「ここを抜け出すなど、実際には簡単なことだ!」
セイロスがそう言ったとたん、グルの印を刻んだ木が音を立てて揺れ出し、根元の地面ごと浮き始めました。どんどん高く上がっていって、森の上に飛び出していきます。その数は実に百五十本あまりありました。シュイーゴの男たちが切った木すべてが、空に浮いてしまったのです。
顔色を変えたフルートたちに、セイロスは薄笑いをしました。
「魔法でグルの印を破壊すれば反動が来るが、私は印を破壊してはいない。ただ国境を空中に移動させているだけだ」
ついで、あっけにとられて空を見ている疾風部隊に言います。
「これはグル神の技だ。我々を窮地から救おうとしているのだ」
影の大猿の姿になったグルは、ランジュールと共に戻ってくるところでした。それを見て、兵士たちはセイロスのことばを完全に信じました。グルに向かって両手を合わせ、感謝の祈りを捧げ始めます。
すると、空に浮いた木がいっせいに、ぼうっと赤く光り出しました。木と木の間に赤い光の筋も走っていきます。それは守りの魔法が作る国境線でした。木が空中にあるので、国境線も宙に浮いています。
「しまった!」
フルートはセイロスがやろうとしていることを悟って声をあげました。
国境線は、まるで紐かロープを持ち上げたように空中にありました。それがゆっくり移動を始め、セイロスや疾風部隊の頭上を越えて背後へ移動していきます。
ああっ!? と勇者の仲間たちも驚きの声をあげました。敵の背後に回った木が、国境線と共にまた森の中へ下りていったのです。やがて、地響きと共に森の中に着地します。
セイロスと疾風部隊がいる場所は、今はもう国境線の外でした。一歩も動くことなく、国境の魔法から抜け出してしまったのです。
おぉぉぉ!!!
疾風部隊は腕を突き上げて歓声を上げました。グル、グル、という連呼がまた始まりますが、赤く光る国境はもう彼らを邪魔してはいませんでした。行く手にはミコンに続く道が伸びています。
セイロスは疾風部隊に命じました。
「全軍出発! ミコンめざして一気に突き進め!」
馬に鞭を入れる音がいっせいに響き、疾風部隊は再び進軍を始めました。石畳に蹄や車輪の音を響かせて疾走していきます。
「止めるんだ!」
とフルートは叫んで先回りしようとしました。他の仲間たちも空から疾風部隊を追いかけます。
すると、その目の前に巨大な影が立ちふさがりました。ランジュールが連れているグルです。うふふっ、とランジュールが楽しそうに笑いました。
「ざぁんねんでした。キミたちのお相手はこのさっちゃんなんだよぉ」
同時に空から稲妻が降ってきました。フルートたちを直撃します。
「アーラーン!!」
銀鼠と灰鼠は同時に杖を振りました。ごぅっと大きな炎が広がり、フルートたちの上を越えて影の大猿に襲いかかります。
炎は稲妻も防いでくれましたが、まるで犬のような形に見えたので、ルルが驚きました。
「なぁに、アーラーンって犬なの!?」
けれども、猿が長い前脚を振ると、炎の犬は二つに裂けて消えてしまいました。
うぉぉぉ、と猿がほえます。
すると今度は大猿から猛烈な風が吹いてきました。森の木々をいっせいにざわめかせ、フルートたちを押し戻してしまいます。
「は――花が吹き飛ばされるよ――!」
メールが叫びました。強すぎる風に花鳥の体から花が飛ばされていたのです。鳥がどんどん小さくなっていきます。
フルートはとっさに言いました。
「下に降りろ! 地上から連中を追うんだ!」
そこでメールは花鳥を急降下させましたが、大きく後ろへ飛ばされ、あともう少しで地上に降り立つというところで、完全に花に戻ってしまいました。メールとセシルとポポロが空中から墜落します。
「管狐!」
とセシルが叫ぶと、腰の筒から大狐が飛び出して彼女たちを受け止めました。ケーン、と鋭く鳴くと、すぐに疾風部隊を追い始めます。
「よし!」
フルートはうなずくと、影の大猿をにらみつけました。強風はまだごうごうと吹き続け、周囲の木々を狂ったようにしならせています。ポチとルルはかろうじて留まっていましたが、風が強すぎて前進することができません。銀鼠と灰鼠も、絨毯にしがみついて飛ばされないようにしているのがやっとです。
フルートは身を伏せると、風の犬になったポチの耳に頭を寄せて、何かをささやきました。ポチは聞き耳を立て、すぐにルルの横に並びました。頭を寄せて、やはり何かをささやきます。
その様子にランジュールが目ざとく気がつきました。
「なぁにぃ? 何か企んでるわけぇ? でも、その風の中にいる限り、キミたちは何もできないよぉ。これはさっちゃんが息を吐いてるわけじゃないから、いつまでたっても停まらないんだからねぇ」
と勝ち誇ったように言います。強風で一行をへとへとにさせてから、ゆっくり倒そうという作戦なのです。
すると、二匹の犬たちが急に風に吹き飛ばされました。あっという間に後方へ遠ざかってしまいます。
銀鼠と灰鼠の姉弟は驚きました。激しくはためく絨毯に必死でつかまりながら、後方へ呼びかけます。
「大丈夫!?」
「しっかりしろ、みんな!」
一方、ランジュールのほうも意外そうに目を丸くしていました。
「あれぇ? ワンワンちゃんたちったら、もぉ疲れて飛べなくなっちゃったのぉ? なんだか前よりひ弱になったんじゃなぁい?」
けれども、ポチとルルは力尽きて後方へ飛ばされたのではありませんでした。風の中で向きを変え、吹いてくる風を追い風にして速度を上げると、やおらポチが風の尾をルルの尾に絡ませて停まります。
とたんに、ルルの長い体がポチにひっぱられました。それまでの速度があるので、勢いよく半回転します。ゼンはルルから放り出されそうになって、うぉっ!? と背中にしがみつきました。とたんにポチが尾を放したので、そのまま風から飛び出していきます。
一方、ポチにも同じようなことが起きていました。ルルの尾を放したとたん、やはり風から飛び出したのです。いったん風に乗ることで速度を上げ、その勢いを利用して風を振り切ったのでした。
ああっ!? とランジュールは驚きました。
「ちょぉっと! ダメだよぉ、風から抜け出したりしちゃぁ! さっちゃん、もぉ一度風攻撃!」
けれども、ポチとルルが右と左に分かれていたので、どちらに攻撃するかで大猿はとまどいました。ランジュールが金切り声を上げます。
「あの金色のほぉ! とにかくあの勇者くんを倒すのがボクたちの目的なんだからねぇ!」
大猿がフルートへ集中的に風を送り始めたので、ゼンが乗るルルと姉弟の空飛ぶ絨毯はノーマークになります。
彼らはすぐにまた全速力で飛び始めました。ルルとゼンは疾風部隊を追いかけ、銀鼠と灰鼠は大猿に向かいます。先に敵にたどり着いたのは姉弟のほうでした。二本の杖を大猿に向けて言います。
「来たれ、アーラーン! 荒れ狂うグルを止めたまえ!」
再び杖から巨大な炎が飛び出しました。また大犬のような形になって大猿に飛びつき、今度は猿の影の喉笛にがっぷりと食いつきます。
とたんに大猿は炎に包まれました。吹いていた強い風がぴたりとやみます。
フルートはポチに言いました。
「セイロスを止めるんだ!」
そこでポチも疾風部隊の後を追って飛び始めました。地上からはセシルとメールとポポロを乗せた管狐が、空からはゼンを乗せたルルとフルートを乗せたポチが、軍勢を追いかけます。
すると、先頭を走るセイロスがちらりと彼らを振り向きました。次の瞬間には黒い魔弾がゼンに飛んでいきます。
「危ない!」
ルルはとっさに身をかわしました。ゼンは魔法攻撃も平気ですが、ルルはそういうわけにはいかないのです。
フルートとポチはいっそう速度を上げ、ゼンを追い抜いて前に飛び出しました。疾風部隊が行く道の先へ舞い降りて叫びます。
「これ以上先へは行かせないぞ!」
「邪魔をするな、フルート」
セイロスがにらみつけたとたん、たくさんの魔弾がフルートへ飛びました。ポチにはかわしきれないほどの量です。
けれども、それはフルートやポチにたどり着く前に、光の壁に砕かれました。フルートの横にまた金の石の精霊が姿を現して言います。
「フルートを傷つけることはできないぞ。ぼくがついているからな」
ふん、とセイロスは冷ややかな目になりました。
「古ぼけた石がいつまでも出しゃばるな。この世界は私のものになる契約がかわされたのだぞ」
「契約はまだ実行されていない。誤った契約は実現しないものだ」
と金の石の精霊も言い返しました。セイロスに劣らず冷ややかな声です。
フルートは背中の大剣を握りました。
「おまえたちをミコンに行かせるわけにはいかない。勝負だ、セイロス」
光る刃を引き抜きながら、フルートはそう言いました――。