突然現れた男が「俺たちはパルバンの番人だ」と言ったので、フルートたちは驚きました。あまりあっさり言われたので、拍子抜けして、あっけにとられたほどです。
「パルバンの番人って……じゃあ、パルバンはこの近くにあるのかい?」
とメールが尋ねると、緑の毛皮を着て怪物のような格好になった男は、肩をすくめ返しました。
「近いと言えば近いが、遠いと言えば遠いな。二の風が吹くたびに、遠くなったり近くなったりするからな」
「二の風?」
と一同は聞き返しましたが、レオンとフルートにはすぐにぴんときました。
「場所が入れ替わるときに吹く風のことだな? 二の風と呼ばれるのか」
「二の風があるということは、一の風もあるってことですよね? ひょっとすると、普通に吹く風が一の風で、場所が入れ替わるときに吹く風が二の風なんですか?」
すると、緑の男は角が生えた頭をかしげました。
「なんでそんなことを聞くんだ? 当たり前のことじゃないか」
「いや、全然当たり前じゃねえって! もう少し詳しく話せよ、おっさん!」
とゼンがどなりましたが、男は相変わらず首をかしげています。
「なんだ、おまえらはそんなことも知らないのか――。もちろん、一の風はそのへんを吹き回っている風のことだ。枯れ葉を吹き飛ばしたり、木を揺らしたりするな。二の風は所替わりの風だ。こいつが吹くといろんな場所に飛ばされるから、二の嵐の時期には目的地に着くのは難儀だな」
二の嵐……とフルートたちは繰り返しました。ことばから察するに、二の風が吹き荒れる時期があるのでしょう。そうなれば、きっとしょっちゅう闇大陸の場所が入れ替わるのですから、その中を移動するのは困難になりそうです。
「ねえ、今は二の嵐の時期なの?」
とルルが尋ねると、男は答えました。
「いいや。今は一番穏やかな時期だ。あと数日もすれば、ものすごい勢いで二の風が吹きまくるようになるぞ。そんなときに外にいたら、目が回って湖に落っこちちまうだろう。おまえらはモジャーレンの毛皮を着ていないから、湖に出たらすぐに沈むぞ」
「モジャーレンの毛皮って、あなたが着ているそれ? それを着ていると水に沈まなくなるの?」
とペルラも聞き返しました。本当に、この男の話は聞き返さずにはいられないようなことばかりです。
「もちろんそうだ。水に落ちると毛がふくらんで浮かぶからな。おまえらも湖に落ちないうちに、早いとこモジャーレンを仕留めて毛皮を着たほうがいいぞ」
「もう落ちたぜ。筏で湖を越えてきたんだ」
とゼンは憮然としながら言いました。毛皮を着た格好でこれ見よがしに胸を張っている男に、猟師のプライドを刺激されたのです。モジャーレンという怪物はどんな奴で、どうやって仕留められるんだろう、などと密かに考えます……。
一方、フルートはパルバンについてを考え続けていました。
しばらく口元に手を当てて黙り込んでから、五万五千五百五十五と名乗った男に尋ねます。
「あなたたちはパルバンの番人だと言いましたよね。パルバンに近づく者を追い返すの決まりだったって。どうして人はパルバンに近づいちゃだめだったんですか? 何故、今はそれが良くなったんでしょう?」
パルバンにはデビルドラゴンが自分の力を分け与え、光の軍勢の手によって隠された「竜の宝」があります。彼らがそれを守る番人だったのだろう、という予想は簡単につきますが、今はもう守らなくて良くなったというのは、ただごとではない気がします。真剣に答えを待ちますが、男の返事はのんびりしたものでした。
「どうして追い返したかって? そりゃぁ、そういう決まりだったからだよ。どうして追い返さなくて良くなったかって? そりゃもちろん、決まりが変わったからさぁ」
全然要領を得ません。
一同は思わず頭を抱えましたが、フルートはあきらめませんでした。
「あなたはその理由を知らないんですか? じゃあ、そのあたりの事情に詳しい人はいませんか? ぼくたちはパルバンに行きたくてここに来ました。パルバンについて、もっと詳しく知りたいんです」
すると、男は毛皮のフードを脱いで、びっくりした顔でフルートを見つめてきました。
「パルバンに行きたいだって!? とんでもない、やめとけやめとけ! あそこには常に三の風が吹き荒れてるんだ。生きて帰ってきたヤツはいないんだぞ!」
物騒な話に一同はまた顔を見合わせてしまいました。一の風は普通の風、二の風は場所が入れ替わる風、それじゃあ三の風はどんな風なんだろう、と誰もが考えますが、予想ができません。
フルートは根気よく繰り返しました。
「パルバンについて詳しく話せる人はいませんか? 会って話が聞きたいんです」
男は毛皮の手で頭をかきました。指先に鋭い爪がついた怪物の手です。
「そういうことなら、五万五千四百七十一がいいかな。俺たちの中で一番年上で、一番物知りだからな。俺は若いほうから二番目だから、確かに、あんまりいろんなことは知らないんだ。ついてこい。運が良ければ、夜になる前にマドに着けるだろう」
「マドって?」
と今度はシィが聞き返しました。
「マドはマドだ。俺たちはそこから外に出て、そこで寝るんだ」
「つまりマドは家か。なんだか本当にややこしいな」
とビーラーが溜息をつきます。
けれども、ややこしくてもなんでも、今はこの男の後についていくしかありませんでした。
男はまた毛皮のフードをかぶり直し、槍を肩に担いで歩き出しました。フルートたちが続きます。
歩く間もフルートは質問を続けました。
「さっきぼくたちを襲ったのは仮面の一族でしたよね? あの人たちはどこに住んでいるんですか?」
「仮面の連中のマドはアシノハラにあるよ。俺たちのマドはソウゲンの中だ。翼の一族はコウザンにマドがあるし、うろこ鎧の一族のマドはガケノシタだ」
「あん? 他にもパルバンの番人たちがいるのかよ?」
「ワン、その場所ってひょっとして、葦の原、草原、高山、崖の下――ですか?」
「いったい何人ぐらい住んでんのさ、ここに!?」
一行が驚いて聞き返しますが、相変わらず毛皮の男の返事は要領を得ませんでした。
「もちろん番人は他にもいるさ。なにしろパルバンは広いからな。何人いるかなんてわからんよ。みんな死んでなきゃ今でも生きてるだろう」
「なんだか頭が痛くなってきそう」
とペルラがつぶやいて、本当に頭に手を当てました。シィが足元でうなずいています。
レオンも肩をすくめましたが、次の瞬間、はっと顔を上げました。遠くから色の違う風が迫ってくるのが見えたのです。
すると、毛皮の男も言いました。
「そぉら、二の風だ。みんな、気をつけろよぉ」
二の風は場所が入れ替わるときの風です。フルートたちはあわてて一カ所に集まりました。はぐれてしまっては大変なので、毛皮の男にぴったりと身を寄せます。
「なんだ、おしくらまんじゅうでもするのか?」
と男が笑います。
そのとたん、彼らのいる場所を涼しい風が吹き抜けていきました。
一同の髪や毛を吹きなびかせて、左手から右手へ吹き抜けていきます。
「ああ、この向きなら湖じゃぁない」
男がのんびりとつぶやきます――。
すると、あたりの景色が薄れ始めました。
草や木の間に大岩がごつごつとせり出している山が、たちまちかすんで見えなくなっていきます。足元に広がる岩だらけの地面も、けむるように消えてしまいます。
代わりに広がったのは、白と黒の景色でした。気温が一気に下がって、空気が突き刺さるように冷たくなります。
彼らの周囲に現れたのは、降り積もった雪におおわれた冬枯れの森でした。黒い木の幹が天に向かって柱のように伸び、腐って倒れた木が横たわる上に、白い雪が十センチくらい積もっています。完全におおい尽くすほどには降り積もっていないので、雪のある場所とない場所が、白と黒のモノトーンの景色を描き出しているのです。
「冬になった!」
とレオンが驚くと、毛皮の男がまた言いました。
「ここはユキノモリだ。ここの中はどこもこんな風に雪が積もってるぞ」
「ワン、雪の森か……」
とポチがつぶやきます。
白と黒の景色の中を風が吹き抜けていきました。これは普通の風でしたが、降り積もった粉雪を巻き上げ、雪煙になって吹きつけてきたので、一行は思わず声をあげました。たちまち全員が真っ白になってしまいます。
ゼンは顔をしかめて頭の雪を振り落としました。
「ったく。なんてところだよ、ここは――。おい、フルート、おまえのマントを貸してくれ。このままじゃメールが凍えちまわぁ」
そこで、フルートはすぐに自分のマントを外して渡しました。袖なしシャツに半ズボン、編み上げサンダルという格好だったメールは、それをはおって、ほっと息を吐きます。
ところが、メールだけでなく、ペルラも寒さに震えていました。彼女はメールと違って長袖長ズボン姿でしたが、薄い生地の服だったので、寒気を防ぐことができなかったのです。
ペルラに貸してあげられる服がないので、フルートは困ってしまいました。ロムド城を出てきたときには真夏だったので、誰も余分な服など持ってきていません。ポポロも心配そうにペルラを見ていました。彼女自身は厚手の上着にズボンと厚地のスカートを重ね着して、とても暖かそうな格好ですが、これは星空の衣が気候に合わせて変わったものなので、脱いで貸すことができなかったのです。
「なによ、心配なんかしないで。全然寒くなんてないわよ」
とペルラは強がりましたが、体は震え続けていました。唇はもう紫色です。
すると、レオンが自分の黒い上着を脱いでペルラに放りました。
「これを着ろよ」
ペルラは驚きましたが、それ以上にルルとポポロが驚きました。
「レオンは自分の服を貸してあげられるの!?」
少年は肩をすくめ返しました。
「ぼくの星空の衣は、今着ているシャツとズボンだけだ。その上着は誰でも着られるさ」
「い――いらないわ。大丈夫よ」
とペルラは言い張りましたが、フルートは厳しい声で言い渡しました。
「着るんだ、ペルラ! 寒さの中を薄着でいたら、そのうちに体温が下がりすぎて動けなくなる! 最悪の場合には死ぬんだぞ!」
「わ、わかったわ……そんなに怒らないでよ」
フルートに叱られて、ペルラはあわてて上着を着ました。とたんに震えは止まりましたが、しょげた顔で上着の襟元に顎を埋めてしまいます。そんなペルラをレオンが見つめていましたが、彼女のほうは気がつきませんでした。
「もういいか? 出発するぞぉ」
と緑の毛皮の男が言って、また歩き出しました。
白と黒の雪景色の中を行く彼は、角を生やした緑の怪物にしか見えません。
フルート、ゼン、マントをはおったメール、ポポロ、レオン、レオンの上着を着たペルラ、そして犬たち。一行は、怪物のような男の後について、雪の森の中を進んでいきました――。