フルートの横で目を閉じ、祈るように両手を組み合わせていたポポロが、あっと小さな声をあげて目を開けました。南の方角を見ながら言います。
「闇の波動を感じたわ。セイロスよ」
そこは国境線を越えた森の中でした。ポポロとフルートはシュイーゴからの道の上に立ち、その両脇にゼン、ポチ、セシル、鷹のグーリー、小猿のゾとヨが待機していました。全員がサータマンの国境を越えてミコン側の森に来ていたのです。
ただ、メールとルル、銀鼠と灰鼠の姉弟だけはこの場にいませんでした。森の中で一晩中木を切っていたシュイーゴの住人も、姿が見当たりません。
フルートがひとりごとのように言いました。
「闇の波動は間違いなくセイロスの魔法だ。道をふさいでいた柵を吹き飛ばしたな」
それを聞いてゾとヨは飛び上がりました。
「さささ、柵を吹き飛ばされたのかヨ!?」
「そそそ、それじゃ敵が攻めてくるのを止められないゾ!!」
すると、グーリーがピィとなだめるように鳴きました。
セシルも言います。
「そう、心配いらない。これはフルートの作戦なんだからな」
「ででで、でも、せっかくみんなで作った柵が役に立たなかったんだゾ!」
「どどど、どうやってセイロスたちを止めるんだヨ!?」
ゾとヨが騒ぎ続けるので、ゼンがあきれて言いました。
「なに慌ててやがる。セイロスがぶっ壊したのは、俺が道の途中に作っておいた柵だぞ。奴らに壊させるために作ったんだ」
フルートも落ち着き払って言いました。
「セイロスの攻撃は正攻法で素早い。だから、目の前に妨害物が現れれば、人力で取り除いたりしないで魔法で一気に破壊すると思ったんだ。案の定だったな」
二匹は目を丸くしました。
「わざとだったのかヨ? なんのためにそんなことをしたんだヨ?」
「壊されるために柵を作るなんて、なんだか変だゾ」
「変ではない。立派な作戦だ。それによって、セイロスたちがどこまで来たのか知ることができるんだからな」
とセシルが道の南を見据えながら言いました。その右手はもうレイピアの柄を握りしめています。
ゾとヨは状況がまだよく理解できずにいました。目をぱちくりさせながら考え、確かめるように尋ねます。
「セイロスが壊したのは、シュイーゴの人間たちが作った柵じゃなかったのかヨ?」
「じゃあ、そっちの柵はどこにあるんだゾ?」
「柵はまだないよ――これから作るんだ」
とフルートが答えたところへ、森の奥からシュイーゴの僧侶が現れました。両手を合わせて一同へ礼をしてから言います。
「町の男たちを安全な場所に避難させました。こちらでどんな騒ぎが起きても絶対にこちらへ来ないように、とも言っておきました」
フルートはうなずき、今度はポポロに尋ねました。
「セイロスと疾風部隊は、間違いなく国境を越えてミコン側に入ったね?」
「ええ。あたしにはセイロスたちは見えないんだけど、銀鼠さんと一緒に国境にいるルルが確かめてるわ」
ポポロとルルは姉妹のように育ってきているので、どんなに離れていても、心で連絡し合うことができます。
「よし」
とフルートは言うと、目を上げて一本の木を見ました。それは道のすぐ横に生えたアカマツでしたが、地上一メートルほどのところから切られて、残った幹が短い柱のようになっていました。シュイーゴの男たちが切り倒した木です。
同じような木は、さらに数十メートルおきに森の中に立っていました。切られた木と木の間に、木や板を渡した柵は作られていません――。
すると、フルートとポポロの足元で急に道が光り始めました。
人が通ることでできた道は、地面がむき出しになり、石ころが顔を出していましたが、それが輝きながら幅を広げて、みるみる灰色の石畳におおわれていったのです。
「ななな、なんだヨ!?」
「みみみ、道が急に立派になったゾ!?」
ゾとヨがまた驚いていると、フルートが鋭く言いました。
「セイロスたちが来るぞ! 全員山側へ下がれ! ポポロ、準備はいいな!?」
「はいっ!」
とポポロは答えました。星空の衣から細い右手を伸ばして、切られたアカマツの木へ向けています。
石畳の道にかすかに震動が伝わってきました。南の方からセイロスが率いる疾風部隊がやってきたのです。振動はたちまち大きくなっていきます。
フルートは仲間たちが先の場所から山側に退いたのを確かめてから、言いました。
「ポポロ、魔法だ!」
彼女はすぐに呪文を唱え始めました。
「メザーキオンセノテタニワガチーウノキタツーキー!」
とたんに指先から緑の星と光がほとばしり、切られたアカマツへ飛んでいきました。柱のようになった幹へ緑の光が絡みつくと、そこから左右へ飛んで、同じように切られた別の木に絡みつきます。さらにそこからまた右や左へ飛んでいって、また別の切られた木へ……。森の中に、緑の光でつながれた柵が出現していきます。
グーリーは翼を羽ばたかせて鳴き、ゾとヨも飛び跳ねながら歓声を上げました。
「すごいゾ、すごいゾ! 魔法の光の柵ができたゾ!」
「セイロスはデビルドラゴンだから、光の柵は越えられないヨ! これがフルートの作戦だったのかヨ!」
ところが二匹のそばにいたセシルが言いました。
「いいや、違う。作戦はこれからだ」
すると、緑の光は急に弱まり、絡みついた木に吸い込まれて見えなくなってしまいました。道をふさぎ森の中へ伸びていた光の柵も、たちまち消えてしまいます。
ああ! とゾとヨは言いました。今度は落胆の声です。
「柵が消えちゃったゾ!」
「ポポロは継続の魔法を使わなかったのかヨ!?」
けれども、フルートは強いまなざしで木を見つめ続けていました。はっきりとした声で言います。
「ポポロの魔法はまだ終わってない。これからなんだ――」
そのとたん。
切られた木の片側が、ばんと音を立てて弾けました。緑の光が内側からほとばしって、木の表面を引き裂いたのです。それが森の中で次々に起きていきます。
セシルは心配そうにその様子を見守っていました。
「シュイーゴの住人が切り倒した木は百五十本以上ある。時間切れになる前に、ポポロの魔法が行き渡るだろうか?」
「ワン、この勢いなら大丈夫だと思いますよ。ここは道がある中心の場所だし。きっとすぐに国境まで到達します」
とポチが答えているところへ、ポポロが言いました。
「国境に一番近い木に魔法が届いたって、ルルが言ってるわ! 灰鼠さんがいる国境の木にも、やっぱり届いたって!」
「よし! ルルに合図だ!」
とフルートはたたみかけるように言いました。
その頃にはもう、迫りくる疾風部隊の音がはっきり聞こえるようになっていました。石畳を駆ける蹄と車輪の音です。敵もポポロの魔法に気づいたのでしょう。兵士たちの怒声や鬨の声も聞こえてきます。
すると、フルートたちから見て左手奥の森の中から、風のうなる音が聞こえてきました。たちまち近づいてきて、目の前を吹きすぎていきます。
それは風の犬に変身したルルでした。森の中を地面すれすれに飛びながら、切り倒された木をかすめるようにして過ぎていきます。
「ワン、ルル!」
ポチも風の犬に変身すると、ルルの後を追って飛び始めました。
フルートたちには一瞬で通り過ぎて見えたルルですが、同じ風の速度で飛べば、彼女のしていることははっきり見えます。ルルは風の体を刃にして、切り倒した木の表面に浅い傷を刻んでいました。アカマツ、トネリコ、柳、サクラ……切り倒した木の種類は様々ですが、ルルが刻んでいく傷はどれも一定の形をしています。
ゾとヨは前へ首を伸ばすと、アカマツの木を眺めました。そこからではよくわからなかったので、ちょろちょろと走り出ていきます。
「こら、ゾ、ヨ!」
セシルが静止する声が聞こえましたが、二匹は立ち止まりませんでした。アカマツの根元に駆け寄ると、木の周りをぐるぐる回りながら見上げます。
木には、片側にポポロの魔法でできた傷が、反対側にはルルが風の刃で刻んでいった傷がありました。どちらも地上から同じくらいの高さです。
フルートが呼びかけました。
「戻ってこい、ゾ、ヨ。もうすぐセイロスたちがやって来るぞ」
キャッ!
その危険を忘れていた二匹は飛び上がって駆け戻ってきました。そのままフルートの肩によじ登って言います。
「木に傷がついてたゾ。でも、それだけだったゾ」
「柵になってないヨ。どういうことなんだヨ?」
ゼンが苦笑しながら近づいてきて、フルートの肩から小猿たちをつまみ上げました。
「おまえら、本当に作戦が全然理解できてねえな。切った木には、内側に縦の線が、外側に横の線がついていただろうが。これでもわかんねえのかよ?」
けれども、残念ながらゾとヨにはやっぱり理解することができませんでした。きょとんとした顔で首をかしげるばかりです。
セシルが心配そうにフルートに尋ねました。
「いまさらだが、こんなことで本当にうまくいくのだろうか? 疾風部隊はもうすぐそこに来ているぞ」
「きっとうまくいくよ。さあ、セイロスが来る。隠れよう」
フルートの呼びかけで、一同は大きな茂みの中に身を潜めました――。