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第24巻「パルバンの戦い」

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12.夜

 「ん……?」

 闇大陸の森で道を切り開いていたゼンが、振り上げた山刀を止めて体を起こしました。木々の枝の間からわずかにのぞく空を見上げて言います。

「雲が赤くなってきたな。夕暮れか?」

 すると、メールが森に差し込む日の光を指さしました。

「太陽はまだ頭の真上だよ。日暮れはまだじゃないかい?」

 けれども、その日差しはみるみる赤く変わっていきました。森に射し込む角度は変わらないのに、日が当たる場所の草や木が赤く染まり、やがて森全体が赤暗くなってきます。

「ワン、やっぱり日暮れみたいですね。太陽は真上なのに。どういうことだろう?」

 とポチが首をかしげると、遠い目で上を見ていたポポロが言いました。

「太陽が夕日みたいに赤くなってるわ。空も暗くなってきているわよ……」

「じゃあ日暮れなの? どうして!?」

 とペルラが驚くと、同じく上を見ていたレオンが言いました。

「あれは太陽じゃないな。結界の向こうの光がつなぎ目から洩れてきているんだ」

「それで日差しの角度が変わらないのか。結界の外が日暮れになったから、洩れてくる光も夕日に変わったんだな」

 とフルートは納得しましたが、その間にもあたりはますます暗くなっていきました。ひゅぅと森の中を肌寒い風が吹き抜けます。

 とたんにルルとビーラーが背中の毛を逆立てました。

「やだ、闇の匂いよ!」

「本当だ! いきなり闇の匂いがし始めたぞ!」

 ペンダントの真ん中で金の石も急に明滅を始めたので、フルートも顔色を変えました。

「闇の怪物が近くにいる! みんな固まれ!」

 そこで全員はフルートの周りに集まりました。ゼン、メール、ポポロ、ペルラ、レオン……ポチ、ルル、ビーラー、シィの四匹はその足元に身を寄せます。夜の色に沈んでいく森の中、金の石が広げる光の輪がどんどん鮮やかになっていきます――。

 

 そこへ、いきなりものすごい音が聞こえてきました。ガガガガガ……とすさまじい轟音(ごうおん)が響き渡ったのです。

 少女たちは思わず悲鳴を上げて耳をふさぎ、犬たちもキャンと鳴いて耳を伏せました。少年たちは身構えて周囲を見回しました。轟音がどこから響いてくるのかわからなかったのです。

「なんの音だ――!?」

 とフルートは叫びましたが、その声はすぐ隣にいる仲間たちにさえ届きませんでした。耳を聾(ろう)するような音が森と彼らを激しく揺すぶります。

 すると、メールが急に顔を上げてフルートとゼンに飛びつきました。二人の間に腕を伸ばして、その向こうを指さして見せます。そちらを見たフルートたちとレオンは顔色を変えました。黄昏時(たそがれどき)の夕闇の中、周りに広がっていた森が音を立てながら地面に沈んでいたのです。大蛇のように曲がりくねった木の根が、二人がかりでも腕を回せないような太い幹が、枝を天井のように広げていた梢が、見ている間に地面に沈んで消えていきます。

 それと入れ替わりに地中から姿を現したのは、先の森とは似ても似つかない、貧弱な林でした。蔦を絡みつかせた細い木が、枯れたような枝を垂れ下がらせています。先ほどまで青々と生い茂っていた藪や下生えも消えて、むき出しの地面が現れます。

「場所が入れ替わったぞ……」

 とレオンが信じられないように言いました。

 ポポロはフルートの腕にしがみつきました。

「ものすごい闇の気配よ……! これは闇の林だわ!」

 森が林に入れ替わった後、あの轟音はやんでいました。仲間たちの声がまた聞こえるようになったので、一同は周囲を見回しました。暗くなっていく林は、不気味な気配に充ちていました。夜が木々も空気も暗く染めているようです。

 ところが、寄り集まっている一行の周囲だけは、そんな暗がりから切り離されていました。フルートの胸で金の石が明るく光り続けていたのです。金色の光が輪を広げる中は、先ほどと景色が変わりませんでした。彼らのすぐ横に太い木がまっすぐ伸び、頭上に大きな枝を広げています。根元には緑の下生えが広がり、さわさわと音を立てています。一帯がすっかり入れ替わってしまったのに、金の光が届いている中だけは、先ほどの森のままになっているのです。

「金の石が場所の入れ替えを止めたようだな」

 とフルートが言うと、レオンはちょっと首を振りました。

「聖守護石の力だけじゃない。ポポロの魔法の守りも効いているんだ。それで、周囲の闇が中にまったく入れなくなっているんだな」

 それを聞いて、メールはほっとした顔になりました。

「ってことは、ここは朝まで大丈夫ってことだね? 助かったぁ! 地面から出てきた木が、てんで勝手なことを言ってるんだよ。あたいたちのことを迷わせようとしてるみたいだ。こんな中を歩いて行ったら、どこに連れてかれるかわかんないよ」

「迷いの林なのね」

「ワン、こんなに見晴らしがいいのに」

 とルルとポチが言いましたが、フルートとメールとペルラは同意することができませんでした。彼らは夜の中を見通すことができないので、周囲はもう真っ暗だったのです。

 

「こんな中を進むのは危険だ。今夜はここに留まって、交代で見張りに立とう」

 とフルートが言うと、ポチが応えました。

「ワン、ぼくたち犬は寝ていても敵の気配で目が覚めるし、四匹もいるんだから、フルートたちは眠って大丈夫ですよ。この先、どのくらい歩くようになるかわからないから、夜はしっかり休んだほうがいいですよ」

「そうね。私たちであなたたちの周りを囲んであげるわ」

 とルルも言ったので、一同はことばに甘えて、見張りは立てずに休むことにしました。もちろん、その前に食事もしっかりとります。

「こんなことなら、城の台所からもっと食い物をいただいてくるんだったな」

 とゼンはぶつぶつ言いながら、袋に残っていた食料を全員に分けてくれました。焼き菓子、パイ、ベーコン、パンなど、けっこうな種類がありましたが、なにぶん少年少女が六人に犬が四匹もいるので、量は全然足りません。

 レオンは溜息をつきました。

「元の世界だったら、魔法でいくらでも食料を取り出すんだけどな。ここは結界の中だから、ぼくの貯蔵庫に手が届かないんだ」

「この中に狩りに出ていくのも危険そうだしな」

 とビーラーも残念そうに夜の林を眺めました。金の光に照らされた場所は、明るくて暖かいのですが、その外側では闇がますます深くなり、なんとも言えない不気味な雰囲気が漂っていました。時折、キィィーッと鳥とも怪物ともしれない声が聞こえてきます。

「なんか食べられそうな実でもなってないかなぁ」

 とメールは太い木の後ろ側に回り、すぐに仲間たちを呼びました。

「みんな、おいでよ! いいものがあったよ!」

 なんだなんだ、と仲間たち駆けつけると、メールは大きな木の後ろで別の木を見上げていました。こちらもかなり大きな木で、藪のように葉をしげらせています。

「これさ! ハシバミの木なんだよ!」

 とメールが言ったので、おっ、とフルートたちは目を輝かせました。ハシバミの実は栄養満点で食事の代わりにもできます。

 けれども、梢に目をこらしたゼンが、すぐにがっかりした顔になりました。

「なんだ、ちっともなってねえぞ。雄の木じゃねえか」

 ハシバミには男木と女木があるのです。

 ところが、メールは細い腰に両手を当てて馬鹿にしたように言いました。

「なに言ってんだい。こんなに綺麗な男木がいるわけないだろ。もちろん女木だよ──。ごめんよ、ハシバミ。ゼンが失礼なこと言ってさ。あたいたち、お腹がすいてるんだけど、あんたの実をわけてもらえないかな?」

 とメールが幹に手を当てて頼むと、木がひとりでに揺れ出しました。丸いドングリのような実が枝に鈴なりになっていきます。やがて実はドングリより大きく育つと、茶色く色づいて自分から落ち始めました。あっという間に地面はハシバミの実でいっぱいになります。薄緑色の苞(ほう)に包まれたまま転がっている実もあります。

「すごい……! これだけあったら、みんなお腹いっぱい食べられるわね!」

 とポポロは笑顔になりました。さっそく全員で木の実を拾い集め始めます。

 ペルラも一緒に手伝いますが、奇妙な顔でメールに尋ねました。

「ねえ、これって本当に食べられるの? こんなものが?」

「もちろん。火でちょっと煎ると、最高においしくなるんだよ」

 とメールは言いましたが、へぇ、と感心したのがレオンだったので、ちょっと驚きました。

「レオンもハシバミを知らなかったのかい? 天空の国には生えてないの?」

「学校では習ったさ。ハシバミは別名ヘーゼルナッツ。種子には油がたくさん含まれていて栄養価が高いから、地上の人間は携帯食や菓子に利用する──。ただ、実物を見たのはこれが初めてだったんだ」

 レオンが弁解するように言っていると、地面に座り込んだゼンがハシバミの殻をむきながら言いました。

「んなのはどうでもいい。レオン、おまえ少しは魔法が使えるんだったよな? ちょいとこの実を煎ってくれよ。こんな狭い場所じゃ火が焚けねえんだ」

「そんなことにぼくの魔法を使おうっていうのか?」

 とレオンが嫌な顔をすると、フルートも横から言いました。

「ぼくの炎の剣では火力が強すぎて、せっかくの実が燃えてしまうんだ。メールが言うとおり、ハシバミは煎ったほうがおいしいんだよ」

 しかたなくレオンは呪文を唱えました。

「ロケーヤヨミノミバシーハ」

 しぶしぶ使った魔法でも、ハシバミの実は香ばしく焼き上がりました。彼らは大きな葉の上に木の実を山盛りにして、満腹になるまで食べました。メールがヤブスグリの実まで見つけてきたので、そちらはいい口直しになります。

 

 やがて満腹になった一同は、木の根元に横になりました。ゼンが下草を刈って敷き詰めてくれたので、木の根だらけの地面でも、まあまあ寝られる状態になっています。寒くはないので、着の身着のままで寝転がっても平気です。

 ゼンとフルートが低い声で話し合っていました。

「食料はともかく、水がもうほとんどねえぞ。明日は水を見つけねえとな」

「夜明けになって、ポポロの魔法が切れるときが心配だ。周囲から一気に闇が押し寄せてくるかもしれないからな。夜明け前に起き出さないと」

 けれども、その声はすぐに聞こえなくなりました。二人とも、あっという間に眠ってしまったのです。

 メールとポポロももう規則正しい寝息を立てていました。ポチとルルは体を絡めるように丸めて夢の中です。

 勇者の一行がたちまち寝てしまったので、レオンはあきれました。

「よく平気で寝られるな。ここは闇大陸だっていうのに」

「野宿には慣れているって言っていたけど、本当なんだな」

 とビーラーは感心します。

 一方、ペルラもすぐには眠れなくて、シィと話をしていました。

「こうしていると、なんだか変な感じよね。どこからも海の匂いがしないんですもの」

「あたしは波に揺られていないのが変な感じ。海面で波に揺れながら寝ることが多かったから」

 とシィが応えます。

 ふぅ、とペルラは大きな溜息をつきました。

「父上や母上や兄上はどうしているかしら? ザフやクリスは……? あたしたちがこんなところまで来てるなんて、誰も知らないわよね……」

 どうやら夜の闇が海の王女の胸に不安や淋しさをかき立てているようでした。すん、と小さく鼻をすする音がします。

 そのとき、林の奥からキァァァーッと甲高い声が響きました。気がふれた人の悲鳴のようにも聞こえる声です。ペルラは思わず、きゃっと叫ぶと、シィを片腕で抱き寄せ、もう一方の手で耳をふさぎました。両目を堅くつぶります。

 すると、呪文と共に銀の星が散りました。

「レムーネ」

 たちまちペルラとシィが眠り始めます。

 ビーラーは驚いて頭を上げました。

「ペルラたちに魔法をかけてやったのか、レオン?」

「一晩中あんな調子でいられたら、気になってこっちが寝られないからな。なんだったら、君にもかけてやるぞ」

 とレオンは答えました。ことさらそっけない口調です。

「いや、ぼくはいい。深く眠りすぎると、敵が近づいたときに気づけなくなるからな」

 とビーラーは言うと、面白そうにレオンとペルラを見比べました。ふぅん、とうなずいて笑い顔になります。

「なんだよ。なんで笑っているんだ、ビーラー?」

 とレオンはますます不機嫌になりましたが、愛犬が何も言わないので、しぶしぶ目を閉じました。何故だか胸の中がざわざわして、すぐには眠れそうにありません。

「レムーネー」

 改めて自分にも呪文を唱えて、深い眠りに落ちていったレオンでした――。

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