ロムド城の前庭では、揃いの銀の防具で身を包んだ大勢の兵士が、整列して出発のときを待っていました。ロムド国王直轄の正規軍の兵士たちで、馬にまたがった騎兵が二百騎ほどと、その数倍に当たる歩兵からなる部隊です。前庭の側道には、食料や武器防具を積んだ馬車もずらりと並んでいます。
部隊の最前列に立つ指揮官は、皇太子のオリバンでした。大きな体をいぶし銀の鎧兜で身を包み、濃い緑のマントをはおり、二本の剣をさげて馬にまたがっています。マントに白く染め抜かれているのは、ライオンの横顔に若木の枝を配した、ロムド皇太子の紋章です。
彼の横に馬を並べているのはセシルでした。こちらは白ずくめの鎧兜で身を包み、腰にはレイピアをさげています。やはり濃い緑色のマントをはおっていますが、こちらに皇太子の紋章はありません。代わりに染め抜かれているのは、枝を広げた金葉樹の図案でした。ロムド王が彼女に与えた皇太子妃の紋章です。
千数百の兵士たちを背後に、オリバンとセシルは城に向かって立っていました。城の中からロムド王が出てくるのを待ち続けます。
すると、先に城から出てきたキースが、オリバンとセシルに近づいてきました。白い服に青いマントの聖騎士団の格好をしたキースは、とても闇の国の王子には見えません。
「いよいよ出陣だな。どういうルートで進軍するんだ?」
とキースに話しかけられて、オリバンは答えました。
「東の街道を通ってエスタ国に入り、そこから南下してテトの応援に向かう。途中の領主たちの軍も合流させるから、最終的には万を超す軍隊になる予定だ」
「なるほどね。でも、あえて言わせてもらえば、どうして君が先陣を切って行かなくちゃいけないんだ? 君は連合軍の総指揮官だ。総司令官の代行をしている大事な人間だっていうのに、先頭に立つのは危険なんじゃないのか?」
「いや、これは私の役目だ」
とオリバンは答えましたが、それで話が終わってしまったので、いささかぶっきらぼうに聞こえました。キースが腑(ふ)に落ちない顔をすると、セシルが苦笑して説明しました。
「総指揮官だからこそ、オリバンが真っ先に行かなくちゃいけないんだ。ロムドだけでなく、エスタやテトにも出兵要請を出したというのに、連合軍総司令官のフルートが姿を現さなかったら、出兵させられた領主や兵士たちが疑問や不満を持つ。でも、フルートの代わりにロムド皇太子のオリバンが来れば、彼らも納得して作戦に従ってくれるはずなんだ」
「なるほど」
とキースはまた言って肩をすくめました。いろいろ面倒なものだね、と言いたそうな様子です。
すると、今度はオリバンのほうがキースに尋ねました。
「アリアンはどうしている? 透視中なのか?」
「ああ、テトとサータマンの国境付近を見回っているよ。まだ敵に動きはないらしい。テトに到着するまでにどのくらいかかるか見当がつかないけれど、この感じなら、君たちのほうが先手を打てるんじゃないかな」
「無論、我々が先手を打つ。そのために急ぎ出陣するのだからな」
とオリバンは重々しく答えて、東へ目を向けます。
そこへようやくロムド王が重臣たちを従えて出てきました。
オリバンとセシルはすぐさま馬から下りてひざまずき、キースは大きく下がって、その場所で片膝をつきました。整列している兵士たちもいっせいに馬を下り、片手を胸に当てて頭を下げます。
一同の敬礼を受けて、ロムド王はうなずきました。
「このたびの遠征、ご苦労であるな。また、予想される敵はサータマン軍を率いたセイロスだ。決して油断せず行くように」
ロムド王の声は城の前庭に朗々と響きます。
すると、王の横からワルラ将軍も言いました。
「わしも後ほど殿下の後を追ってテトへ向かいます。ここにいるゴーラントス卿も、部隊を率いて出陣する予定です。ここにいる兵が味方の全部ではないことを、どうぞお忘れなく」
「わかっている。頼りにしているぞ、ワルラ、ゴーラントス」
とオリバンが立ち上がりながら言いました。年若くても、すでに王の威厳と貫禄を備えている皇太子です。ワルラ将軍とゴーリスが胸に手を当ててお辞儀を返します。
ロムド王には城の四大魔法使いも従っていました。白い長衣の女神官が残念そうに言います。
「本当ならば、私たち魔法軍団も殿下と一緒に出撃するべきなのです。ところが、ユギル殿がまだご許可をくださらない。もどかしいことですが、私たちも後から駆けつけることになりそうです」
「ユギルはいつも、一番よい時を見極めて我々に知らせてくる。ユギルの指示に従うのが吉だ」
とオリバンは答えました。見送りに出てきた家臣の中に、ユギルの姿は見当たりません。アリアンと同様、彼も自分の占盤をのぞいて未来を占い続けているのです。
すると、深緑の長衣の老人が進み出てきました。四大魔法使いのひとりの、深緑の魔法使いです。
「魔法軍団は同行を許されておりませんが、殿下と城の間の連絡が取れなくては不自由だろう、ということになりましてな。四人で相談した結果、こちらの赤が殿下たちと一緒に参ることになりました」
と赤い長衣に黒い肌の小男を示して見せます。
「ク、カ」
と赤の魔法使いは言いました。金色の猫の瞳を持つ彼は、南大陸のムヴア語しか話すことができません。
「それはありがたい……が」
正直な皇太子はとまどいました。四大魔法使いのひとりが同行してくれるのは心強いのですが、オリバンたちにムヴア語がわかる者はいないので、どうやって城からの連絡を聞き取ったらいいのだろう、と考えたのです。
「いやいや、赤だけでは行かせません。もちろん通訳をおつけします」
と安心させるように言ったのは、青い長衣の武僧でした。ほら、と指さした先に三人の人物が現れます。それは少し色合いが違う灰色の長衣を着た男女と、青緑色の長衣を着た小柄な男でした。小柄な男は緑色の顔とくちばしのような口をしています。
「銀鼠と灰鼠、それに河童ではないか!」
とオリバンは言いました。赤の魔法使いの部下の魔法使いたちです。
銀鼠色の長衣の女性は両手を前に合わせて一礼しました。
「及ばずながら、私たちも同行させていただくことになりました、殿下。私たちは城からの伝言を直接聞き取ることはできませんが、隊長に伝えられた連絡を殿下にお伝えすることは可能です」
「それに、姉とぼくはグルのしもべなので、ぼくたちの魔法はセイロスにも有効なんです。きっとお力になれると思います」
と灰鼠色の長衣の男性も言いました。この二人は姉弟です。
河童は水かきのついた手で頭の皿をかきました。
「おらぁ、ことばが訛ってるで、おらのことばも聞き取りにくいがもしんにげんぢょ。殿下が行きなさるテトの国は、川っこが多い国だと聞いてるし、おらぁ水の魔法は得意だで、ちぃとはお役に立てるんでねえがと思ってるだよ」
オリバンはうなずきました。
「それは本当に心強い。よろしく頼むぞ」
そんなふうに言われて、赤の魔法使いと三人の部下たちは嬉しそうな顔になります。
出陣のときが迫っていました。
オリバンとセシルが馬にまたがったので、騎兵たちもいっせいに馬上の人になります。
キースがまた近づいてきて言いました。
「敵はあのセイロスだ。くれぐれも気をつけて行けよ」
「わかっている。キースこそ、私たちがいない間のロムド城をよろしく頼む」
とオリバンが応えると、キースは急に、にやりとしました。
「大丈夫だ。今度は君の代役じゃないからな。のびのびやらせてもらうよ」
オリバンとセシルもちょっと苦笑しました。以前、彼らが長期間城を離れたときには、キースがオリバンに化けて代役を務めたのです。皇太子の代役は窮屈だった、と後からキースにさんざん愚痴られたのを思い出したのでした。
「テト国の都にお着きになったら、アキリー女王によろしくお伝えください、殿下」
とリーンズも話しかけてきました。長年ロムド王の片腕を務めてきた老宰相です。オリバンは、わかった、と答えてから、考える顔になって言いました。
「ユギルに、あまり無理はしないように伝えておいてくれ。この戦況を占おうとして、もう一週間以上、部屋にこもりっぱなしでいる。ユギルはこういうときにはいつも、ほとんど食事をしなくなるのだが、さすがに長期間となると体にさわるからな」
「承知いたしました、殿下」
とリーンズ宰相は答えました。家臣想いの皇太子のことばに、自然と笑顔になっています。
そこへ角笛が吹き鳴らされました。出陣の合図です。
オリバンとセシルが馬の頭を巡らせると、部隊がさっと二つに分かれて間に道を作りました。オリバンたちが通る間、歩兵たちは剣の柄を握って敬礼をします。オリバンたちの後には騎馬隊が続き、歩兵部隊、兵站(へいたん)部隊の馬車と続きます。
戦場へ向かう軍勢へ、白の魔法使いが杖を掲げて祈りを捧げました。
「ユリスナイよ、彼らの戦いに堅き守りと勝利を与えたまえ!」
フルートたちがいなければ敗れる、とユギルに予言された戦いが、今、始まろうとしていました――。