シュイーゴの砦から宗教都市ミコンへ怒濤の進軍をするセイロス軍を止めたのは、グルの印を利用した国境の守りでした。
フルートはシュイーゴの男たちに国境の北側へ半円を描くように木を切ってもらい、セイロス軍がその半円の中に入り込むのを待って、木にグルの印を刻んで新たな国境線を作りました。新たな国境はセイロス軍へ外向きの印を向けていたので、彼らが先へ進もうとすると、守りの魔法に攻撃されることになったのです。
国境に閉じ込められた軍勢の前に、フルートは姿を現しました。
「おまえたちはもう、そこから出られない。先へ進んでも引き返しても、グルの国境線を越えたとたん稲妻にやられるからな」
と落ち着き払って言います。
セイロスはいまいましそうにフルートをにらみつけましたが、すぐに平静を取り戻すと、ふん、と鼻で笑いました。
「貴様も来ていたのか、フルート。だが、くだらん罠だ。国境に魔法をかけたのはこの私だ。かけることができたのならば、解くこともできるとは思わなかったのか」
と、すぐにも国境の魔法を解除しようとします。
すると、フルートのほうも冷ややかに笑って言いました。
「解くなら解けばいい。国境の別な場所に待機している魔法軍団がサータマンに攻め込めるようになるから、なお好都合だ」
なに!? とセイロスはまた険しい表情になり、疾風部隊は動揺してざわめき始めました。サータマンには強力な魔法使いが少ないので、大勢の魔法使いにいっせいに攻め込まれたら、敗れる可能性があったからです。
けれども、セイロスはまた冷静な顔になりました。
「そんな作戦をわざわざ敵に教える必要はない。はったりだな、フルート。魔法軍団が攻め込むなどというのは作り話だ」
「解釈は自由にすればいい。君が国境を消しても消さなくても、こちらには勝算があるってことなんだからね」
とフルートは答えました。実際には、国境の別な場所で魔法軍団が待ち構えている、などというのは嘘八百。セイロスが言う通り、ただのはったりなのですが、とてもそうとは思えない落ち着きぶりです。
セイロスも、フルートがあまり落ち着き払っているので、つい用心する気持ちが働きました。フルートの横に銀鼠と灰鼠の二人がいることも、セイロスの用心を誘います。出動している魔法軍団がこの二人だけのはずはない、他の場所にもっと待機しているに違いない、と考えてしまったのです。魔法軍団がサータマンに攻め込んでサータマン城を占拠すれば、セイロスたちは後方支援を断たれることになります。それはなんとしても避けたいところでした。
すると、頭上からランジュールも言いました。
「セイロスくん、国境の魔法を勝手に解いちゃダメだからねぇ! グルの印とさっちゃんはつながってるし、キミの闇魔法から力をもらってるんだから、さっちゃんが大幅にパワーダウンしちゃうじゃないかぁ!」
その背後には、巨大な影が揺らめき続けています。
セイロスはいまいましそうにまたフルートを睨みました。
「行く手のグルの印を力ずくで破壊する方法もあるが、そうなれば全軍に反動魔法が来るから得策ではない。考えたな」
「ついでに、君は闇のものが越えられない魔法も国境にかけただろう? 君自身もそこから抜け出せないはずだ、セイロス」
フルートは相変わらず落ち着き払っています。
とたんに、その体を黒い光が直撃しました。セイロスがいきなり攻撃魔法をくり出したのです。セイロスの魔法は国境にはさえぎられませんでした。魔弾がフルートの上で破裂して飛び散ります。
けれども、黒い光のかけらが消えていくと、フルートが無傷で現れました。フルートと銀鼠、灰鼠の三人を淡い金の光が包んでいます。フルートの横と後ろには黄金の髪の少年と赤い髪とドレスの女性が立っていました。精霊たちが彼らを守ったのです。
ランジュールがまた金切り声を上げました。
「ダメだったらぁ、セイロスくん! 国境に魔法を使うと、さっちゃんが影響を受けるんだったらぁ!」
その背後で巨大な影が激しく揺れ動いていました。ぐあぉぉぉぉ……と地響きのようなうなり声も聞こえてきます。
また歯ぎしりしたセイロスへ、フルートは言い続けました。
「君たちはそこから出ることができない。あきらめて、その中でおとなしくしていろ。じきにミコンの魔法使いたちもここにやってくるからな」
それを聞いて、疾風部隊の兵士たちはまたどよめきました。
「我々を捕虜にするつもりか!? 異教徒どもに膝を屈してたまるか!!」
と騎兵のひとりが無謀にも駆け出し、国境を越えたとたん、また魔法の稲妻に打ち殺されます。
フルートは青ざめ、顔を歪めて言いました。
「無駄なあがきはやめろ! 命を落とすだけだぞ!」
馬と一緒に黒焦げで倒れていく仲間を見て、疾風部隊は完全に動けなくなりました。救いを求めるように司令官を見ますが、セイロスは馬にまたがったまま黙っています。
すると、セイロスがちらりと空中へ視線を向けました。そこにいたランジュールと目が合います。
ランジュールは、うふふっと笑って動き出しました。
「そぉそぉ、そぉだよねぇ。国境の魔法は確かに人や闇のものを閉じ込めちゃうんだけどさぁ、ボクは人でも闇のものでもないんだなぁ」
そんなことを言いながらふわふわと飛び、グルの印を刻んだアカマツの横をすり抜けて前へ出ていきます。
フルートや銀鼠たちは、ぎょっとしたように後ずさりました。ランジュールが笑いながら追いかけて言います。
「うふふ、ボクが国境を越えられるとは思わなかったぁ? ざぁんねんでしたぁ。ボクだけじゃなく、さっちゃんも国境は平気なんだよぉ。セイロスくんに闇の力はわけてもらってるけど、闇のものってわけじゃないからさぁ。うふふふふ」
フルートたちはますます後ずさりました。石の精霊たちはいつの間にか姿を消してしまっています。
上機嫌で迫っていくランジュールの後ろで、揺らめく影がどんどん濃くなっていました。次第に頭や体、四本脚の輪郭をはっきりさせていきます。それは見上げるように巨大な猿の形をしていました――。
ところがそこへ藪の中から飛びだしてきたものがありました。風の犬のポチとルルです。ルルは背中にゼンを乗せています。
「ワン、フルート!」
とポチが飛んでいって背中にフルートを拾い上げました。
ゼンのほうはフルートとランジュールの間に割って入ってどなります。
「てめぇの悪趣味なペットとつきあう暇はねえよ! 俺たちは忙しいんだ! さっさと柵ン中に戻っておとなしくしてやがれ!」
「へぇぇ、ボクたちに戻れって言うわけぇ、ドワーフくん? ボクはねぇ、勇者くんたちをステキに殺してあげたくて、さっちゃんを捕まえたんだよぉ。なにしろ神様だから、なかなか言うこと聞いてくれなくてねぇ。苦労して捕まえたんだから、キミたちを戦わせたいって思うのが人情――じゃない、幽霊情ってモノだと思わないぃ? ほら、戦おうってばぁ。手足や頭がちぎれて血みどろの死体になるまで、派手にいこうよぉ。ふふふふ」
ランジュールのほうは残酷なことを楽しそうに言いながら迫り続けます。
ポチに乗ったフルートが言いました。
「そいつを相手にするな、ゼン! ぼくたちは魔法軍団のところに行かなくちゃいけないんだからな! 急ぐぞ!」
とランジュールやセイロスたちに背を向け、その場から離れていこうとします。銀鼠と灰鼠の姉弟も、いつの間にか空飛ぶ絨毯に乗って、フルートと一緒に空に浮いていました。
ゼンはランジュールに言いました。
「じゃぁな、ランジュール。そのさっちゃんとかいうペットに猿回しの芸でもさせて、仲良くしてろ」
思いきり馬鹿にされて、ランジュールはひとつだけの目を鋭く光らせました。にやりと唇の片側を持ち上げて、すごみのある笑い顔になります。
「へぇぇ、ボクたちから逃げるつもりぃ? さっちゃんは神様だよぉ。神様から逃げられるとでも思ってるのぉ?」
濃くなった影にひだのようなしわが寄り、巨大な猿の顔が現れました。ぎょろりと目をむいてゼンをにらみつけます。
とたんに影の一部が長い棘になって突き出し、ゼンに襲いかかりました。ゼンを真っ正面から貫きます。
ところが、棘はゼンの体に触れたとたん、霧散してしまいました。それをつかもうとしていたゼンの手の中でも、たちまち消えていってしまいます。
なんだ、とゼンは不満そうに言いました。
「魔法攻撃だったのかよ。俺に魔法は効かねえんだから、ちゃんと実体で攻撃してきやがれ。つかめねえだろうが」
「キミのほうこそ、その魔法を解除する防具を外しなよぉ。そしたら、さっちゃんの魔法でさっくり殺してあげるからさぁ」
とランジュールも負けずに言い返します。
ゼン! とフルートがまた呼んだので、ゼンは不毛な言い合いを切り上げました。
「わかってる! 出発しようぜ!」
とフルートや姉弟の後を追って飛び始めます。
「ちょぉっとぉ、ボクと話してる最中じゃないかぁ! ボクたちを無視するなんて、どぉいうことさぁぁ!!」
とランジュールが金切り声で後を追いかけます。
そのとき、ゼンが一瞬後ろを振り向きました。ランジュールがついてきているかどうか確かめるように、ちらりと視線を向けます。
セイロスは目ざとくそれに気がつきました。たちまちフルートたちの狙いを察して声をあげます。
「停まれ、ランジュール! これは罠だ!」
ランジュールは空中で急停止してセイロスを振り向きました。
「罠だってぇ?」
「そうだ。連中はおまえを誘い出して、この場所から引き離そうとしている。誘いに乗るな!」
セイロスはそう言い切ると、フルートたちをにらみつけました――。