その日一日、フルートたちは偏西風に乗って空を飛び続けました。
偏西風は空の高いところを吹いているので、空気が薄く気温も低い場所なのですが、レオンが全員に保護魔法をかけたので、一行は地上を行くように楽々と飛んでいきます。
彼らの下にはしょっちゅう雲が流れてきて、綿雲の海を作ったり、分厚い雲の絨毯を敷き詰めたりしますが、彼らが飛ぶ場所に雲がかかることはほとんどありませんでした。時折薄い霧のような雲に突入しますが、すぐに抜け出して、あとは晴れた空になります。
「ここはどのあたりかな? 大地がずいぶん緑色に見えるけれど」
とフルートが地上を見下ろして言うと、ルルが答えました。
「偏西風はミコン山脈の北側を吹いているんだけど、さっき山脈が終わったから、ユラサイ国の近くまで来たはずよ」
「ワン、だとしたら、ユラサイの南部なんじゃないかな。あのあたりには森林地帯が広がっているんです」
とポチも言います。
ユラサイかぁ……と勇者の一行は考えました。神竜と呼ばれる白い竜に守られた国ですが、二千年前セイロスがデビルドラゴンに敗れた場所でもあります。
すると、レオンが話し出しました。
「天空の国に残された戦いの記録によると、二千年前、光の軍勢はユウライ砦で闇の竜に大敗したらしい。光の軍勢の大将だったセイロスが闇の竜になってしまったんだから、当然と言えば当然だけれどな。それまでセイロスと一緒に戦ってきた名将が、そこで大勢命を落としたらしい。ほら、君たちが中央大陸と呼ぶ場所とユラサイ国の間には、大きな砂漠があるだろう? あれは闇の竜が光の軍勢を全滅させようとして、巨大な闇魔法を使った痕だ」
「ワン、大砂漠ではいつも太陽が真上から照っていて、季節が変わっても高さが変わりません。大昔にそこで大きな魔法戦争があって、その痕が不毛の砂漠になったんだ、っていう言い伝えが残っているんです。やっぱり光と闇の戦いのことだったんですね」
とポチが言います。
一方、メールは別のことに興味をひかれて、レオンに聞き返しました。
「セイロスと一緒に戦ってきた名将が大勢死んだ、って言ったよね? その中にロズキって人も含まれてなかったかい?」
ロズキというのはセイロスの当時の副将だった人物です。赤茶色の髪にたくましい体つきをした青年で、腕っ節は強いのに意外なほど人の良い人物でした。フルートたちは南大陸の火の山の中で彼の幽霊と出会い、火山の底まで行ったのです。
レオンはちょっと思い出すような顔つきになると、すぐに答えました。
「ロズキという名前は当時の記録の中にも残っているな。死亡した原因まではわからないけれど、没年がユウライ砦の戦いと重なっているから、おそらくメールの言う通りなんだろう」
レオンは一度読んだ本の内容をそっくりそのまま記憶しておくことができるので、頭の中で本をめくって、該当する記述を見つけたのです。
フルートたちは思わず大きな溜息をついてしまいました。
「ってことは、なんだ? ロズキさんはセイロスに殺されていたってわけか? 自分が心から信頼していた相手によ……」
とゼンがうなるように言います。
火山の中で出会ったロズキは、幽霊になった今でもセイロスを尊敬していました。そして、セイロスを守ることができなかった、と悔やんでいたのです。その中にセイロスに対する恨みのような感情はありませんでした。
ロズキが本当にセイロスを敬愛していたことを痛感して、一行はまた溜息をつきました。彼の霊は今は火の山の地下で巨人クフと鍛冶仕事をしています。セイロスがこの世に復活したことを、彼は知っているんだろうか? 知ったとしたら、どんな気持ちでいるんだろう? そんなことも考えてしまいます――。
やがて空に夕刻が訪れました。
眼下の雲が一面赤く染まったと思うと、たちまち色を失って、あたりが暗くなっていきます。
急にやって来た夜に驚くフルートたちに、ビーラーが言いました。
「ぼくたちが東へ飛んでいるからだよ。日暮れの場所をあっという間に飛び越してしまったんだ。ぼくたちはもうしばらく東へ飛んで、それから南に向かう風に乗り換える。その先もいくつか風を渡ることになるけれど、乗り換えは夜中を過ぎてからだから、それまでしばらく寝ているといいよ」
「おまえらは寝なくていいのかよ? 風の犬だって、飛び続ければ疲れるだろうが」
とゼンが言うと、ルルが答えました。
「大丈夫よ。偏西風に乗れば、空を飛ばなくても風が運んでくれるから。寝ることだってできるのよ」
「あれ、なんか海流に乗って遠征したときみたいだね。海の軍勢と一緒にさ」
とメールが懐かしそうに言いました。海の王の戦いのときのことです。
やがて日が暮れて空は完全に暗くなりました。月はまだ出ていませんが、満天の星がまぶしいくらいに輝き出します。ゼンとメールはルルの背中で眠り始めました。戦士はいつでもどんなところでも休むことができるのです。
フルートも、その気になればすぐ眠りにつくことができましたが、星があまり綺麗なので、ポチの背中に仰向けになってしばらく空を眺めていました。星座の形をたどって、自分たちが進んでいる方角を推測したりします。東へ向かっている、と犬たちは言っていましたが、正確には南東の方角へ飛んでいるようでした。偏西風は西から東へ吹く風ですが、どうやら、まっすぐ東へ向かうのではなく、南北に大きくうねりながら吹いているようです。
すると、思いがけず、隣にポポロが体を横たえました。面食らうフルートに話しかけてきます。
「あたしたち、もう海の上に出たわよ。下には一面雲がかかってるけれど、その下は西の大海だわ……」
う、うん、とフルートは答えました。夜の暗さに慣れた目には、星明かりでもポポロの顔がはっきり見えました。かわいらしい頭が自分の頭と並んでいるだけで、なんだか急にどきどきしてきます。
ポポロのほうは、そんなフルートの内心には気づかずに、話し続けました。
「闇大陸ってどんなところなのかしらね……。ずっと探し続けてきたのに、いざ行けることになったら、なんだか怖いような気もするのよ。やっと行けることになったのに……」
彼女が本当に不安そうに目を伏せたので、フルートは言いました。
「それはポポロだけじゃない。みんな同じさ。なにしろ光と闇の最終決戦があった場所なんだから。そういう場所って、その後もずっと魔法の影響を受けていたりするものなんだろう?」
うん……とポポロはうなずきました。目を伏せたまま、引き止めるようにフルートのマントをつかみます。
フルートは思わず苦笑しました。彼女の不安の原因が自分だとわかってしまったからです。何が待ち構えているかわからない闇大陸で、フルートがまた無茶をするのではないか、と心配しているのでしょう
フルートはちょっとためらってから、思い切ってポポロに片腕を回しました。びっくりして顔を上げた彼女をぐっと引き寄せて、話しかけます。
「絶対に大丈夫だよ。だって、みんな一緒なんだからな。ぼくたち全員が揃っていたら、どんなところだって絶対に心配ないんだ。だから、もう寝よう。夜中になったら風を乗り換えると言っていたし、そうなったら寝ていられなくなるだろうからね」
ポポロは真っ赤になってうなずきました。彼女の華奢な体は、フルートが着る金の鎧にぴったり押し当てられていました。装甲におおわれた腕が、彼女を守るように、頭から背中にかけて回されています。鎧は堅くて冷たいのですが、彼女に触れる手はフルートの体温を伝えてきました。鎧の胸当て越しに、フルートの心臓の音も聞こえるような気がします――。
ポポロが腕の中で眠り始めたので、フルートは正直あせりました。もう寝よう、とは言いましたが、まさか本当にここで寝てしまうとは思わなかったのです。すぅすぅと規則正しく聞こえてくる寝息の音に、ますますどぎまぎしてしまいます。
彼女が安心して寝てくれれば、もう抱いている必要はないのですが、腕を放す気にはなれませんでした。壊れやすい宝物でも抱えるように、息を殺して彼女を見つめてしまいます。心臓が高鳴って、フルートのほうはとても眠れそうにありません……。
ところが、次の瞬間フルートもことりと眠りに落ちてしまいました。小さな声と共に銀の星が飛んできたからです。
「レムーネ」
眠りの呪文を唱えたのはレオンでした。ビーラーの背中に横になったまま、フルートへ指先を向けています。
「眠れないのかい、レオン?」
呪文に気づいたビーラーが尋ねてきたので、レオンは答えました。
「ぼくじゃない。フルートが眠れずにいるみたいだったからな。体を休めるには、眠ったほうがいいに決まってるんだ」
何故か言い訳でもするようにそう言うと、レオンは、ふん、とフルートたちへ背中を向けました。それきりもう二人のほうを見ようとはしません。やがて彼からも寝息が聞こえてきます。
満天の星と厚く垂れ込めた雲の海の間を、彼らは風と共に飛び続けていきます──。
すると、雲の海の中から一羽の鳥が飛び出しました。こんな空高い場所にいるはずがないような小さな鳥です。夜空の中にほの白い風の犬たちを見つけて上昇しますが、偏西風が吹く場所まで来ると風にあおられてしまいました。小さな体ではうまく風に乗れなくて、どんどん離れていきます。
すると、鳥の体が急に変わり始めました。翼やくちばしが消え、体が細く長く延び、足の数が増えて、一匹の竜になります。それも、ユラサイで見かける蛇のような形の竜です。
竜は細長い体をくねらせながら、風の犬が飛んでいった方角へ飛び始めました。強風にももう負けません。しばらく雲の上を飛んでいくと、潜るようにまた雲の中に飛び込んでしまいます。
夜の闇の中、フルートたちは後を追ってくる竜に、とうとう気がつきませんでした。