崩れかけた石積みにはさまれた通路を、少年は歩いていました。
石積みには蔓草が這い、向こう側から木々の枝が伸びてきておおいかぶさっています。ここは古い造船所の跡でした。朽ち果てて人々から忘れられた、現代の遺跡です。
人気のない通路を少年は歩き続けました。汚れた服の上に古ぼけた布をマントのようにはおり、革と紐で作った自家製のサンダルを履いた、みすぼらしい格好をしています。肩まで伸びた髪も汚れてもつれていましたが、枝の間から射す日差しを浴びると、それでも、きらりと銀色に輝きました。本来はとても美しい銀髪なのです。
通路の果てには、昔、船を作っていた広い場所がありました。屋根はなく、地面には草や木が伸び放題ですが、片隅にまだ形を残した部屋がありました。やはり石壁が崩れかけていますが、上に木の枝や板を載せてあるので、雨風をしのぐことはできます。
少年はそこに近づくと、入り口へ呼びかけました。
「俺だ。戻ったぞ」
とたんに、入り口にかけられた布が、ぱっと跳ね上がって、そばかす顔の痩せた少年が出てきました。
「おかえり、ユギル! あいつらに見つからなかったかい!?」
彼はそばかすの少年をにらみつけました。
「誰に向かってそんなことを言ってるんだ、ギム。俺がそんなへまをすると思っているのか?」
右が青、左が金の色違いの目ににらまれて、少年が首をすくめます。
部屋の中に入っていくと、木箱や樽、丸太などを椅子代わりにして、数人の少年少女が座っていました。誰もが粗末な格好をして不安そうにしていましたが、ユギルを見ると、ほっと安堵の表情に変わります。
それを見回すうちに、ユギルは仲間がひとり足りないことに気がつきました。
「新入りがいないじゃないか。どこに行ったんだ?」
「町の様子を見てくるって言ってでかけたよ。憲兵がここを見つけたら大変だからって」
と樽に座っていた少年が答えたので、ユギルは眉をひそめました。
「町へ? それこそ危険だぞ。下町は憲兵でいっぱいなんだ。貧民窟から逃げ出した俺たちを見つけて、ひとり残らず始末しようとしてるんだからな」
「止めたさ。でも、自分はもう大人だから見つかっても平気なんだ、って言って、行っちゃったんだ」
「町に恋人がいて気になるから、様子を見てきたいんだってさ」
仲間たちが口々に話したので、ユギルは肩をすくめました。
「そういうことならしかたないか。隠れ家の引っ越しが終わって、ひとまず力仕事もなくなったからな。次の引っ越しまでに戻って来くるなら、どこにいてもかまわないさ」
「また引っ越すの、ユギル? ここもまた見つかっちゃうのか?」
そばかす顔のギムが言い、仲間たちもいっせいにまた不安な顔になりました。どこかから追っ手が現れるのではないか、と周囲を見回します。
ユギルは彼らの真ん中に立って、腰に手を当ててみせました。
「いいや、そういう占いは出なかった。ここにいれば憲兵には見つからないですむ、というのが俺の占いの結果だ。それを疑うわけじゃないだろう?」
少年少女たちは互いに顔を見合わせました。親に捨てられ、大人に裏切られ続けてきた子どもたちです。今また、大人たちが彼らを狩っているので、すっかり怯えてしまっています。
ユギルは、にやっと笑って、大きく両手を広げて見せました。
「俺が言ってるのはな、アズモス山の鉱山跡への引っ越しのことだ。このボーチェナの大人どもは、俺たちをゴミみたいに焼き捨てようとしてやがるからな。いっそ町を離れて山に移り住むんだ。そうすりゃ連中だってもう俺たちを捕まえられなくなる。それが俺の占いの結果なんだ」
「鉱山跡? でも、あそこはワルシたちの縄張りだろう?」
とまた別の少年が言うと、ユギルは、ちちち、と指を振りました。
「連中はもうすぐあそこを逃げ出すんだよ。あそこにも憲兵が来ると思って、国外に脱出するつもりなんだ。だが、そんなことは実際には起きない。連中は安全な隠れ家を捨てて逃げて行くのさ。もったいないから、俺たちで使ってやろうってわけさ」
仲間たちは身を乗り出しました。
「それじゃ、本当に鉱山跡に住めるのか?」
「そうだ」
とユギルは答えました。得意そうな声になっています。
「あそこには家がいくつも残ってるし、畑もあるっていうぞ。そこで暮らせるのか?」
「そうだ、みんなで暮らせる」
「あたしたち、もう、憲兵に追いかけられなくなるの?」
「ああ、追いかけられない」
「それは占いの結果なのか、ユギル?」
「ああ、そうだ! 鉱山跡に引っ越せば、あとはもう俺たちだけで安心して暮らせるぞ!」
胸を張って言いきるユギルに、仲間たちは歓声を上げました。抱き合って喜ぶ子たちもいます。
ユギルはその中のひとりに歩み寄りました。茶色っぽい赤毛に黒い瞳の、痩せた少女です。他の仲間たちが大声を上げて喜ぶ中、少女は黙ってにこにこと笑っています。ユギルはその隣に座ると、肩を抱き寄せて話しかけました。
「あそこに行けば、俺たちも二人だけの家が持てる。楽しみにしてろよ、ユーア」
「うん……」
ユーアと呼ばれた少女は、真っ赤になってうなずくと、幸せそうにユギルにもたれかかりました。仲間の少年たちが口笛を吹いてはやし立てます。
やがてユギルは少女の横から立ち上がりました。出口に向かって歩きながら言います。
「俺はちょっと鉱山跡の様子を見てくる。占いでは今夜ワルシたちが逃げ出すと出てるからな。おまえたちはここに隠れて待ってろ。食料や水はたっぷり運び込んであるし、ここにいれば大丈夫だからな」
「うん、わかったよ、ユギル」
「俺たち、ここで待ってるから」
と仲間たちは返事をしました。ユーアもユギルを見つめて言います。
「気をつけてね。怪我なんてしないように」
「おい、俺を誰だと思ってるんだ? 未来を見通す神の目を持つユギル様だぞ? 大丈夫に決まってるだろう」
ことさら自信ありげに言い切って、ユギルは隠れ家から出て行きました。その後を仲間たちが追いかけてきて、隠れ家の前で手を振ります。
「ユギル、気をつけて!」
「あたしたちみんな、待ってるよ!」
「ここで待っているから」
「きっと無事で戻ってきてね、ユギル」
「ユギル」
「ユギル、ユギル」
「ユギル――」
見送る声がいつの間にか呼び声に変わっていました。
しかも、少年少女ではなく、大人の男女の声のように聞こえます。
ユギルは驚いて立ち止まり、振り向いて愕然としました。
隠れ家の前で手を振っていたはずの仲間が、一瞬で消えてしまっていたのです。崩れかけた石壁の部屋はそのままですが、入り口にかけた布が大きく裂け、周囲には壊れた箱や樽が散乱しています。
「……!?」
ユギルは隠れ家に駆け戻りました。部屋に飛び込みますが、仲間の姿はありません。
「ユーア! ギム! バラン、ドルク、シャーリィ――!」
懸命に仲間たちの名を呼びますが、返事もありませんでした。外と同じように、壊れた箱や樽が散らばっているだけです。
「ユーア! ユーア――!?」
呼び続けるユギルの声に、また誰かの呼び声が重なってきました。
「ユギル……」
「ユギル……ユギル……」
「ユギル殿……」
やはり大人の男女の声でした。聞き覚えがあるような気もしましたが、彼は仲間を探し続けました。崩れた石積みの間を必死で歩き回ります。
すると、石積みの向こうに痩せた手が見えました。そばかす顔の少年が倒れていたのです。頭にひどい怪我を負って、そこからおびただしい血が流れ出ていました。服や石積みの壁が赤黒く染まっています。
ユギルは駆け寄りました。
「しっかりしろ! おい、ギム!」
必死で揺すぶると、少年は目を開けて、焦点の定まらない視線を彼に向けました。目が見えなくなっていたのです。
「ユギル……ユギルなの? あの新入りが、憲兵にちくったんだよ……裏切ったんだ……! みんな連れて行かれた……!」
呆然とするユギルの腕を少年がつかみました。失血のショックで激しく震えながら、叫び続けます。
「どうしてさ、ユギル――!? 俺たち、あんたの言うとおりにしていたよ――! あんたの占いのとおりに――なのに――なんで――なんで――!?」
泣き叫ぶ声がユギルの耳と心を打ちました。どうして!? と言われても答えることができません。
少年は張り裂けるような悲鳴を上げると、そのまま動かなくなりました。ユギルをつかんでいた手が力を失って落ちていき、ユギルの腕に血のにじんだ爪痕だけが残ります……。
すると、いきなり女性の声が響きました。
「ユギル、目をお覚ましなさい!」
ひどく歳をとった声なのに、鞭の音のように鋭くユギルの鼓膜を打ちます。
ユギルはたちまち我に返りました。どこかへ引き上げられていくような感覚と共に、急速に夢から覚めていきます。
ユギルが目を開けると、三人の老人が心配そうに彼をのぞき込んでいました――。