

 ふぅ、とユギルは溜息をつくと、顔にこぼれかかっていた長い前髪をかき上げました。

「こんなことのために心乱されていたとは、わたくしもまだまだ未熟者ですね……」

 とつぶやいて苦笑を浮かべます。この部屋に入って初めて見せた、表情らしい表情でした。

「ユギル」

 とロムド王が声をかけると、彼は改めて王たちに向き直って頭を下げました。

「大変見苦しい場面をお目にかけて、申しわけございませんでした。これにてこの一件は落着でございます」

 そう言ったユギルは、怒りも悲しみも落胆もまったくない、乾ききった声をしていました――。

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