柱に絡みついた蔓草の葉が枯れて落ちていくと、その下から猿の顔が現れました。白い石の表面に線で刻んであるのですが、目を細めて楽しそうに笑う表情は、はっきり見えます。
銀鼠と灰鼠は驚いて立ちつくしました。
「これはグル神よ!」
「でも、なんて大きさだ。こんなに大きなグルは初めて見た――!」
勇者の一行は顔を見合わせました。彼らは以前にもこの像を見ていたのです。
「あのときのグルの像だよね、これ」
「ああ。あんときと違って草が茂ってたから、気づかなかったぜ」
「ワン、大きなグルの像があるってことは、やっぱりここが総本山のソルフ・トゥートなのかな」
「そうかもしれないわね。さっきから銀鼠さんたちが魔法を使うと、周囲にものすごく共振してるのよ」
ゼンとメール、ポチとルルがそんな話をしている間に、フルートはグル神の像の後ろ側に回りました。柱のような石像を見上げて、やっぱり、とつぶやいたので、ポポロが追いかけて尋ねます。
「どうしたの? 何かあったの?」
「あったんじゃない。なくなっているんだ――ほら!」
とフルートが指さした石像を見て、ポポロも目を見張りました。そこには本当に何もありませんでした。少しざらざらした白い石の肌がてっぺんまで続いているだけです。
追いかけてきたゼンとメールも驚きました。
「反対側のグルの顔がねえぞ!」
「どうしてさ!? 前に来たときにはこっちにも顔があったはずだよ!」
フルートは考えながら答えました。
「さっきヨが言っていたのはこれのことだ。我が半身を返せ――きっと、そう言っていたんだよ」
「ワン、それじゃ、さっきヨの口を通して話していたのはグル神だったってことですか?」
とポチも驚きます。
すると、銀鼠と灰鼠が話を聞きつけて言いました。
「それはありえるかもしれないわね。グル神は誰にも宿らない代わりに、誰にでもやってくる可能性があるのよ」
「ほら、ぼくたちには火の神アーラーンがやってきているし、シュイーゴの僧侶にはお告げの神のノワラが来ていたけれど、猿神グルだけは誰とも特定の関係は結ばないんだ。祭りのときなんかだけに、グルの格好をした僧侶に下りてきて祭りに加わるんだよ」
ルルは首をかしげました。
「それで今はヨに下りてきていたってわけ? ヨが同じ猿だから?」
「だが、ヨの正体はゴブリンだろうが」
とゼンがもっともなことを言います。
フルートは小猿の格好のヨにかがみ込みました。
「ヨ、君は今、自分の半分を返せ、って誰かの声で言ったんだよ。きっとグル神が君の体を借りて話したんだと思う。覚えていないかい?」
けれどもヨはとまどって、大きな目をぐるぐるさせるだけでした。目覚めてからはっきり意識を取り戻すまでのことは記憶になかったのです。
ポポロが柱のようになった石像を見上げながら言いました。
「こっち側のグルは怒った顔をしていて、両手を胸の前で交差させてたわよね……。敵に向かって威嚇(いかく)しているんだって聞いたけれど、その怖い顔のほうのグルが消えてしまったのね。これがセイロスのしわざなの……?」
「たぶんね。神様を奪い去るなんてことは、セイロスでなければできないだろう」
とフルートが答えると、急にゾが飛び上がりました。
「セイロスじゃないゾ、きっとランジュールのしわざだゾ! オレたち、セイロスと一緒にいるランジュールを見たんだゾ! ランジュールは大きい影を連れていたんだゾ!」
それを聞いて、ヨも我に返ったように言い出しました。
「そうだヨ! あれは怪物の影だったヨ! ランジュールはさっちゃんって呼んでたんだヨ!」
さっちゃん? と一同は目を丸くしました。
「それがグルなら、ランジュールはグーちゃんとでも名前をつけるんじゃねえのか?」
「蛇にビーちゃんってつけてたことがあるから、ルーちゃんってのもありだろ」
「あ、でも、鳴き声を名前にすることもあるから、猿ならキャッキャッちゃんとか……」
すると、そこまで黙って話を聞いていたセシルが言いました。
「猿だから、その頭文字を取って『さっちゃん』なのではないのか?」
なるほど! と全員はおおいに納得すると、次の瞬間うんざりした気分になりました。
「要するに、ランジュールがグル神を操ってるってことなのね? あいつのしわざなんだとしたら、かなり手こずるわよ」
「ワン、あいつは残酷で大騒ぎが好きだからなぁ」
とルルとポチが顔をしかめます。
フルートは石像を見上げながらまた話し出しました。
「ランジュールはセイロスの力を借りてグル神を支配したのに違いない。ランジュールだけの力で神様を操ることはできないはずだからな。ここにあるのは元祖グル教やグル教の源に当たるグルの像だ。彼らはここに来て、この像から外向きのグルだけを奪っていったんだ」
「後に残された内向きのグルが、なんとかしてほしくてヨたちを呼んだのね……」
とポポロも言います。
すると、銀鼠が歯ぎしりしました。
「なんて罰当たりなことをするのよ! グルの半分を奪い去って、勝手に操るだなんて!」
「グルは外向きと内向き、二つの顔が揃って完璧なんだ! それを引き離したら、とんでもないことが起きるぞ!」
と灰鼠もわめきます。
「具体的にどんなことが起きるんだ?」
とセシルは二人に聞き返しました。
「元祖グル教において、グルの二つの顔は守りと攻撃、制御と暴走を表します。制御を意味する内向きの顔がなくなったグルは、暴走してしまいます」
「グルの内向きの顔は慈愛、外向きの顔は怒りだから、外向きのグルは誰のことも敵と思って攻撃するはずなんです」
と姉弟が答えます。
「あ、だからグルの石柱や扉のお守りがいっせいに襲ってきたのかい!?」
とメールが言ったので、仲間たちは、うわぁ、と頭を抱えてしまいました。そういうことだったのか、と納得がいったのです。
フルートは口元に手を当てながら言いました。
「ランジュールは外向きのグルをなんとか制御して、自分の言うことを聞かせているんだ。そうでなかったら、今もまだグルは暴れ続けているはずだからな……。ただ、いつまたグルが暴走するかわからない。そうなったら、きっと国中のグルの象徴が怪物に変わって、周囲の人たちに襲いかかるんだ」
「ランジュールは戦闘になると怪物に大暴れさせるわよ。戦闘が始まったらサータマン中が危なくなるってこと?」
とルルが言うと、ポチが頭を振りました。
「ワン、グルを国教にしているのはサータマンだけじゃないよ。アクが治めるテトの国だって危険になるんだ」
「おい、どうすりゃいいんだ!? どうしたら奴を止められるのか教えろよ!」
とゼンがフルートに迫りました。どうしたらいいのかわからなくなったときに彼らが仰ぐのは、リーダーのフルートです。
フルートは必死に考え続け、グルの顔が消えた石像を見ながら言いました。
「ランジュールが連れているグルをここに連れてこよう……。そして、内向きのグルと外向きのグルをまたひとつにして、元に戻すんだ。そうすればグルは制御を取り戻すはずだ」
「でも、どうやって連れてくるのさ!? ランジュールのいるところに乗り込んでいくつもりかい!?」
とメールに聞き返されて、フルートは答えられなくなりました。ランジュールはセイロスと一緒にいます。そのセイロスはサータマン王のところにいるはずなのです。この人数でサータマン王の城に乗り込んでいって、ランジュールだけをおびき出すことは、まず不可能でした。
すると、近くの岩に止まっていたグーリーが、ピィィ、と鳴きました。振り向いたセシルとポチが言います。
「セイロスがやけに急いでいただと?」
「ワン、なにかやろうとしているみたいだったって言うんですか?」
それを聞いて、ゾとヨも飛び跳ねて言いました。
「そうだったゾ! そうだったゾ!」
「セイロスはどこかの魔法を強くして、オレをそこに投げて試そうとしたんだヨ! だけど、時間がもったいないからやらないって言ってたヨ!」
一同はまた顔を見合わせました。次いで誰もがフルートを振り向きます。
フルートはまた口に手を当てて考え込んでいましたが、すぐに顔を上げて言いました。
「ミコンだ――。セイロスはグルをつれてミコンに攻め込むつもりなんだ」
「ユギル殿の占い通りになるというのだな」
とセシルも言います。
「じゃ、どうすんのさ!?」
とメールがまた聞き返すと、フルートはきっぱりと答えました。
「セイロスの攻撃は速い。後を追えば後手に回る。先回りをしよう。彼らがミコンに攻め込むために向かうのはシュイーゴだ」
「ワン、軍隊の基地にするためにシュイーゴを焼き払ったんだから、そのはずですよね」
とポチは言うと、ルルと一緒に身を伏せました。ごぅっと二匹の風の犬が現れます。
「セイロスたちより先にシュイーゴに行くぞ! 待ち伏せをして、グルを奪い返すんだ!」
おう!!!
一同はいっせいに返事をすると、それぞれに風の犬や花の犬、空飛ぶ絨毯に飛び乗りました。ゾとヨはまたグーリーの背中にしがみつきます。
ごうごうという風の音を残して、一行はまた森の中を飛び始めました。今度の行き先は東です。
崩れて苔むした寺院の遺跡にひとしきり強い風が吹き荒れ、やがてまた静かになっていきました――。