ミコン山脈の最高峰に築かれた神の都ミコン。
その大神殿の通路を大司祭長が歩いていると、後ろから追いかけてきて引き留めた人物がいました。
「大司祭長、少々お時間をいただきたいのですが。サータマン国のことです」
大司祭長は声の主を振り向きました。白い服に青いマント、腰に剣を下げた二人の男性で、一人は綺麗な口ひげをたくわえ、もう一人は白髪まじりの赤毛を後ろで束ねています。ミコンを守る聖騎士団の団長と副団長でした。
「これはこれは。私に何の御用でしょうか」
大司祭長は彼らを見たとたんに用件を察しましたが、あえてそう尋ねました。たちまち団長と副団長が血相を変えます。
「何を呑気なことを言っておいでです、大司祭長!? サータマンは我々に対して着々と戦闘準備を整えているのですぞ!」
「今日もサータマン側の麓で、いっせいに闇が動き出す気配がしたと言うではありませんか! じきに収まったので、我々にも武僧軍団にも出動命令は下りませんでしたが、サータマンの準備がすでに終盤にさしかかったことは間違いありません! このままでは異教徒の蛮族がミコンに攻め込んできますぞ!」
大司祭長はゆっくり二人に向き直りました。銀の肩掛けをはおった純白の衣は、浅黒い肌や赤い髪と鮮やかな対比を見せています。
「こちらからサータマンに攻撃はしかけません。彼らはミコンに侵入してきてはいないからです」
と答えると、聖騎士団の団長と副団長はますますいきり立ちました。
「連中が攻め込んできてからでは遅いのです! 我々は後手に回ってしまいます!」
「信仰と歴史の上に建つ崇高な神の都が、異教徒どもの侵略を受けて破壊されてもかまわないとおっしゃるのですか!?」
聖騎士団の団長たちは、ミコンのほうからサータマン国へ攻めて出ることを、大司祭長に強く勧めています。
そこへ、たくましい体つきの年配の男性がやってきました。上下白の武僧服に袖なしの緑の上着を着て、白い帯をしめています。こちらはミコンの武僧軍団の武僧長でした。大司祭長たちに手を合わせて武僧式の礼をしてから、口を開きます。
「偵察に出ていた僧侶が先ほど戻ってまいりました。サータマンが麓に勝手に立てた国境の石柱が、突然位置を変えたそうです。以前の場所から数十メートルから数百メートル動いていて、ミコンの領内へ移動した石柱も多かったようです。石柱が動く直前には非常に大きな闇の魔力が働いたので、サータマンにいるデビルドラゴンのしわざと考えて間違いないでしょう。このまま手をこまねいていては、手遅れになります」
こちらも敵に襲撃される前に攻撃に出るよう言っています。
大司祭長は頭を振りました。
「その件については昨日もお話しした通りです。サータマンがどれほど挑発してきても、ミコンのほうから国境を越えて攻めて出ることはしません」
「サータマンはミコン侵略のために着々と準備中なのですぞ! 国境を越えてきてから、などと悠長なことを言っていたら間に合いません!」
と武僧長が食い下がると、聖騎士団の団長と副団長も賛同して口々に言いました。
「そうです! 敵が大軍勢で一気に攻めてくれば、いくら聖騎士団や武僧軍団が勇敢であっても、とても防ぎきれないのです! それを回避するには先手必勝しかありません!」
「サータマンへ出撃命令を、大司祭長! ミコンを侵略しようとする異教徒どもを打ち砕いて、二度とつまらぬ野望を持たないよう思い知らせましょう!」
大司祭長は大きな溜息をつきました。穏やかな声のまま、根気強く話し続けます。
「それは許されないことだと何度も言っています――。国境の向こうにいる敵について、我々は規模も居場所も知ることはできません。その状態で国境を越えて、どこの誰を攻めようというのです? 麓の近くに住むサータマンの住人ですか? 彼らは兵士ではありませんよ」
「彼らは敵国の民で異教徒です! ユリスナイを信じることもせずに、邪悪な猿の神を信じている! そんな連中を気にかける必要などありません!」
と副団長が強く言い続けると、大司祭長の穏やかな顔が急に厳しくなりました。
「その考え方は危険だと、何度言えばわかりますか!? 先の大司祭長は、自分と異なる考えの者を徹底的に排除しようとして誤った方向へ突き進み、ついには自分の心の闇に呑み込まれて消滅しました! あの過ちを、ミコン全体で繰り返そうというのですか!?」
鋭い叱責に、副団長も団長も武僧長も思わず返事ができなくなりました。先の大司祭長が魔王になり、ミコンと世界を破滅に追い込もうとしたことは、彼らにとって忘れることができない苦い歴史だったのです。
浅黒い肌の大司祭長はまた穏やかな声に戻りました。
「魔法司祭たちには麓の警戒を怠らないように言ってあります。サータマン軍が一歩でもミコン領内に侵入すれば、次の瞬間には気がつくことができます。それに、サータマンからミコンへ至るルートは一本道です。大軍が密かに迫れるような裏道は、ミコン山脈にはありません。襲撃に備え、敵が侵入したとたんに出撃して敵をたたく。これが我々の戦い方です。ユリスナイも必ず我々をお守りくださるでしょう」
ミコンの守備隊の長たちは大司祭長に一礼をすると、黙ったまま退いていきました。
説得になんとか成功した大司祭長は、ほっと溜息をつきます――。
すると、少し離れた場所から野太い男の声がしました。
「ご心労の多いことですな、大司祭長。血の気の多い連中がこんなに多いのでは、彼らをなだめるだけでも大変だ」
大神殿の柱の陰から現れたのは、青い長衣に武神カイタの象徴を下げた、青の魔法使いでした。大司祭長は思わず笑顔になりました。
「聞いていましたか、フーガン。なに、これが私の役目ですから」
「だが、一応退いても、彼らの心中はまだ不満でいっぱいでしょう。このまま問題が起きなければ良いのですが」
と青の魔法使いが心配すると、大司祭長は考える顔でうなずきました。
「サータマン国にセイロスがいるらしいということが、彼らを不安にしているのです。先の大司祭長の事件で、デビルドラゴンの恐ろしさはミコン中に知れ渡りました。その恐怖が彼らを不安にし、積極的な戦いへと気持ちを駆り立てています。我々と闇の竜との戦いはすでに始まっているのです」
「だが、サータマンには勇者殿たちが向かっています。彼らのことです。今頃きっと、サータマンとミコンの全面戦争を防ぐために、全力で行動していることでしょう」
「本当に、彼らは光の申し子ですね」
と大司祭長はまた微笑しました。穏やかな声の中に固い決意を込めて言い続けます。
「ミコンは自分からサータマンに攻め込むことは決してしない、と私は勇者殿たちに約束しました。ユリスナイの名にかけて、この約束は守り続けましょう。ミコンは、罪のないサータマンの住人を危険な目に遭わせるような真似は、決していたしません」
「感謝します、大司祭長」
と青の魔法使いが深々と頭を下げます。
大司祭長はおもむろに目を天に向けて祈りを捧げ始めました。
「光の女神、ユリスナイよ。国も宗教も種族さえも越えて、世界を救おうと奔走する勇者たちに、あなたたちの愛と守りが強く限りなくありますように」
青の魔法使いがその祈りに唱和します。
それは、図らずも、サータマン国のシュイーゴの隠れ里で、元祖グル教の僧侶と町長が、フルートたちの無事をグルに祈ったのと同じ瞬間でした。
違う神の名で捧げられた同じ祈りが、神殿の天井に吸い込まれていきました――。