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第24巻「パルバンの戦い」

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第7章 過去

20.疲労

 ロムド城の奥まった区画を、青い長衣を着た大きな男がひとりで歩いていました。幅広い胸の上では、武神カイタの象徴が揺れています。

 城には大勢の貴族たちが出入りしますが、王たちの居住区になっているこのあたりには、関係のない人間は近寄れません。衛兵が要所に立って通路を見張っていますが、大男を見ると、さっと両脇によって敬礼をしました。

「どうぞお通りください、青の魔法使い殿」

 青の魔法使いは衛兵たちにうなずいて、通路を進んでいきました。やがて一つの扉の前に立ち止まってノックをします。

 ところが、扉の向こうから返事はありませんでした。武僧の魔法使いは様子を伺ってから、声に出して呼びかけました。

「中においでですな? 入ってもよろしいでしょうか?」

 けれども、やはり部屋から返事はありません。

 青の魔法使いは少し考えてから、扉を開けて入っていきました。そこは家具も装飾もほとんどない部屋でした。部屋の真ん中にぽつんと丸テーブルと椅子があって、灰色の長衣の青年が背中を向けて座っています。

「失礼。お返事がなかったので勝手に入りましたぞ」

 と近寄りながら声をかけると、ようやく相手が返事をしました。

「青の魔法使い殿ですか。気づかずに失礼いたしました……」

 長衣の両側を流れる銀髪がわずかに揺れますが、青年は振り向こうとしませんでした。武僧の魔法使いは前に回ってのぞき込みました。青年はテーブルの上の丸い石盤を見つめていたのです。

「よくない兆候が見えているのですか、ユギル殿?」

 と青の魔法使いは尋ね、密かに眉をひそめました。ロムド城の一番占者は、とても細身の青年ですが、その体がいっそう細くなり、頬はこけ目も落ちくぼんでいたのです。

 ユギルは頭を振りました。

「見えているのではありません……見えないのです……」

 と言って、椅子の背にもたれかかります。青年が体重をかけても、椅子は少しもきしみませんでした。痩せた体は軽すぎて、椅子をきしませることもできなかったのです。

 

 青の魔法使いはまた眉をひそめました。

「ずいぶんお疲れのようですな。無理は禁物ですぞ。敵も自分たちの動きを知られまいと必死ですから、闇に隠された向こうがよく見えないのは、無理のないことでしょう」

 けれども、ユギルはそれには答えずに、色違いの目を武僧に向けました。その向こう側を見通すようなまなざしをしてから尋ねます。

「赤の魔法使い殿から連絡が入ったのでございますね? どのような内容でございましょう?」

 疲れ切っていても、こういう力は健在のようです。

 青の魔法使いはうなずきました。

「それをご報告に来たのです――。殿下とセシル様の部隊は、エスタ領内を通過してミコン山脈に差しかかりました。途中、ロムド国内だけでなく、エスタ国でも援軍が合流したので、一万五千あまりの軍勢になっているそうです。このまま峠を越えてテト国に入る、と連絡が来ております」

「予定通りでございますね……」

 とユギルは言うと、また占盤を見ました。何かを探すように視線を泳がせてから、溜息をつきます。ひどく重苦しい音です。

「殿下たちが見えんのですか? テトはもう闇の影響下にあるということですかな?」

 と青の魔法使いは厳しい顔つきになりました。ユギルにも見通せない闇があるということは、そこにセイロスがいるということです。オリバンたちが敵の待ち構える場所へ乗り込むことになるのでは、と心配します。

 ところが、ユギルはまた首を振りました。

「そういうことではないのです……闇が占いを妨げているわけではございません。ひとえに、わたくし自身が原因なのでございます……」

「というと?」

「占いに集中することが難しいのです……。確かに城や都は近づきつつある戦に備えて、落ち着かない空気に包まれておりますが、占いの場を乱すほどの混乱には陥っておりません。闇の気配もまだそれほど強くはございません。東西南北いずれの方角にも、まだ濃い闇の存在は感じられないのです。ただ、何故かわたくしの心がざわめいて、占いに集中することができません。このような状況は初めてなので、いったい何事なのだろう、といぶかしんでおります……」

 青の魔法使いは驚き、改めてユギルを眺めました。細身の占者は本当に痩せ細って、疲れ切っているようでした。顔色もすぐれません。

「体調が悪いのではありませんか? 我々魔法使いだって、体調不良のときには魔力が大幅に落ちますからな。体は全ての基本です」

 けれども、ユギルは返事をしませんでした。身を起こしてまた占盤をのぞき込みます。

 青の魔法使いは渋い顔になりました。

「殿下や勇者殿たちのことがご心配なんですな。それで気がもめて、無理をしてでも占おうとなさるのでしょう。だが、その様子では体がついていかんはずです。食事は? 今日の食事はちゃんとされましたか?」

 ユギルはやっぱり何も言いません。

 武僧は大きな溜息をつきました。

「実を言うと、私はユギル殿に魔法軍団の出動の時期を伺いに来たのです。殿下たちもいよいよテト国にお入りになるのだから、我々もそろそろ合流した方が良いはずだと思いましてな。だが、そのご様子では、それを占っていただくのも難しそうだ。今、食事を運ばせますから、とにかく、少し休んでください」

 と言って、下女を呼ぶために扉を開けようとします。

 

 すると、背後で不吉な気配がしました。ごとり、と何かが床に落ちたのです。

 振り向いた武僧の目に、鮮やかな銀色が飛び込んできました。それは床に広がった長い銀髪でした。銀色の渦の中にユギルが横向きに倒れています。椅子から床へ崩れ落ちたのです。

「ユギル殿!?」

 青の魔法使いは仰天して駆け寄りました。

「ユギル殿! ユギル殿!!」

 大声で呼びかけますが、占者の青年は床に倒れたまま、まったく身動きをしませんでした――。

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