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第23巻「猿神グルの戦い」

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32.憧れの人

 勇者の一行と銀鼠と灰鼠は、姿を消しながら森の中を西へ飛び続けました。

 やがて日が落ちて森の中が暗くなってくると、フルートが先頭を行くゼンに追いついて何かを耳打ちします。

 ゼンは仲間たちを振り向くと、すぐに呼びかけました。

「よぉし、今日はここまでだ! 日が暮れた。降りようぜ!」

 えっ? と風の犬と空飛ぶ絨毯は森の中で立ち止まりました。犬たちが聞き返します。

「もう休むの? まだあまり進んでないじゃない。ずっと飛んでいくんじゃなかったの?」

「ワン、ぼくたちは夜でも目が見えるから、まだ飛べますよ」

 銀鼠と灰鼠も怪訝そうな顔をしていました。

「あたしたちだって、夜でも飛べるわよ」

「暗いほうが人目につきにくいんだから、夜通し飛んだほうがいいんじゃないのか?」

 すると、フルートは首を振りました。

「今日はいろんなことが立て続けに起きた。このまま夜通し進んだら、きっと途中で脱落者が出るよ。休めるときにはちゃんと休もう」

「あたいは早くソルフ・トゥートの遺跡に着きたいんだけどなぁ」

 とメールは口を尖らせましたが、ゼンは強く言いました。

「いいから夕飯にするぞ。まずは食え、そして寝ろだ。しっかり食って休まねえと、いざってときに動けねえからな」

 

 そこで一行は高度を下げていきました。

 森の中に小さな空き地を見つけて舞い降り、ポチとルルが犬の姿に戻ると、たちまち風がおさまりました。木々が揺れるのをやめて、あたりが静かになります。

「人里からは離れてるみたいね」

 と銀鼠が周囲を見回して言いました。夜の森の中は真っ暗ですが、フルートの胸の上で金の石が光っているので、互いの姿はぼんやりと見えています。

「でも、用心のために火は使わねえほうがいいな。すぐに食えるものを出してやる」

 とゼンは背中の袋を下ろして中をあさり始めました。

 仲間たちは思い思いの場所に腰を下ろしましたが、とたんに自分たちが意外なくらい疲れていることに気がつきました。考えてみれば、昨夜は馬になって夜通し駆けたし、今日も、フルートが言う通り、いろんな事件の連続だったので、みんなすっかり疲れ切っていたのです。急に空腹も募ってきて、ゼンの手元を期待して見つめてしまいます。

 ところが灰鼠が急に声をあげました。

「食料がないよ、姉さん! 昨日の朝で食べきってしまったんだ!」

「なんですって!? 食事はあんたの担当よ! どうして補充しておかなかったのよ!?」

「だ、だって、食料を手に入れてる暇なんてなかったじゃないか」

「じゃあ、なに!? あたしたちは今夜は食事抜きってこと!?」

 姉がかんしゃくを起こしたので、弟は首をすくめました。どんなに叱られても食料はないのですから、どうしようもありません。

 ゼンがあきれて言いました。

「兄弟喧嘩すんなよ。食い物なら全員分ちゃんとあるぞ」

「あら、あんたは隠れ里で料理を作ったはずでしょう? そのときに食材を使い切ったんじゃないの?」

 と姉が聞き返すと、へっ、とゼンは笑いました。

「俺たち猟師は、どんなときにも食料を食い尽くしたりはしねえんだよ。絶対に半分は残しておくし、補充できるときには忘れずに補充するのが鉄則なんだ。そら、シュイーゴでもらっておいた袋パンと干しアンズ、こっちは俺が作った鹿の干し肉だ。食えよ」

 姉弟はとまどい、薄明かりの中のゼンを見つめ返しました。

「あたしたちにも分けてくれるってわけ?」

「君たちの分がなくなるじゃないか」

 ゼンはうんざりした顔になりました。

「だから、全員の分があるって言っただろうが。がたがた言わずに食えって。干しアンズと干し肉ならおかわりもあるぞ」

「ねえねえ、ゼン、袋パンにアンズと干し肉を入れて食べてごらんよ! アンズの甘酸っぱい味と肉の塩気が意外なくらい合うよ!」

 すでに夕食をほおばっていたメールが、明るい声で呼びかけてきました。

「アンズと干し肉か? そうだな、それで煮込みを作って袋パンに詰めるとうまいかもしれねえな」

 とゼンもすぐに乗ったので、勇者の一行はその話題で持ちきりになりました。今度作って食べよう、と賑やかに話し合います。

 姉弟は渡された食料を手に、顔を見合わせました。「生意気な連中!」と怒ったらいいのか、「大した子どもたちだな」と感心したらいいのか、わからなくなってしまったのです。

 すると、フルートがカップを差し出しました。

「銀鼠さん、灰鼠さん、お茶が入りましたよ。どうぞ」

 見れば、フルートはまた炎の剣を鍋に入れて湯を沸かし、それで黒茶を淹れていました。姉弟はもう怒る気にもならなくて、黙ってそれを受け取りました。フルートたちが座っているので、一緒に座ります――。

 

 食事をしながらのおしゃべりは賑やかに続きました。

 ゼンが木の枝に灯り石をつるしたので、石の光がランプのように周囲を照らして、なおさら暖かな雰囲気になります。

 そうこうするうちに、話題はいつのまにかロムド城のことになっていました。四大魔法使いや魔法軍団、ロムド王や城の人たちについて話していると、急に灰鼠が大きな溜息をつきました。

「彼女と会わなくてもう一週間だ。ぼくが留守の間に彼女が心変わりしていたらどうしよう」

 あら、と銀鼠は弟をにらみました。

「たった一週間で気が変わるような恋人なんて、ろくな相手じゃないわ。こっちからさっさと見切りをつけなさいよ」

「そんな、ひどいな! 姉さんは恋人を持ったことがないから、そんなことが言えるんだよ!」

 弟に反撃されて、姉は真っ赤になりました。

「失礼ね! あたしだって好きな人くらいいるわよ! ただ、お仕事のお邪魔をしてはいけないと思うから、物陰からこっそり見守っているのよ!」

「そんな奥ゆかしさ、姉さんには似合わないじゃないか! だいたい高望みしすぎなんだよ。その点、ぼくの彼女は城の下働きだからね。仕事の後で会おうと思えばいつでも会えるんだ」

「あたしだって、時々城の中でお会いしてるわよ! ただ、迷惑になると思うから、声をおかけしないだけよ!」

 このやりとりに、恋の話が大好きな少女たちが身を乗り出してきました。

「銀鼠さんの好きな人ってロムド城の人なのね?」

「ねえねえ、誰なのさ!? 銀鼠さんの憧れの男性って!」

「あたしたちも知っている人……?」

 ルルとメールとポポロが口々に尋ねます。

「嫌な子たちね。そんなの教えるわけないでしょう」

 と銀鼠はつんと顔をそむけましたが、弟のほうが答えてしまいました。

「こともあろうにユギル様なんだよ。城の一番占者の。高望みのしすぎだと思うだろう?」

 フルートたちはびっくりしました。

「ユギルさんを!?」

「なんで教えるのよ、アスガル!?」

 姉は金切り声を上げました。アスガルというのは弟の本名のようです。

 勇者の一行は顔を見合わせました。

「そういや、ユギルさんに恋人っているのか……?」

「さあ、聞いたことはないな」

「ワン、この前はユギルさんとアリアンが恋人同士だっていう噂が流れたけど、あれは誤解でしたしね」

 少年たちの話に、銀鼠は赤い顔のまま、ふん、と鼻を鳴らしました。

「闇のお姫様が闇の王子様ひと筋だったのは、あたしも知っていたわよ。だから、あんな噂、全然本気にしてなかったわ」

「でも、君たちもユギル様の恋人については聞いたことがないのか。ユギル様と親しそうだから、知ってるかと思ったのに」

 と灰鼠に言われて、うぅん? と一行は首をひねりました。青と金の色違いの瞳に浅黒い肌、輝く長い銀髪の占者は、その麗しい容姿をフード付きの長衣で隠し、人目につくことを避けるように城内を足早に移動していきます。その隣に女性がいる様子は、まず見たことがありません。

 

 すると、銀鼠が急に真剣な表情になりました。じっとフルートを見つめて言います。

「ひょっとして、あの噂のほうが本当だった、なんて言うんじゃないでしょうね?」

「あの噂って?」

 と一行は聞き返しました。同時に、どうして銀鼠はフルートだけに尋ねるんだろう、と不思議に思います。

「わからないの? それとも噂になってるのを知らないの?」

 と銀鼠は言い続けました。フルートの表情を伺うような調子ですが、フルートには意味がわかりません。そんな銀鼠から疑いの感情の匂いをかぎとって、ポチも首をひねりました。ゼンに至っては、彼女が何を言おうとしているのかまったく見当がつきません。

 けれども、少女たちのほうはぴんときました。メールが大声を上げます。

「もしかして、ユギルさんの恋人はフルートだって噂が流れてるのかい!?」

 ちょうどそのとき黒茶を飲んでいたフルートは、思い切りお茶を吹き出してしまいました。そのままむせて激しく咳き込みます。

「違うの?」

 と相変わらず疑うような調子で銀鼠が言いました。

 灰鼠も大真面目な顔で話します。

「ユギル様にいつまでたっても恋人が現れないから、ユギル様は女性じゃなく男性が好きなんじゃないか、って噂が立っているんだよ。いろんな人が恋人候補として噂されてるし、一番候補は皇太子殿下だったんだけどね。殿下には婚約者のセシル様がいるし」

 仲間たちはあきれてしまいました。

「オリバンまで噂されてたのかよ」

「こんなこと、オリバンやセシルにはとても聞かせらんないよね。逆上して、噂したヤツに剣を振り回すかもしんないよ」

「ワン、だけどフルートがユギルさんの恋人っていうのも、ちょっとひどいなぁ」

「そうよ。フルートは男よ」

 ところが、灰鼠は真面目な顔で言い続けました。

「だって、彼はすごく綺麗じゃないか。まるで女の子みたいな顔をしてるし――」

 

 とたんにフルートが勢いよく立ち上がりました。咳と怒りで真っ赤になった顔で、ものも言わずにその場から離れていきます。

 あちゃぁ、と仲間たちは思わず頭を抱えました。ゼンが銀鼠と灰鼠の姉弟を横目でにらみます。

「ったく。くだらねえ話を聞かせやがって。あいつの一番嫌がることだぞ」

「じゃあ、違うの?」

 と銀鼠がまた聞き返しました。相変わらず真面目な表情です。

 仲間たちが口々にそれを否定しようとすると、ポポロが急に立ち上がり、誰より大きな声で言いました。

「絶対に違います!! だって、だって――!!」

 言いかけて真っ赤になると、大きな目に涙を浮かべ、くるりと背を向けて駆け出します。フルートの後を追いかけていったのです。

 それを見送って、ルルがポチに言いました。

「あなたはフルートを追いかけたりしちゃだめよ」

「ワン、しないよ。豚にかみつかれたくないもの」

 ロムドには、人の恋路の邪魔をすると豚にかみつかれる、という諺(ことわざ)があるのです。

 ゼンは姉弟に向かって地面を指さすと、低い声で言いました。

「二人とも、そこに座り直せ。おまえらの誤解をしっかり解いてやる」

「まったくだよ。しかも、よりによって、ポポロの目の前で言ったりするんだからさ」

 とメールも厳しい声で言います。

 銀鼠と灰鼠の二人は、ゼンたちの迫力にたじろぎ、思わず顔を見合わせてしまいました――。

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