「ねぇねぇ、それがボクたちのせいだって言いたいわけぇ!? すっごく心外だなぁ! どぉしてそうなるのぉ!?」
朝が訪れて明るくなった森の上に、甲高い男性の声が響いていました。幽霊のランジュールです。空を飛んでいるのですが、白い服を着た体は半分透き通っているので、青空をひとひらの雲が滑っていくようにも見えます。
そのすぐそばには翼の生えた馬がいて、ランジュールと並びながら空を駆けていました。ペガサスのような姿ですが、全身は灰色で、たてがみと尾は黒く、背中にはコウモリを思わせる翼があります。
空飛ぶ馬の背中にはセイロスが乗っていました。何故か右手は使わずに左手だけで手綱を操りながら、ランジュールに言います。
「千里眼の娘は国境の守りをすり抜けてサータマンに目を侵入させてきた。守りの魔法は人を通さないだけでなく、偵察の目も防ぐはずなのだ。それを抜けてきたということは、どこかに穴が生じたのだろう。おまえは先に『あれ』を暴走させて、国境の守備石をすべて動かしてしまった。そのときにほころびが生じたのに違いない」
「だぁからぁ! あれはボクたちが悪いんじゃないって、何度も言ってるじゃないかぁ! さっちゃんだって暴走したわけじゃないんだからねぇ! ただ、ちょっと勢い余っちゃっただけでさぁ――」
「それを暴走というのだ」
セイロスはぴしゃりと幽霊の話をさえぎると、厳しい声で話し続けました。
「守備石が壊れていた箇所があった、とおまえは前に報告した。そこに穴が生じているとしたら、そこから敵も侵入してくるかもしれん。だから、急いでそこに案内しろと言っているのだ」
「石が動いても国境はちゃんとつながってたって、なんべんも言ってるじゃないかぁ。お年寄りはホントに疑り深いんだからさぁ。それに、場所がどこだったかも、よく覚えてないんだよねぇ……」
ランジュールはぶつぶつ言いながら空を飛び続けました。その右横にはセイロスの空飛ぶ馬がいますが、反対の左側にも大きな影がありました。雲もないのに空の一部分が薄暗くなっていて、ランジュールと同じ速度で空を飛んでいきます――。
すると、いきなりランジュールが空で立ち止まりました。キキッと音がするほどの勢いで急停止すると、眼下の森を見下ろして叫びます。
「魔獣の気配! 何か魔獣が隠れてるよぉ! 強いヤツだったら捕まえなくちゃぁ!」
案内していたことなど忘れたように、嬉々として森へ降りていきます。
「ランジュール! そんなことをしている場合ではないぞ!」
とセイロスが引き留めても聞く耳持ちません。森の中に入り込むと、周囲を見回しながら言います。
「どこかな、どこかなぁ。魔獣ちゃん、怖がらないで出ておいでぇ。大きくて強いヤツだったら、さっそくボクのペットにしてあげるからさぁ。強さはそれほどじゃなくても、面白い子だったら、ボクのコレクションに加えてあげるよぉ。さぁ、ボクの声が聞こえたら出ておいでぇ。うふふふ……」
とたんに、がさっと茂みが音を立てました。
「そこだぁ!」
とランジュールがすっ飛んでいきます。
声に弾かれたように飛び出してきたのは、全身真っ黒な怪物でした。大きな耳と目をしていますが、体は小犬くらいの大きさしかありません。幽霊に驚いたのか、猿のように座り込んだまま、目玉をぐるぐる動かしています。
あれぇ、とランジュールはがっかりした声を出しました。
「なぁんだ、ゴブリン? もぉっと大きな魔獣がいると思ったんだけどなぁ」
そこへセイロスも降りてきましたが、小さな怪物を一瞥すると、つまらなそうに言います。
「ゴブリンなど捕まえてどうするつもりだ。なんの役にも立たんぞ」
「もぉちょっと大きな気配がしたんだよねぇ。変だなぁ」
幽霊は首をひねり続けました。その間にゴブリンは飛び跳ねて茂みに逃げ込みましたが、ランジュールは追いかけようとはしませんでした。闇の怪物の中でも特に小さくて弱いゴブリンは、彼の趣味には合わなかったのです。
一方セイロスは馬の背中で何かを考え始め、やがてこんなことを言いました。
「国境の守りは人の侵入は防ぐが、闇の怪物を防ぐ力はない。この森にはゴブリンのような些細な闇の怪物がたくさん棲みついているはずだ。そいつらが国境を行き来することで、そこに闇の穴が開いた可能性はあるな」
それを聞いてランジュールは身を乗り出しました。道案内しなくてもすみそうだと察して、熱心にうなずきます。
「そぉそぉ、きっとそれに違いないよぉ! なにしろゴブリンなんてどこにでもいて、いつもその辺をうろちょろしてるんだからさぁ!」
セイロスはさらに考え続けました。
「ロムド国には光に荷担する闇の民がいる。まったく信じがたいことだがな。闇の怪物がまた穴を開ければ、連中はまたそこから偵察に来たり侵入を試みたりするだろう。なんとかしなくては」
「国境付近の闇の怪物を魔法で一掃するつもりぃ? ボクとしてはあんまりお勧めしないけどねぇ。ちっぽけな怪物って、大きな怪物の餌になったりするから、根絶やしにしちゃうと生態系が狂っちゃうんだよねぇ」
「そんなことをする時間の余裕もない。手っ取り早く、国境の守りに闇を防ぐ力も与えることにしよう」
そう言うが早いか、セイロスは手綱を放して左手をかたわらに向けました。手のひらから黒い魔法がほとばしり、ずっとランジュールに付き添っていた巨大な影にぶつかって、吸い込まれていきます。
すると、影が声をあげました。
ワォォォ……ウォォォォ……
ランジュールは飛び跳ねて手を打ち合わせました。
「ボクが頼まなくてもセイロスくんがさっちゃんを強化してくれるなんてぇ! うんうん、これで国境の守りも強くなったと思うよぉ!」
「人が入り込めないのは従来通り。加えて、闇のものも入れなくなったはずだ」
とセイロスが言ったとき、森の茂みがまたがさがさと音を立て始めました。先ほどゴブリンが飛び込んでいったのとは別の茂みです。
「あ、やっぱりいたぁ! 今度こそ大きくて強い魔獣だねぇ!?」
とランジュールが喜んで茂みに駆け寄ろうとすると、そこから怪物が飛び出して来ました。今度もまた黒い小さなゴブリンだったので、ランジュールは立ち止まり、腰に手を当てて、めっとにらみました。
「またキミぃ? ダメだよ、ボクたちの邪魔しちゃぁ!」
小さな怪物は幽霊に叱られて立ちすくみました。ぶるぶる震えながら、大きな目から涙をこぼし始めます。
その様子に、セイロスが言いました。
「もっと国境に近い場所であれば、そのゴブリンを国境に投げて効果を確かめるのだが、わざわざ試す時間も惜しい。城に戻るぞ、ランジュール」
空飛ぶ馬が向きを変えて上空へ駆け出したので、幽霊は急いでそれを追いかけました。
「ちょぉっと待ってよぉ、セイロスくん! ずいぶんと忙しいんじゃなぁいぃ……?」
セイロスとランジュールは木々の間を抜けて森の上へ出ていきました。ランジュールに従っている巨大な影も一緒です。ランジュールがひとりで話し続ける声が遠ざかっていきます――。
その声が聞こえなくなると、後に残されたゴブリンが、ぴたりと泣くのをやめました。伺うように上のほうを眺めてから言います。
「もう出てきてもいいヨ。あいつらは行っちゃったヨ」
すると、先にゴブリンが飛び込んだ茂みから、ゾが姿を現しました。ヨが飛び出した茂みからはグーリーが這い出してきます。グーリーは大きな黒いグリフィンに変わってしまっていました。
ギェェ、とグーリーが鳴くと、ゾが目玉をぐるぐるさせてうなずきました。
「そうだゾ。森の中を飛んでたら急に元の姿に戻ったから、びっくりしたんだゾ。セイロスが近づいてたからだったんだゾ、きっと」
ヨは泣き真似で流した涙を拭きながら言いました。
「オレたち、前にもあの幽霊やセイロスに会ってるヨ。だから、正体がばれるんじゃないかとはらはらしたヨ」
「オレたちはどこにでもいるつまらないゴブリンだゾ。オレたちのことなんか、あいつらは覚えてなかったんだゾ」
とゾは言いました。なんとなく得意そうな声です。
すると、グーリーがキィと声をあげました。その体がたちまち縮み出して、また黒い鷹に変わります。
ゾとヨは喜んで飛び跳ねました。
「また変身できるようになったのかヨ!?」
「セイロスが行っちゃったからだゾ! オレたちも変身するゾ!」
二匹のゴブリンは宙返りして二匹の赤毛の猿になると、さっそくまた鷹の背中によじ登りました。行く手を指さして言います。
「さあ、行くんだゾ、グーリー!」
「セイロスはすごく急いでたヨ。オレたちも急いでフルートたちを見つけるほうがいい気がするんだヨ」
ピィィィ。
グーリーは鷹の翼を大きく広げると、羽ばたきと共に舞い上がり、森の中を飛び始めました――。