フルートたちと銀鼠、灰鼠の姉弟は、あわただしく出発の準備を整えると、結界の出口を僧侶に開けてもらいました。これから、元祖グル教の総本山ソルフ・トゥート寺院を探しに行くのです。
出口をくぐる一行を、僧侶と町長が見送ってくれました。一行が手を振るうちに、出口が閉じて姿が見えなくなっていきます。
「さて、と」
フルートがおもむろに仲間たちをふりかえると、彼らはすぐにうなずき返しました。誰が何をするのか、全員がもう承知しているのです。
ポチとルルが前に走り出て体を低くすると、ごぅっと猛烈な風がわき起こって、風の犬が現れました。一行を振り向いて言います。
「ワン、乗ってください」
「西の寺院までひとっ飛びするわよ」
そこでフルートたちは二匹の上に分乗しました。いつものように、ポチの上にフルートとポポロ、ルルの上にゼンとメールという組み合わせです。
メールは自分と一緒に結界から出てきた花に呼びかけました。
「あんたたちもおいで。一緒に空を飛んで行くよ」
たちまち、ざぁっと音を立てて花が宙を舞い、大蛇のような犬の姿に変わりました。ルルより一回り小さな風の犬になったのです。
銀鼠と灰鼠も広げた絨毯の上に腰を下ろしました。絨毯がふわりと宙に浮き上がります。
「さあ、俺についてこい。あの遺跡まで案内してやらぁ」
とゼンが先頭に立って言いました。生意気そうにも聞こえる言い方ですが、ゼンとしては当然のことを言っているだけです。
フルートはペンダントを鎧の外に引き出して呼びかけました。
「金の石、守りの範囲を広げて、ぼくたちを闇の目から隠してくれ。セイロスに気づかれずに移動しなくちゃいけないんだ」
すると、ペンダントの真ん中で魔石が輝きを強め、すぐにそれが周囲にへ広がりました。淡い金の光が彼らを包みます。
フルートの後ろでは、ポポロが遠いまなざしで西を見ていました。行く手の様子を透視し始めたのです。
「出発!」
とフルートが言うと、風の犬と絨毯が舞い上がって飛び始めます――。
ところが、すぐに一行は飛ぶのをやめてしまいました。
「やべぇぞ、こりゃ」
とゼンが後ろを振り向きます。
彼らは敵に見つからないために、森の中を飛ぼうとしました。森の中はもちろん木でいっぱいですが、ポチたちも空飛ぶ絨毯も小回りが利くので、木を避けて飛ぶこと自体は難しくありません。ただ、風の犬が通ると猛烈な風が巻き起こるので、森の木々が激しく揺れ出しました。彼らが飛んでいくと、揺れる木が飛んだ痕を描き出してしまいます。
幹や枝が大きくしなる様子に、ゼンは難しい顔になりました。
「森ン中をこんな突風が吹いたら、近くにいる奴は振り向くよな。俺たちが見つかるかもしれねえぞ」
「しかも、あたいは花を連れてるもんね。見つかったらすぐ大騒ぎになるよねぇ」
とメールも困った顔で花でできた風の犬を眺めます。
すると、ポポロが言いました。
「あたしが魔法でみんなの姿を隠すわ! そうすれば誰にも見えなくなるから……!」
けれども、フルートが首を振りました。
「ポポロの魔法に頼るわけにはいかないよ。それはぼくたちの切り札だ」
うぅん……と勇者の一行は頭を抱えました。歩いて行っては日数がかかりすぎるのですから、飛んでいくしか方法はないのです。森を出て空を飛ぶことも考えますが、そうするとなおさら人目につきやすくなるので、その方法も使えません。どうしたらいいんだろう、と全員が考え込んでしまいます。
すると、銀鼠があきれたように口を開きました。
「あんたたちったら、ほんとに生意気! あたしたちを誰だと思ってるのよ?」
「ぼくたちだって魔法使いだぞ。ぼくたちに頼ろうって気持ちにはならないのか?」
と灰鼠も言います。
勇者の一行は目を丸くしました。
「ワン、だって、お二人は風の魔法が苦手なんでしょう?」
とポチが聞き返すと、姉弟は唇を突き出してますます不満そうな顔になりました。
「あたしたちが苦手なのは、風を操ることよ」
「今は人の目にぼくたちが映らないようにすればいいだけなんだから、別に難しくはないさ。しょっちゅう使っている魔法だ」
「じゃあ、それをお願いします! ぼくたちの姿が見えなければ、ぼくたちが音を立てて飛んでも、人は風が吹いただけだと思うはずだから!」
とフルートは即座に言いました。その真剣さに、銀鼠と灰鼠はちょっと面食らいます――。
日が大きく傾いて山陰に入る頃、ミコン山脈の麓の森で仕事をしていた二人の木こりが、声をかけ合っていました。
「おぉい、そろそろ切り上げようや!」
「おう! だんだん夕暮れだな!」
切りかけの木はそのままにして道具をまとめ、斧を担いで山道を下り始めます。
連れ立って歩きながら、ひとりがもうひとりに尋ねました。
「今日は森の様子が変じゃなかったか?」
「ああ、なんだか全然落ち着かねえ感じだったなぁ。鳥が群れになって急に飛び立ったり、獣が変なところを走って逃げていったり」
「山で何かあったんだろうか」
「さあ。悪いことじゃなければいいんだが」
彼らが働いていた場所は国境から離れていたので、グルの石柱が動き出して騒ぎが起きたことには気づかなかったのです。木こりたちは木々の間から山頂の方向を見ましたが、広がる枝にさえぎられて、山を見ることはできませんでした。
すると、ひとりが思い出したように言いました。
「そういや、ゆんべ町の酒場で亭主から聞いたんだがな、店の前に住むマーヒーが、森の中で人が死んでるのを見たらしいぞ。隣町の奴だったらしいが、雷にでも打たれたように見えたってよ。憲兵と坊さんが慌てて飛んでいったと。森のど真ん中だぞ? このところ嵐も起きてないってのに、どうして雷が落ちたりするんだろうな?」
「やっぱり妙な雰囲気だよな。山の上には行かねえほうが良さそうだ」
「俺もそう思う」
そう話し合って、二人はそっと周囲を見回しました。日が陰って薄暗くなった森の中は、急に肌寒くなってきています。
そのとき、森の奥からいきなり大きな音がしたので、木こりたちは飛び上がりました。音がこちらへ迫ってくるので、思わず斧を握って身構えます。
すると、どぉっと猛烈な風が吹いてきました。息が詰まるような強風に打たれて、二人は顔をそむけました。周囲で木々の幹がぎぃぎぃとたわみ、枝がざわめきながら大揺れに揺れます。
けれども、突風はすぐに吹きすぎていきました。ごうごうという音が森の中を遠ざかっていきます。
「変な風だったな」
と二人は顔を上げて、風が去ったほうを眺めました。森の木々はまだ激しく揺れ続けていますが、もちろん風そのものは目には見えません。
風は西へと吹いていき、やがてその場所から完全に遠ざかってしまいました――。