「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第24巻「パルバンの戦い」

前のページ

19.筏(いかだ)

 結局、筏は一時間足らずで完成しました。全員が乗ってもまだ余裕がある大きな筏です。

 ゼンが湖に押し出すと、筏は見事に水に浮きました。フルートたちが上に乗っても、びくともしません。

「みんな、あんまり端に近寄るなよ! 水に落ちたら助けられねえからな!」

 見た目によらず心配性なゼンが、仲間たちに警告しました。その手に握っているのは、木の枝を削って作ったオールです。フルートも同じようなオールを持って、ゼンとは反対側の端に立っていました。

「よぉし、行くぞ!」

 ゼンはかけ声と共に筏をこぎ始めました。フルートもゼンに合わせてオールを動かします。外見は華奢なくらい細身なフルートですが、水をかく動作には力があります。

「動いた動いた!」

「進み始めたわ!」

 メールとルルが歓声を上げ、ポポロやポチは目を輝かせて行く手を見ました。泳ぐことができない湖ですが、木でできたオールはちゃんと水をかいてくれたのです。湖に波や流れはありません。筏は静かな水面の上を滑るように進んでいきます。

 ペルラやシィは、筏の上から物珍しそうに周囲を見回していました。広い湖なので向こう岸は見えません。右手に遠く丘がかすんでいるだけで、左手と行く手には水平線が広がっています。

 

 すると、ビーラーが声をあげました。

「鳥がいるぞ!」

 湖の上に数羽の鳥が浮いていたのです。そこへもう四、五羽の鳥が空を飛んでやって来ました。湖面にさざ波の線模様を描きながら舞い下りて、先の群れと合流します。

 一方、シィは筏の端に腹ばいになって湖をのぞき込んでいましたが、水の中を小さな影がいくつも横切っていくのを見て、やはり声をあげました。

「魚よ! 魚が泳いでいるわ!」

 一同はいっせいに鳥を見たり、湖をのぞき込んだりしました。

「ワン、あれは鴨(かも)だ」

「こっちの魚はマスみたいだな」

 鳥も魚も人間を見慣れていないのか、全然逃げる様子がありませんでした。すぐ近くまで寄ってくるのですが、手が届きそうな距離まで近づくと、すぅっと離れていってしまいます。

「悔しいな。変身できたら鴨を捕まえてくるのに」

 とビーラーがうなると、シィも悔しそうに言いました。

「シードッグで泳げたら、魚もたくさん捕まえられるのよ。ねえペルラ、どうしても泳げるようにできないの?」

「無理よ。あたしだってここでは全然泳げないんだもの」

 とペルラは答えて唇をかみました。鳥や魚は自由に飛んだり泳いだりできるのに、自分は何もできないので、みじめな気分になったのです。自分をどうしようもない役立たずのように感じてしまいます。

 思わず涙がこぼれそうになって、彼女は唇をいっそう強くかみました。口をへの字に曲げて涙をこらえます――。

 すると、誰かが彼女の髪にふれました。頭をそっとなでられた気がして、ペルラは驚いて振り向きました。誰!? と言おうとして声を呑みます。彼女のそばにはシィ以外誰もいなかったのです。

「どうしたの?」

 とシィが驚いたように尋ねてきました。犬の彼女が頭をなでられるはずはないので、ペルラはとまどいました。

「シルフィードが……ううん、なんでもないわ」

 曖昧に言いながら周囲を見回すと、突然レオンと目が合いました。黙ってこちらを見ていたのです。

 ペルラは真っ赤になりましたが、レオンはすぐに視線をそらしてしまいました。そのまま知らんぷりしています。

「な、なによ、いったい」

 とペルラは口の中で文句を言いました。赤くなった顔はなかなか元に戻りません。

 

 その間、フルートとゼンは筏を漕ぐのをやめて、メールやポポロと何か相談をしていました。ポチとルルも足元から話に加わっています。

 やがて、よし、とゼンが言ってオールをポポロに渡しました。代わりに手にしたのは愛用の弓です。あっという間に弦を張って矢をつがえ、狙いを定めて放ちます。

 矢は見事に鴨を貫きました。驚いた群れがいっせいに飛び立ちますが、そこにも矢は飛んでいって、さらに二羽が湖に落ちました。翼を広げて水面に浮かびます。

「とりあえず、これで充分だな」

 とゼンは弓をまた背中に戻しました。頭上にはまだ鴨がたくさん飛んでいますが、必要以上に仕留めたりはしません。

 フルートとポポロが筏を漕ぎ寄せると、ゼンは手を伸ばして三羽の鴨を捕まえていきました。まだ息がある鳥にはとどめを刺します。

 それを見てメールが言いました。

「次はあたいだね」

 と筏に膝をつき、筏を縛っている蔓に手を触れて呼びかけます。

「手伝ってくれてありがとうね、蔓草。頼まれついでに、もうひとつ手伝ってほしいんだけどさ、いいかな――」

 メールがさらに二言三言話すと、蔓がするすると伸び始めました。結び目がほどけたのではありません。筏を縛ったまま、さらに長く伸び出したのです。やがて、先端がぽちゃんと水の中に入っていきます。

 フルートたちは筏の端から湖をのぞき込みました。透き通った水の中、魚影が筏の下を行ったり来たりしていますが、蔓はその間に下りていきました。くっと先端を曲げると、小さな葉を水中でひらひら動かします。

 その動きを虫と間違えて、魚が寄ってきました。二、三度周囲を泳いでから、すいと近寄って木の葉を呑み込もうとします。そのとたん蔓の先端が魚の口を引っかけました。そのままはね上がって、魚を引き揚げてしまいます。

 筏の上では、メールが両手を交差させて蔓草を操っていました。筏の上に揚がってきた魚に、やったぁ! と歓声を上げます。

「嘘。メール姫が蔓草で魚を釣っちゃったわ」

 とシィは驚きました。

「とんでもなくたくましい連中だなぁ」

 とビーラーもすっかり感心しています。

 

 ペルラも目を丸くして見ていましたが、やがてまた唇をかむと、フルートたちに背を向けて、膝に顔を伏せてしまいました。そのまま顔を上げなくなります。

 すると、その髪がまた誰かにそっとなでられました。風も吹いていないのに、彼女の青い長い髪が繰り返し揺れます。

 ペルラは顔を伏せたまま片手を伸ばしました。見えない手をいきなりわしづかみにします──

 とたんにレオンが息を呑みました。ペルラが鋭く振り向くと、彼は右手を左手で押さえていました。同時にペルラの手の中から誰かの手の感触が消えます。

「やっぱり」

 とペルラが言うと、レオンは不機嫌な顔になりました。

「泣き真似か」

「泣き真似なんてしてないわよ。泣いてもいないわ」

 とペルラは言い返しましたが、とたんに声が揺れました。あわててまた膝に顔を伏せます。とうとう涙があふれ出してしまったのです。

 すると、今度はペルラの背中がとんとんと慰めるようにたたかれました。

「泣いてないったら!」

 とペルラが涙声で言うと、レオンが言いました。

「怒るなよ。ただ、君の気持ちはわかるって言いたいだけなんだからさ」

 ペルラは思わずまた顔を上げてしまいました。レオンはいつの間にか彼女の横に座って、まったく別のほうを向いていました。ペルラの泣き顔に見ないふりをしてくれているのです。レオンの手は自分の膝の上ですが、ペルラの背中をたたいてくれているのも彼の手に間違いありませんでした。

 とまどう彼女に、レオンは言い続けました。

「君がさっき言ったとおりだよ。ぼくたち天空の民は、魔法が使えなくなると、とたんに自信までなくしてしまう。どうしていいのかわからなくなってしまうんだ――。でも、彼らは違うよな。魔法なんて使えなくたって困難を乗り越えていく。泳げなければ飛ぶ、飛べなければこうして筏を作る。食べ物がなくたって、やっぱりなんとかして手に入れてしまうんだ。そういうのを見せられると、自分は今まで何をしてきたんだろうって思わされるよな――」

 そしてレオンは深い溜息をつきました。その視線の先では、メールがまだ蔓草で釣りを続けていました。筏の上では何匹もの魚が銀鱗を光らせながら跳ねています。

 ペルラはますますとまどいました。いつも馬鹿したように話すレオンが、いやに素直に話しているので、調子が狂ってしまったのです。つい慰める口調になります。

「でも、あなたはまだ魔法が使えるじゃない。あたしは全然よ」

 とたんにレオンは皮肉な顔で笑いました。

「これっぽっちの力で何ができるっていうんだ? 空間の入れ替わりを止めることもできない。湖の水を割って道を作ることもできない。闇が襲ってきたって、ぼくだけの力で防げるかどうか。なにが未来の天空王候補だ。本当のぼくは、何をどうしたらいいのかもわからなくて、ただ突っ立っているだけの役立たずなんだよ」

 役立たず、ということばにペルラはどきりとしました。彼女もつい先ほど、自分自身をそんなふうに感じて泣いていたのです。ただ、同じことを他人の口から聞かされると、それはなんだか間違っているような気がしました。でも――と言いかけ、それ以上は何を言ったらいいのかわからなくなってしまって、口ごもります。

 

 すると、筏の前のほうでゼンが呼びました。

「おい、レオン、こいつを焼いてくれ! 鴨とマスで朝飯にしようぜ!」

 レオンは肩をすくめました。

「ぼくはこんな役目ばかりだな」

 言い返されて、ゼンは面白くない顔になりました。

「なんだよ、食いたくねえのか? 腹が減ってねえのかよ?」

「いいや、やるよ。ぼくにまともにできることといったら、このくらいだからな」

 皮肉な物言いは、間違いなく自分自身に向けられたものでした。立ち上がってゼンたちのほうへ行きます。

 ペルラがそれを見送っていると、シィが戻ってきて尋ねました。

「今、レオンと何を話してたの? なんだか深刻そうに見えたけど」

「別に。大した話じゃないわ」

 とペルラは答えると、レオンから目をそらしました。とまどう気持ちは、まだ胸の中にあります。レオンが魔法の手でたたいてくれた感触も、背中に残っています。

 彼らの頭上では、結界のつなぎ目から洩れる日の光が明るさを増し、湖を銀の鏡のように光らせ始めていました。よく晴れ渡った、明るい朝でした――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク