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第23巻「猿神グルの戦い」

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33.態度

 銀鼠と灰鼠から聞かされたひどい噂に、フルートは腹を立ててその場を離れました。木の幹や枝をつかみながら森の奥へ向かいますが、じきに立ち止まってしまいました。夜の森は暗く深く、金の石の淡い光だけでは足元がおぼつかなかったのです。赤い顔をしたまま、近くの木を思い切り殴りつけ、奥歯を力一杯かみしめます。

 すると、小枝を踏み折る音を立てながら、ポポロが追いかけてきました。こちらは魔法使いの目が使えるので、暗がりの中でも迷うことなく近づいてきます。

「フルート……」

 今にも泣き出しそうな声で呼ばれて、フルートは木の幹に拳を押し当てたまま大きく息をしました。何度か深呼吸を繰り返して、ようやく声が出るようになると、低く言います。

「これでも少しは男らしくなったつもりだったんだ――」

 それきりまた唇をかんでしまったので、ポポロは本当に泣き出しそうになりました。

 フルートが綺麗で優しい顔立ちをしていることは、誰もが認める事実だし、それはむしろ長所なのですが、小さい頃から容姿をからかわれていじめられてきた彼には、そうではありませんでした。男らしくなりたい、頼もしい大人の男になりたい。それはフルートの長年の悲願だったのです。

 それでも、近頃は急に背が伸び、肩や背中も広くなって、年相応の男らしさが出てきたので、外見に悩むことも少なくなっていたのですが、そんな小さな自信は銀鼠たちに打ち砕かれてしまいました。しかも、大好きなポポロの目の前で。怒りとみじめさの渦の中で、わめき出さないように歯を食いしばっているのがやっとです。

 ポポロにもそんなフルートの気持ちは痛いほどわかりました。フルートが、外見に悩むなんて馬鹿馬鹿しいと思いながら、どうしてもその気持ちをなくせなくて苦しんでいることも、よくわかります。ポポロ自身も、自分の強すぎる魔力にずっとコンプレックスを持って悩んできたからです。「すごい魔法が使えてうらやましい」と他人はポポロへ無邪気に言いますが、そのために数え切れないほどの失敗や事件を起こしてきたのですから、彼女には全然すばらしいものとは思えませんでした。ただ、フルートたちが自分の魔法を頼りにしてくれるので、かろうじて、自分にも意義があるように感じているだけです。

 悩みの対象は違っていても、フルートとポポロが抱えるものの本質は、限りなく近いところにありました。ポポロの目から涙がこぼれ落ちます。

 

 すると、フルートが急に言いました。

「ごめん、ポポロ」

 ポポロは何故謝られるのかわからなくて、目を見張りました。聞き返そうとすると、フルートがまた言います。

「ちっとも男らしくなくてさ……。男と恋人同士に思われている奴が恋人だなんて、ポポロも気分悪いよね」

 ポポロは驚き、あわてて首を振りました。そんなことないわ! と言いますが、フルートは彼女に背を向けてしまいました。木にもたれかかって、ふぅっと大きな溜息をつきます。

「願い石はどうしてこの願いをかなえてくれなかったんだろうなぁ。最初の最初から、ずっと心の奥で願い続けてきたのにさ……」

 ポポロはぎょっとしました。フルートが赤く光り出すのではないかと思って、あわててフルートの前に回り込み、両腕を捕まえます。

「だめよ、フルート! 絶対に願っちゃだめ!」

 すると、フルートは苦笑いをしてポポロから目をそらしました。

「大丈夫だよ……。どうしてか、願い石はこの願い事に全然反応しないんだ。願い石もぼくを男らしくするつもりはないらしいよ」

 拗ねた響きを帯びた声です。

 ポポロは必死で言い続けました。

「外見なんて、あたしには関係ないもの! あたしはフルートがフルートだから好きなの! 男らしいとか優しい顔だとか、そういうのは本当に関係ないんだもの! 他の人がどんな噂をしたって、あたしは平気よ!」

 フルートはまた、ちらりとポポロをを見ました。彼女が泣いていることに気がつくと、優しい笑顔になって言います。

「うん。ありがとう、ポポロ」

 けれども、それは表面だけのことばでした。ポポロがひどく心配しているので、安心させるために言ってくれているだけなのです。

 ポポロにはそんなことまで感じられてしまって、本当に悲しくなりました。「本当なのよ! 本気でそう思ってるのよ!」と重ねて言おうとしますが、いくら言ってもフルートの心には届かないこともわかってしまっていました。

 フルートはいつだって、相手の気持ちを真っ先に思いやります。ポポロを悲しませないように、「大丈夫だよ」と笑ってみせて、この話は終わりにしてしまうでしょう。本当の悔しさや悲しさは心の奥底に沈めて、自分ひとりだけで抱え込んでしまうのです。

 ポポロは泣きながら考え、言うべきことばを探し続けました。けれども、想いを伝えることばはどうしても見つかりません。

 フルートはもう、いつもの穏やかな表情に戻っていました。またポポロに目を向けると、まるで彼女のほうが傷ついた人のように、優しく話しかけてきます。

「さあ、もう戻ろう。ゼンたちが心配してるだろうし、あんまり長いこと離れていると、金の石の守りが離れることになるかもしれないからね……」

 

 そんなフルートを見るうちに、ポポロは突然決心しました。

 想いをことばで伝えることができないのなら、態度で示せばいいんだ、と気がついたのです。

 目を強くつぶって涙を追い出すと、放しかけていたフルートの両腕をつかみ直します。

「ポポロ?」

 彼女の真剣さが伝わったのか、フルートは怪訝そうな顔になりました。少し首をかしげてのぞき込んできます。

 そのチャンスをポポロは逃しませんでした。フルートの腕をつかむ手に力を込めると、それを支えに背伸びをします。二人の顔が急接近します。

 驚いて思わず身を引こうとしたフルートを、ポポロはさらに引き寄せました。つま先立ちになると、ようやく背が届いたので、そのまま唇をフルートの唇に押し当てます――。

「!!」

 フルートは目を見張ったまま動けなくなってしまいました。ポポロの唇の柔らかな感触は、彼の唇の上に温かく宿り、やがてゆっくりと離れていきましたが、それでも動くことはできません。

 すると、金の石に照らされたポポロの顔が、急に耳まで真っ赤になりました。背伸びをやめて顔を伏せると、ごめんなさい、と小さな声で言いますが、まだフルートの腕を放そうとはしませんでした。やがて真剣な声で話し始めます。

「あたしはフルートが好きよ。顔も姿も声も全部好き……。他の人がそれをなんて言ったってかまわないわ。全然気にならないし、気にするつもりもないから。だって、フルートのその顔は、フルートの優しさが表に現れたものなんだもの。あたしはフルートの優しさが大好きなの……」

 ポポロが顔を上げてまたフルートを見上げてきました。宝石のような緑の瞳が、じっと彼の目を見つめます。

 フルートも、ふいに真っ赤になりました。驚きと嬉しさと照れくささが一度に襲ってきて、ますますことばが出なくなってしまいます。おとなしいポポロがこんな大胆な態度に出るなんて、想像してもいませんでした。

 

 すると、ポポロがやっとフルートの腕を放しました。今度はフルートの胸の中に飛び込んできて、硬い鎧を着た体に腕を回します。

「あたし、これからはいつもフルートのそばにいるわ。フルートが変な噂の的にされたりしないように……。だって……だって、フルートの恋人はあたしなんだもの……」

 さすがに最後のほうは恥ずかしくなって、蚊の鳴くような声になってしまいましたが、それでもポポロはそれだけを言い切りました。あとはもうフルートを見上げることができなくなって、鎧の胸に顔を埋めてしまいます。

 フルートはまだ真っ赤な顔をしていましたが、やがて彼女へ腕を回しました。華奢な体が緊張と恥ずかしさで震えていることに気がつくと、そっと抱きしめて言います。

「うん……ありがとう、ポポロ……」

 それは本心からのことばでした。つい先ほどまで胸の中で荒れ狂っていた怒りやコンプレックスは、綺麗さっぱりどこかへ消えてしまっています。

 二人は黙ってそのまま抱き合いました。

 夜の森の中では、ミミズクが柔らかな声で鳴き始めていました――。

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