シィが傾いた筏の上を滑り落ちていくので、一行は真っ青になりました。
「シィ!! シィ!!!」
ペルラが狂ったように呼んでいますが、彼女の手はもうシィには届きません。
他の仲間たちも、筏から手を放せば落ちてしまうので、助けに行くことができませんでした。
ぶち犬の小さな体が筏の端から飛び出しそうになります――。
そこへレオンの声がしました。
「レマードトニバノーソ」
銀の星が散ってシィへ飛びました。レオンが魔法を使ったのです。相変わらず威力は弱まっていますが、それでもシィの落ちる速度が鈍くなります。
「今だよ、蔓草! シィを捕まえとくれ!」
とメールが言うと、丸太と丸太を縛っていた蔓がするする伸びてシィに絡みつきました。それでやっとシィが完全に止まります。
一同は本当にほっとしました。ペルラが筏にしがみついたまま泣き出してしまいます。
ゼンは崖を見上げました。
「ったく。こんな格好、長く続けられるかよ――。おい、メール、俺の背中につかまれ。筏を引き上げるぞ」
「わかった」
ゼンに抱えられていたメールは、ゼンの首に腕を回して背中に移動しました。メールは体重が軽いしゼンは力があるので、まったく危なげありません。
ゼンは両手で筏につかまると、横移動して筏の隅まで行きました。そこから崖へ伸びる蔓を手がかりに、筏の端に立ち上がると、矢筒から矢を抜いて手に構えます。
「ふんっ!」
ゼンが思いきり投げつけると、矢は崖の岩の隙間に突き立ちました。
「蔓草、行っとくれ!」
とメールが言うと、下がっていた筏の隅から蔓が伸びて、ゼンが刺した矢に向かっていきました。確かめるように二、三度軽く絡まってから、本格的にしっかりと絡みつきます。
「上げとくれ。ゆっくりだよ」
とメールがまた言うと、新しく絡まった蔓がじりじりと縮まり始めました。それと同時に筏の角が持ち上がっていきます。やがて筏が平らになってきたので、一行はしがみついていた手を放しました。ついに完全に水平になると、メールがまた呼びかけます。
「ありがとう、蔓草! もういいよ!」
とたんに動きも止まりました。筏は切り立った崖の中程に、四本の蔓草で棚のようにつり下げられています。
全員は思わず大きな息を吐きました。フルートとポポロとレオンは腕から犬を放し、ゼンはメールを背中からおろします。
ペルラはシィに駆け寄って、蔓から解放された小犬を抱きしめました。
「シィ! シィ……!」
新たな涙がまたこみ上げてきて、それ以上ことばになりません。
「ありがとう、レオン。助かったよ」
とフルートに礼を言われて、レオンは複雑な顔になりました。挫折感が強くにじむ表情で目をそらします。
「ぼくが助けたわけじゃない。シィは軽いからぼくの魔法でも止まったけれど、本当にシィを助けたのはメールだからな」
「え、違うだろ? それはレオンが――」
とメールが言いかけると、いきなりペルラが大声を出しました。
「そうよ、レオンのおかげよ! ありがとう!」
その勢いに一同はびっくりしました。レオンも目を丸くしていると、ペルラが駆け寄ってきてレオンの手を握りしめました。
「レオンがとっさに魔法をかけてくれたから、シィは落ちずにすんだのよ! そうでなかったらメールの蔓草も間に合わなかったわ! どうもありがとう! あなたって高慢ちきで嫌な奴だとばかり思ってたけど、本当はけっこう優しいのね!」
そのあけすけな物言いに、レオンはますます面食らいました。若干気になる表現は混じっていましたが、そんなことも気にならないくらい、素直な感謝が伝わってきます。
ゼンがあきれたようにメールに言いました。
「おまえもペルラも本当に気が変わりやすいよな。ついさっきまで怒ったり泣いたりしていたって、あっという間に機嫌を直すんだからよ」
「それがなんだってのさ? これが海の民の性分なんだからしょうがないじゃないか」
とメールが口を尖らせます。
レオンは赤くなりながらペルラの手をふりほどきました。
「べ、別に、大したことじゃないって。まったく大袈裟だな」
そう言いながら、ちらりと横を見ます。確かめるような視線の先にはポポロがいて、笑顔でレオンたちを見守っていました。レオンが憮然とした表情になって目をそらします。
レオンの前にいたペルラは、そんな彼の変化に気がつきました。そっぽを向いているレオンと、何も気づいていないポポロを見比べ、改めて彼を見つめてしまいます――。
すると、崖を見上げていた犬たちが話しかけてきました。
「レオン、ちょっとあそこを見てくれないか?」
「ポポロもよ。崖の右上のあたり」
「ワン、あそこに洞窟みたいなものが見えるんですよ」
洞窟!? と一行は驚きました。すぐにポポロとレオンが魔法使いの目で確かめ、興奮した声をあげます。
「本当! あれは洞窟の入り口よ! ずっと奥まで続いてるわ!」
「しかも地上に続いているような感じだ! 出口に生えた草が、中から吹き出してくる風に揺れてるぞ!」
「よし、そこを通って脱出を試みよう」
とフルートは即断しました。ここは地上まで百メートルもある場所です。もちろん下には行けませんが、上にも何十メートルも岩壁が続いているので、どうやったら上がれるだろう、と先ほどから悩んでいたのです。
「だが、どうやって行く? 俺とおまえとメールはなんとかなっても、他の連中はあそこまでだって難しいぞ」
とゼンが言いました。洞窟の入り口までは直線距離で十メートル足らずの距離でしたが、ほぼ垂直の岩壁になっているうえに、足がかりになるような段差もほとんどないので、ポポロやレオンやペルラ、まして犬たちには、とても登れそうになかったのです。
「ここからあそこまで蔓草で縄ばしごをかけよう」
とフルートは答えました。どんな状況にも決してあきらめない声です。
メールはうなずきました。
「だね。さすがに崖の上まではしごをかけるのは無理だけど、あのくらいの距離なら、今ここにいる蔓草たちで大丈夫だと思うよ。ゼン、あの洞窟までまた矢を撃ち込んどくれよ。そしたら蔓草に行ってもらうからさ――」
それから十分後、崖の中腹の筏から洞窟の入り口まで二本の太い蔓が張り渡され、その間に細い蔓が横に絡みついて、長いはしごが完成しました。斜めに張り渡されているので、はしごと言うより、蔓草でできた吊り橋のようにも見えます。
身軽なメールが真っ先に渡って、分岐させた蔓草の先端を付近の岩にも絡みつかせたので、橋はさらに強固になりました。フルートたちと犬たちが次々に渡っていっても、びくともしません。
とうとう全員が洞窟の入り口に登り切ると、メールは蔓草に言いました。
「お疲れさま。いろいろホントにありがとう。あとはゆっくり休んでいいからね」
すると、眼下にぶら下がる筏から、蔓草がするするとほどけ始めました。こちら側の先端は岩壁に伸びて根を張り始めます。
蔓がほどけた筏は丸太に戻り、崖の下へ次々に落ちていきました。やがて筏は完全に分解して消え、蔓草だけが岩壁にへばりついて緑の葉を広げ始めます――。
「ありがとう」
フルートも蔓草へ礼を言うと、すぐに洞窟に向き直りました。レオンが言うとおり、奥からは風が吹いてきます。
ポチとルルが鼻をひくひくさせました。
「ワン、地上の匂いがする」
「本当。土と緑の草の匂いね」
「よし、行ってみよう」
とフルートは言って、ペンダントを鎧の上に引き出しました。金の石が暗い洞窟の中を照らし始めます。
その淡い光を頼りに、彼らは歩き出しました。メールもゼンの腕にしがみついて歩いていきます。人が二人並んで歩けるくらい広い洞窟だったのです。
地上の匂いはしていても、行く手に出口の光はまだ見えません。暗闇に続く岩のトンネルを、一行は慎重に進んでいきました――。