早朝の空の下、セイロスに率いられた疾風部隊は、シュイーゴの砦から出撃していきました。
五百名の騎兵と五百頭の替え馬からなる、高速機動部隊で、その後ろに食料や予備の装備などを運ぶ兵站(へいたん)部隊の馬車が続きます。馬車は騎兵より遅れるのが常ですが、疾風部隊の馬車部隊は騎兵部隊とまったく同じ速度で行動することができます。
シュイーゴからミコンの山に向かっては、上り坂の一本道が延びていました。道の両側に広がっているのは、緑の草が風に揺れる牧場ですが、馬や牛はほとんど見当たりません。シュイーゴに突如現れた砦や、そこから伝わってくる物々しい雰囲気に怯えて、家畜は遠くへ逃げてしまったのです。一本道を騎兵部隊と馬車部隊だけが砂埃を立てて疾走していきます。
やがて、上り坂が緩やかになり、行く手には大きな森が見えてきました。ミコン山脈の麓から中腹までをおおっている、ジャングルのような森林です。森の上には岩肌がむき出しになった峰々がそそり立ち、壁のように東から西へ連なっています。
おおいかぶさってくるようなミコン山脈に、疾風部隊の速度が落ち始めました。行く手に待ち構える困難を想像して、士気が急速に下がり始めたのです。
このものすごい山を無事に登り切ることができるのだろうか? できたとして、その先のミコンの都で本当に戦うことができるんだろうか? 山頂に着く頃には馬も人も疲れ果てているのに違いない。そんな状態でミコンの魔法使いたちと渡り合うことができるのだろうか……? そんな兵士たちの不安が馬たちにも伝わり、走りを鈍らせています。
すると、先頭を走っていたセイロスが急に全軍停止を命じました。立ち止まった疾風部隊を振り向き、話し始めます。
「我々はこれより森に突入する。グルに仇なす憎むべき異教徒の総本山は、この森を抜け、険しい山肌を駆け上がり、一番高い山頂まで登り詰めなければ攻めることができない。だが案ずるな。グル神は我々と共にいる。グルは我らに進軍のための道を整備してくれるだろう」
セイロスの声は従っている兵士たち全員にはっきり聞こえていました。彼らが見守る前でセイロスがさっと手を振ると、とたんにその背後で異変が起きます。行く手の一本道が輝き、変化し始めたのです。
道は馬車一台がぎりぎり通れる程度の幅しかありませんでした。騎兵ならば自分の替え馬を並べて走るのがやっとです。それが輝きと共にみるみる幅を広げ、馬車二台が併走できるほどの広さになっていきます。騎兵ならば四人が替え馬と共に駆けることができます。
さらに、その道が灰色の石畳で舗装されていったので、兵士たちは驚きの声をあげました。彼らの目の前から森の入り口まで、街道のように立派な道があっというまに完成します。
呆然とする疾風部隊へ、セイロスは話し続けました。
「この道は我々が行く先へ延びていく。無論、ミコンの都に至るまで、とぎれることなくこの道が続くのだ。森も岩も高い頂も、何一つ我々の障害とはならない。恐れるな、諸君。大陸で最も素早く最も勇猛な疾風部隊の実力を、異教徒の総本山に思い知らせてやるのだ」
とたんに、きらり、と一番高い頂で何かが光りました。それが彼らのめざすミコンの都なのだと悟って、兵士たちは急に勢いづきました。彼らの前には、いかにも走りやすそうな石畳の道が、まっすぐに延びています。その軍路は、あのミコンの都まで続くのです。
おぉぉぉぉ!!!!
疾風部隊の兵士は馬の上で鬨(とき)の声を上げました。握った拳を空に突き上げて口々に言います。
「グル、万歳!」
「セイロス殿、万歳!」
「グルは偉大なるかな!」
「異教徒どもを討ち倒せ――!」
すると、セイロスの背後に巨大な影が現れました。兵士たちの声に応えるように、ウォォォォォ……と地鳴りのような声が響きます。
思わず兵士たちがぎょっとすると、ランジュールがセイロスの横にふわりと現れ、うふふっ、と笑いました。
「兵隊さんたちが誉めてくれたもんだから、さっちゃんがご機嫌になってるよぉ。早く行こうってさぁ」
セイロスはたじろいだ兵士たちに言いました。
「案ずるな、ここにいるのはグルだ。グルは我らと共にいる。おまえたちにグルの印を与えると言っている」
とたんに兵士たちが身につけている揃いの胸当てに光が走りました。闇のように底知れない黒い光と見えましたが、一瞬で消え、その跡には緑色の宝石のように光る美しい線が現れました。外向きのグルを象徴する縦の一本線で、彼らにはおなじみの印です。しかも緑色はサータマン軍を象徴する色でした。
「グルだ!」
「神は我らと共にいるんだ!」
兵士たちの間から驚きと感動の声が上がり始めました。それはまたたく間に増えていって、先ほどよりもっと大きな歓声になりました。グル! グル! グル! と連呼するたびに、セイロスの背後の影が濃く薄くなり、ウォォォ、と地鳴りのような声が響き渡ります。
「グルは諸君をグルのために戦う聖なる戦士と認めた。我々はこれよりグルの仇敵を地上から駆逐するぞ。私に続け、諸君。疾風となって一気にミコンを駆け上り、異教徒どもの総本山を壊滅させるのだ!」
とセイロスは言うと、馬の頭を巡らして道を駆け出しました。ランジュールと巨大なグルの影も一緒に動き出します。
疾風部隊はまた鬨の声をあげると、セイロスに従っていっせいに駆け出しました。どれほどミコン山脈が高く険しく見えても、もう怖じ気づくことはありません。彼らの前にはすばらしい道があり、グル神が共にいるからです。石畳に蹄や轍の音を響かせて疾走を再開します。グル、グル、と言い続ける兵士も少なくありません。
やがて部隊は森に入り込みました。
日中でも薄暗い森ですが、広い軍路はその中にもまっすぐ続いていました。山から流れてくる谷川の上には、頑丈な石橋までかかっています。
何にも邪魔されることなく、部隊は疾走を続けました。まるで平原を進軍していくような快適さです。
すると、行く手の森の中にいくつもの光が見え始めました。森の暗がりの中に、赤い光が湧き上がっては弱まります。それが彼らの行く手をさえぎるように連なっているので、兵士たちが騒ぎ始めました。
「あれはなんだ!?」
「敵か!?」
セイロスは落ち着き払って答えました。
「慌てるな、諸君。あれは国境の印だ。あれを越えると、我々は敵の領域に入る。グルが案じて我々に国境を知らせているのだ」
おぉ、と兵士たちは納得しました。グルに感謝の祈りを捧げる兵士もいます。とたんに森の中にまた赤い光がいくつも湧き上がりました。再び感動と感激の声が上がります。
そんな彼らの頭上を影と一緒に飛びながら、ランジュールがつぶやきました。
「別にさっちゃんはみんなのコトを案じてるわけじゃないんだけどねぇ。国境を見落とさないために、グルの祈りに合わせて目印が光る魔法をかけたのは、セイロスくんなんだからさぁ。みんな、すっかりありがたがっちゃって、まぁ」
けれどもその声はセイロスのように魔法で広げられてはいないので、地上を駆ける誰の耳にも届きませんでした。ランジュールのほうでも、わざわざそんなことを教えるつもりはありません。
「せいぜい張り切って突撃してよねぇ。自分が正しいコトをしてるって信じきってる人間が、誰より横暴で残酷になれるんだからさぁ。神の都で二つの神様の信者たちがどんな血みどろの戦いを繰り広げるか、ホント楽しみだよねぇ、うふふふ……」
ランジュールのひとりごとと笑い声が風に紛れていきます。
じきに彼らは赤く明滅する石柱の横を通り過ぎました。サータマンとミコンの国境を越えたのです。それでも石畳の道は先へ先へと続いています。すでに山を登り始めているので、道はまた上り坂になっています。
セイロスは隊列の最後尾が国境を越えたのを確認すると、また全軍に呼びかけました。
「諸君、グルの名を唱えるのをやめろ。ここはもう敵の領内だ。グルの名を敵に聞きつけられては、途中で戦闘に突入することになる。ここから先は獲物を狙う虎のように静かに、草原を渡る風のように素早く、敵の本拠地めざして駆けるのだ」
その話も停まることなく駆け続けながら行われていました。兵士たちはいっせいに口を閉じ、代わりに部隊の隊長がさっと片腕を上げて頭上で振りました。すると、すべての兵士がいっせいに鞍から腰を浮かし、併走していた替え馬に飛び移りました。上り坂に疲れ始めていた馬から、元気な替え馬に乗り換えたのです。進軍速度がぐんと上がります。
「へぇぇ、さすがは疾風部隊。器用だよねぇ」
とランジュールは空から眺めて感心しました。
北へ。山の上へ。疾風部隊は走り続けます。
ところが、間もなくセイロスが手綱を引いて立ち止まってしまいました。
全軍がそれに従って停止します。
影と一緒に先へ行ってしまっていたランジュールが、驚いて引き返してきました。
「どぉしたのぉ? 急に停まっちゃったりしてぇ」
セイロスは顎で行く手を示してみせました。
「あれだ」
そこには森の木を何本も切って横に渡した柵が築かれていました。高さは一メートル半ほどですが、馬で飛び越えるのには少々高すぎる柵です。それが道をふさぎ、左右へずっと延びています。
あぁらら、とランジュールは言いました。一度高い場所に上ると、地上を見下ろして言います。
「どぉやら回り道は難しそうだよぉ。結構長い柵だからねぇ。やっぱりミコンのお坊さんたちも馬鹿じゃなかったんだねぇ。こぉやって、この道から攻めてくるって読んで通せんぼしてたんだからさぁ」
「こんなもので我々の邪魔ができるものか」
とセイロスは冷ややかに言うと、柵を撤去するために馬から下りようとする兵士を制止しました。片手を前に突き出して、はっと気合いの声をあげます。
とたんに、行く手をふさいでいた柵は木っ端微塵になって吹き飛びました。その横に続く柵も、連鎖するように弾け飛んでしまいます。
破片の飛散がおさまると、行く手にはまた道がまっすぐに伸びるだけになりました。柵は跡形もなく消し飛んでいます。兵士たちの間から感嘆の声が漏れました。
「行くぞ、諸君! 風より速く駆けて、敵に反撃の暇を与えないようにするのだ!」
セイロスはそう言うと、また疾風の進軍を始めました――。