翌日、フルートたちの一行は風をいくつも乗り換えて、大海原の上までやってきました。
海面近くには風が吹いていなかったので、波はほとんど立っていませんでした。青空から強烈に照りつける日差しに、海は巨大な銀の鏡のように光っています。
先導するレオンがビーラーの背中から振り向いて言いました。
「闇大陸が隠されている場所までもうすぐだ。高度を下げていくぞ」
「あいよ。だけど、下がりすぎて海に近づきすぎないようにね。父上に気づかれるかもしんないからさ」
とメールが言ったので、ポチが驚きました。
「ワン、渦王に気づかれる? 渦王がこの近くにいるんですか?」
「ううん、いないとは思うけどさ。海の王は自分の海で起きてることを感じ取ることができるんだよ。下がりすぎて海に触れたりしたら、きっと気がつくと思うよ」
それを聞いて、フルートはゼンに尋ねました。
「君は前に渦王になったよな? やっぱり海の出来事を感じられたのか?」
ゼンは肩をすくめ返しました。
「渦王として目覚めてねえ間は何も感じなかったけどよ。渦王の力が使えるようになったら、とたんに西の大海のことが手に取るようにわかったぜ。自分の体の先に海があるような感じでよ――。普通と違うことが海で起きれば、渦王は気がつくぜ」
「渦王は私たちに闇大陸のことを隠していたわよね。ということは、見つかるとまずいかもしれないってことよね」
とルルが言って、用心するように海を眺めました。鏡のような海に自分たちの姿が映るのは大丈夫なのかしら、と考えます。
すると、さぁっと海の上を風が渡ってきて、吹き過ぎていきました。たちまち海面に波が立ち、波間で太陽がちらちらと揺れ始めます。
「あらっ?」
とポポロが風の吹いていった方向を振り向きました。
「今の風に、なんだか人のようなものが見えた気がしたんだけれど……」
「人?」
と仲間たちは聞き返しました。彼らにはただ風が通り過ぎていったとしか感じられなかったのです。
「うん。透き通った女の人のドレスみたいなものが――」
ポポロがそう話しているところに、別の少女の声が重なりました。
「まあ、本当に勇者の一行じゃないの! どうしたのよ、こんなところで!?」
海面に大きな獣の頭がぽっかり浮いていて、その上に青いドレスの少女が立っていました。彼女の長い髪も鮮やかな青で、とても美しい顔立ちをしています。獣の頭は犬そっくりですが、人ひとりが上に立ってもまだ余裕があるほど巨大でした。シードッグという海の怪物です。
メールは歓声をあげました。
「ペルラじゃないか! そっちこそどうしたのさ、こんなところで!?」
ポチもワンワンとシードッグへ呼びかけました。
「シィ、お久しぶり! ペルラと西の大海まで出かけてきたの?」
「あれ、彼女は……」
とレオンが思い出す顔になったので、フルートは説明しました。
「東の大海を治める海王の娘のペルラだよ。彼女は三つ子で、他の二人は男なんだ」
「ああ、わかった。渦王が魔王に捕まったときに一緒に助けに行ったり、闇大陸を探してトムラムストに行ったときに会ったりしていたな。ふぅん。メールと従姉妹だけあって、直(じか)に見るとやっぱり似てるんだな」
レオンは天空城の泉で彼女のことも見ていたのです。
その間、ペルラはメールと話し続けていました。
「シィと一緒に西の大海に来たら、あなたたちが近くにいる、ってシルフィードたちが教えてくれたのよ。それで、大急ぎで来てみたってわけ」
「ペルラだけ? クリスやザフはどうしたのさ?」
とメールが他の三つ子の名前を出すと、とたんに彼女は口を尖らせてむくれました。
「クリスたちは兄上や父上のところよ。父上が出撃準備の命令を出したから、城で戦支度をしているわ。でも、あたしは女だから連れていけない、って父上に言われちゃって。どんなに頼んでもダメだから、叔父上の渦王からお願いしてもらおうと思って、城を飛び出してきたのよ」
「えぇ? 父上に頼んだって、もっとダメだと思うよ。父上も女は絶対に戦闘に連れていってくんないんだからさ。だけど、東の大海でも出兵準備をしてるのかぁ。なんだか、あちこちで同じような感じだね」
「あら、渦王も出撃するの? どこに?」
「ううん、父上じゃなくて、人間の国の話さ。ロムドっていうフルートの故郷の国でも、もうすぐ戦争が始まるからって戦支度をしてるんだよ」
「ふぅん。それで勇者の一行もここに来ていたわけ? 誰と戦おうとしてるのよ」
「違う違う。あたいたちは全くの別行動さ。ほら、前に会ったときにも話したじゃないか。二千年前に光と闇の最後の戦いがあった、闇大陸って場所。あれがこのあたりにあるってわかってさ」
「あら、まだ探していたのね。へぇ、こんなところにあったの。全然知らなかったわ」
「あたいもさ。でも、やっと手がかりをつかんだんだよ」
「ねえ、叔父上に頼んでもやっぱりあたしは戦に連れてってもらえないと思う?」
「無理だろうね。あたいも何度頼んでもダメだったからさ。しまいには海底の岩屋に閉じ込められちゃったよ」
「やだ、それはごめんよ。だけど――」
ペルラとメールがものすごい勢いでおしゃべりをするので、他の仲間たちはまったく口を挟めなくなっていました。放っておくと、まだまだおしゃべりは続きそうです。
とうとうゼンが身を乗り出して、二人の間に割って入りました。
「よう、ペルラ。俺たちは先を急いでるんだ。悪いけど、積もる話はまた今度な」
「あら、なによ、ゼン! しばらくぶりで会ったっていうのに、あたしに挨拶もしないつもり? 失礼じゃないの!」
とペルラが文句を言ってきたので、ゼンは渋い顔になりました。挨拶させなかったのはペルラのほうです。
ゼンの代わりにフルートが言いました。
「やあ、ペルラ、本当に久しぶりだよね。トムラムストで会って以来だから、半年ぶりかな。元気そうでなによりだね」
フルートに笑顔を向けられて、ペルラは頬を赤く染めました。ことさらそっけない声になって、つんと顔をそむけます。
「それだけ? 前よりいっそう綺麗になったね、とかいう挨拶はないわけ? 相変わらず、あなたって気が利かないわ」
どう見ても照れ隠しの憎まれ口なのですが、フルートは本気にしました。
「あ、ご、ごめん……」
と慌てて謝ります。
メールは肩をすくめました。
「男の子たちにそんなのを期待できるわけないだろ。ゼンだって、あたいに『綺麗になったな』なんて言ったためしがないもんね」
今度はゼンが慌てました。
「なんでそこで俺を引き合いに出すんだよ!? だいたい、渦王の鬼姫にそんな歯の浮くようなセリフが言えるか!」
「もう、ゼンったら! あんたそれでもあたいの婚約者かい!? 婚約者ならもうちょっと誉めてくれるもんだろ!?」
「なんで今さら誉めなくちゃいけねえんだ!? ちやほやされてなくちゃ婚約してられねえってのかよ!?」
ペルラとメールの会話にゼンまでが加わって、いっそう騒々しくなってきたので、見かねてレオンが注意しました。
「あんまり騒がないほうがいい。ここは海のすぐ上だから、渦王に気づかれるかもしれないぞ」
それでペルラもようやくもうひとりの少年に気づきました。
「あら、誰よ、あなた? 見たことがない顔ね」
「ぼくはレオン。天空の国の貴族で、フルートたちの友だちだよ」
とレオンが答えると、ペルラは、ふぅん、と言って彼をじろじろと眺めました。
「ずいぶん生白いのね。細くて全然強そうに見えないわ。顔だってフルートほど綺麗じゃないし」
単刀直入なもの言いは海の民の特徴です。
「ペルラったら……」
とルルやポチは苦笑し、綺麗と言われたフルートは真っ赤になり、レオンは明らかにむっとしました。レオンを乗せたビーラーはもっと腹を立てて、ペルラに言い返しました。
「失礼なことを言うな! レオンは天空城で一番の秀才で、次の天空王になると言われているんだぞ!」
「次の天空王!? こんな坊やが!?」
とペルラがまたずけずけと言ったので、今度はメールが苦笑しました。
「レオンはあんたより年上だよ、ペルラ。あんたは十四、レオンはポポロと同じ十五歳だからね」
「ええっ、年上!?」
とペルラが驚けば、レオンも驚きました。
「君はまだ十四歳なのか!? ずいぶん早熟だな」
シードッグの上に立つペルラは、ふっくらした曲線を描く体を青いドレスで包んでいました。もう大人の女性の体型です。
ペルラはつん、とまた顔をそむけました。
「海の民は成長が早いのよ。未来の天空王のくせに、そんなことも知らないの?」
ああ言えばこう言う、という感じで反論されるので、レオンは本気で不機嫌になり始めました。
「海の民なんか知り合いにいなかったからな。これからも知り合いになるつもりはないよ」
「おい、そう言うが、メールも半分海の民なんだぞ」
とゼンが横やりを入れたので、レオンはますます不機嫌になりました。口をへの字にして黙ってしまいます。
ポチがシードッグのシィに話しかけました。
「ワン、ごめんね、シィ。久しぶりで会えたんだけど、ぼくたちは本当に先を急いでるんだよ。また今度、ゆっくり話そうね。カイやマーレとも一緒に」
「もう行っちゃうんですか、ポチさん? せっかくまた会えたのに」
とシィが残念そうに引き留めたので、今度はルルが急に機嫌を悪くし始めました。
「急いでいるって言ってるじゃないの。本当に、ぐずぐずしていられないのよ。さあ、行きましょう」
こちらは雌のシードッグのシィにやきもちを妬いています。
すると、ペルラが言いました。
「闇大陸を探しに行くわけね。じゃ、あたしも一緒に行くわ。連れていってちょうだい」
一行はびっくりしました。
「ちょっと、ペルラ、さすがに無理だよ。そこは海じゃないんだしさ」
とメールが言うと、ペルラは目をつり上げました。
「あら、どうして? あたしが海の民だから? でも、メールだって行くんもの、あたしだって行けるはずよ。闇大陸ってどんなところなのか、興味はあったの。だめと言ったってついていくわよ!」
彼女は意固地に言い張ると、横目でフルートをうかがいました……。