神の都ミコンを守る聖騎士団が山頂から駆け下ってくるのを見て、フルートは顔色を変えました。
「だめだ――!」
ポチの背中の毛を握りしめて、思わずそう叫んでしまいます。
そばに浮いていた青の魔法使いは意外そうな顔をしました。
「何故ですかな、勇者殿? ここはミコン領内。サータマン軍が攻め込んでくれば、領地と都を守るために守備隊が出動してくるのは当然ですぞ」
フルートは首を振りました。
「この正面衝突を避けたくて、疾風部隊を囲い込もうとしたんです……! 激戦が起きてしまうから!」
ポチは絶句して地上を見下ろしていました。麓のほうからは疾風部隊が、都がある山頂側からは白い制服に青いマントの聖騎士団が、それぞれ馬で走ってきます。双方が全力疾走しているので、距離はみるみる縮まっていきます。
疾風部隊も駆け下りてくる聖騎士団を発見していました。
「敵出現!」
という声に、兵士たちが剣を抜きます。
すると、聖騎士団もいっせいに剣を抜きました。迫る軍勢の中で刀身がきらきらと光り始めます。
ランジュールはセイロスの横へ飛んでいって言いました。
「残念だねぇ。ミコンの都に奇襲をかける前に、敵に気がつかれちゃったよぉ。あっちも同じくらいの人数みたいだけど、どぉするのぉ?」
「どうもせん。ただ敵を蹴散らして前進するまでだ」
とセイロスは答えました。その落ち着き払った声に、ランジュールは疑う表情になります。
「ずいぶん落ち着いてるよねぇ? 勢いに任せてミコンの都に攻め込んで、敵が守りを固めきらないうちにやっつける作戦だったはずだのにさぁ。なんだか、こぉなるのを予想してたみたいじゃなぁぃ?」
けれども、セイロスは何も答えませんでした。ただ、ふふん、と笑うと、地上の疾風部隊に向かって呼びかけます。
「恐れるな、サータマンの精鋭部隊の諸君! ここに敵が現れたと言うことは、それだけ総本山の守りが手薄になったということだ! 敵を蹴散らして一気に総本山へ行くぞ!」
おぉぉぉ!!!
疾風部隊が馬を走らせながら声をあげました。セイロスの声は魔法で彼らに伝わっているのです。
「敵がここまで来たから、その分、都を攻めやすくなったって喜んでるわけぇ? なぁんか釈然としないなぁ……」
ランジュールはまだぶつぶつ言っていますが、セイロスは相手にしませんでした。薄笑いのまま、迫る聖騎士団を見て言います。
「派手に行くぞ。まずは連中を吹き飛ばしてやる」
とたんに巨大な黒い光がセイロスから飛び出しました。聖騎士団に向かって飛んでいきます。
「危ない!」
空中のフルートたちや地上のゼンたちは声をあげました。魔弾は聖騎士団をそっくり吹き飛ばすほど巨大です。ポポロがとっさに魔法で防ごうとしますが、魔弾のほうが速くて間に合いません。
ところが、青の魔法使いが言いました。
「大丈夫です、勇者殿」
とたんに魔弾が空中で弾けて吹き飛びました。光の壁が広がって聖騎士団を守ったのです。
青の魔法使いのしわざではありませんでした。ほら、と青の魔法使いが地上を示します。
森の中や道の上には、いつの間にか何十人もの人々が立っていました。男が多いのですが女もいくらか混じっています。彼らは全員が白い長衣を身につけていました。胸には光の女神ユリスナイやユリスナイ十二神の象徴を下げています。
「ワン、ミコンの魔法使いたちだ!」
とポチは驚きました。神の都ミコンにいる魔法司祭や魔法僧侶たちもやってきていたのです。
すると、空中に純白の長衣を来た中年の男性が現れました。南方系の浅黒い肌に短い赤い髪をして、ユリスナイの象徴と細い銀の肩掛けを身につけています。
「大司祭長!」
と今度はフルートが驚きました。神の都ミコンの総責任者自らが、都からここまで下りてきたのです。
大司祭長はフルートに軽く会釈をしました。
「勇者殿とお約束した通り、我々はこちらからサータマンへ攻撃をしかけることはしませんでした。今、国境を越えてミコンに攻め込んできたのは彼らのほうです。これもお約束通り、我々は全力でミコンと同盟の国々を守らせていただきます」
穏やかな声ですが、その中に非常に強い意志と信念がありました。
フルートは、でも――と言いかけ、それ以上は何も言えなくなってしまいました。青ざめながら、道の上と下から迫っていく二つの軍勢を見下ろします。
「ミコンの魔法使いどもか」
とセイロスは言いました。自分めがけてくり出されてきた魔法を闇の障壁で防ぐと、空中の大司祭長をにらみつけます。
「貴様が連中の長だな。我々の邪魔をするとは、身の程知らずもいいところだ」
「それはどうでしょう? 見たところ、あなたは先の大司祭長ほど強力な闇魔法は使えないようだ。デビルドラゴンが人となって復活したと聞いていたが、どうやらまだ不完全体のようですな」
と大司祭長は切り返しました。ミコンの最有力者は、セイロスの弱点を一目で見抜いたのです。
へぇ、と感心したのはランジュールでした。
「セイロスくんの力がなぁんとなく足りないなぁってボクも感じてたんだけど、やっぱりまだ完全じゃなかったんだぁ。そぉっかぁ、不完全体だったのかぁ」
「私は不完全などではない」
とセイロスは冷ややかに言い返すと、大司祭長めがけて魔弾をくり出しましたが、それは光の障壁に防がれてしまいました。大司祭長は無傷です。
ランジュールは戦いを無視してまだ考え続けていました。
「だけどさぁ、セイロスくんはボクのフーちゃんを使ってよみがえってきたんだよねぇ。フーちゃんは闇の国でデビルドラゴン二号にするために育てられてきた怪物だし、その後もボクが手塩にかけて育てたんだから、素材が悪くて不完全ってことはないと思うんだけどなぁ。それに、セイロスくんは時々ものすごい力を発揮するしねぇ。それでもやっぱり不完全体なのかなぁ。うぅん――?」
「くだらん話をしていないで、さっさとグルで連中を蹴散らせ!」
とセイロスがランジュールに言いました。彼自身は魔法使いたちが疾風部隊めがけて放つ魔法を防いでいました。数十人分の魔法を同時に受け止めてもびくともしませんが、敵を一気に吹き飛ばすほどの力も発揮しようとはしません。
ふぅん? とランジュールは溜息のような声を洩らすと、とりあえず、目の前の戦闘に集中することにしました。後ろに控えていた影の大猿に命じます。
「それじゃ行こうか、さっちゃん。あそこの白い服の人たちをやっつけるよぉ」
うぉぉぉぉ!!!
大猿が声を響かせながら魔法使いたちへ急降下していきます。
そのとき、石畳の道の上で、ついに疾風部隊と聖騎士団が激突しました。馬と馬が走り寄り、兵士と騎士が槍を突き出し剣をぶつけ合います――。
「フルート! ポチ!」
地上からポポロに呼ばれて、フルートたちは我に返りました。ゼンたちが手を振って招いているのを見て、急いで下りていきます。
すると、管狐の背中からセシルが言いました。
「今のうちだ。なんとかしてグルとランジュールの気をひいて、グルを遺跡へ連れていけ」
「疾風部隊は聖騎士団とぶつかったし、セイロスはミコンの魔法使いたちが抑えてくれてるもんね。今がチャンスだよ」
とメールも言います。
でも……とフルートはためらいました。背後では疾風部隊と聖騎士団、セイロスとミコンの魔法使いたちが戦いを始めていました。軍馬の蹄の音、剣と剣、槍と盾がぶつかり合う音、魔法と魔法が激突する音――。ミコンの山中に延びる道はあっという間に激戦地に変わっています。傷ついた兵士や馬の悲鳴やいななきも聞こえてきます。
すると、セシルが厳しい声になりました。
「最初の目的を忘れるな、フルート。私たちがグルを元に戻さなければ、世界中のグルを信じる国でグルが暴れ出すんだぞ。そうなれば被害はこんなものではすまない。大局へ目を向けろ」
「わかってる。それはわかってるんだ――」
とフルートは言うと、顔を大きく歪めました。それが一番正しい道だとわかっていても、それでも背後から聞こえる戦いの音や悲鳴を無視できないのです。フルートは本当に優しすぎる勇者でした。
セシルがまたフルートを叱りつけようとすると、ゼンが止めて言いました。
「後は俺たちに任せて、おまえはグルを誘導して遺跡へ行け。心配すんな。疾風部隊をここから全面退却させるからよ」
「どうやって!?」
フルートだけでなく、他の仲間たちも驚いて聞き返しました。ゼンがあまり大きく出たので、セシルも目を丸くしています。
「隙を見てセイロスの馬に飛び移るんだよ。奴を空から突き落としてやる。んなことしたって奴は死なねえだろうが、疾風部隊は戦意喪失するはずだ」
「やだ。それじゃ、私にセイロスに接近しろっていうわけ? セイロスの攻撃を食らったらどうするつもりよ?」
とルルが言うと、ゼンは肩をすくめました。
「当たらねえようにがんばれよ。それともやっぱり無理か? なら、なんとか奴を地上に引きずり下ろして、そこで取っ組み合いをするけどな」
「ますます無茶じゃない! やめて! 私が隙を見て近づくわよ!」
とルルが怒ると、メールも言いました。
「そんなら、あたいは援護するよ。セイロスがこの辺の花を飛べないようにしちゃったけどさ、木の葉ならまだ動かせそうなんだ。ゼンとルルがセイロスに近づく間、木の葉で煙幕を作ってやるよ」
「あ――あたしも! 魔法はまだもう一つ残っているのよ。それをうまく使って、なんとか戦闘を終わらせるわ――!」
とポポロも言います。
フルートは仲間たちの真剣な表情を見回しました。背後からは激しい戦闘の音が聞こえ続けています。疾風部隊と聖騎士団は両軍入り乱れての混戦になっていました。武器や防具がぶつかり合う音、馬の鼻息といななき、蹄の音、怒声、悲鳴……。その一つ一つを聞き分けることは、もう不可能です。
フルートは目を閉じると、肩を大きく上下させて呼吸をして、また目を開けました。もう一度仲間を見渡して言います。
「その作戦は認められない――。君たちを残して、ぼくがグルを連れ出せば、それだけで誘導だと見抜かれてしまうからだ。だから、全員でこの場所を離れる。セシルも、銀鼠さんや灰鼠さんも一緒だ。ぼくは最初に、ロムドの魔法軍団が国境の別の場所でサータマン城を狙っている、とセイロスたちに話した。あの嘘はまだ生きている。ぼくたちがいっせいにここを離れれば、ランジュールはきっと後を追いかけてくるはずだ――」
フルート……と仲間たちは言いました。それは正しい判断に違いありませんでしたが、そう話すフルート自身は、ひどく苦しそうな表情をしていたのです。背後からは激戦の音が聞こえ続けていますが、あえてそちらを振り向こうともしません。
「よし、わかった」
とゼンが言い、仲間たちもうなずきました。セシルも管狐の背中でうなずいています。
フルートは西へ目を向け、短く言いました。
「行くぞ」
ポチに乗ったフルート、ルルに乗ったゼン、管狐に乗ったセシル、メール、ポポロは、道を外れると西側の森へ飛び込んで行きました――。
真っ先にそれに気づいたのは、空中でグルに攻撃を繰り返していた銀鼠と灰鼠でした。弟が姉をつついて言います。
「勇者たちが戦場を離れた。まさか、逃げ出したんじゃないよな?」
「あの子たちに限って、それはありえないわ。ソルフ・トゥートへ移動を始めたのよ。とすると、あたしたちも後を追わなくちゃ。行くわよ」
姉弟が急に攻撃をやめて西へ飛び始めたので、青の魔法使いが驚いて追いかけてきました。
「どうした、銀鼠、灰鼠?」
「西へ向かいます、青様。勇者殿の作戦です」
と銀鼠が答えると、青の魔法使いは、ふぅむとうなりました。
「ずいぶん無茶をしていると思ったが、やはり作戦だったのか。だが、ランジュールたちが後を追ってくるぞ」
「それが狙いです」
と灰鼠も答えます。
一方、ランジュールもフルートたちが戦場を離れたことに気がついていました。
「えぇ、勇者くんが逃げ出すなんて、どぉいうことぉ? こぉんな激戦が起きてるってのにさぁ。いつもの勇者くんなら、なんとか止めようとするはずだよねぇ?」
すると、その後を追うように、元祖グル教の姉弟が戦闘をやめて移動を始めました。さらに青の魔法使いまでが後を追っていきます。
ああ、とランジュールは思い出しました。
「そぉいえば、ロムドの魔法軍団がサータマンに攻め込むのに待機してる、って前に勇者くんは言ってたよねぇ。ああしてロムドの魔法使いたちが追いかけていくし、皇太子くんのお嫁さんのお姫様も行くし。ってコトは、ロムドの魔法軍団だけでなく、皇太子くんまで一緒に来てるってコトかな? 勇者くんと皇太子くんの両方が来てるなんて、こんなチャンス、ぜぇったいに見逃せないよねぇ――。行くよぉ、さっちゃん! 勇者くんと皇太子くんをまとめて殺してあげなくちゃ」
ランジュールが戦場を離れて飛び始めたので、大猿もすぐに戦うのをやめて後を追いかけました。白い幽霊と巨大な黒い影が道の西側の森へ飛び込んで消えていきます。
「ランジュール! どこへ行くつもりだ!?」
セイロスが気がついて呼びましたが、ランジュールたちは戻ってきませんでした――。