銀鼠と灰鼠の姉弟が見えない壁をくぐって結界の内側に入ると、そこには明るい空間が広がっていました。
周囲を森に囲まれた大きな空き地で、いたるところに丸太小屋やテントが並び、羊の群れがメエメエ鳴きながら歩き回っています。森の中には馬もたくさん見えます。
先に結界に入った勇者の一行は、大勢の大人たちに取り囲まれていました。
「うちの子馬を連れてきてくれてありがとう! もう死んだものと思ってあきらめていたんだよ。ありがとう! 本当にありがとう!」
太った男の人がフルートの手を握って感謝していました。子馬と母馬は、寄り添いながらフルートたちへ何度も首を振ってみせています。
一方、他の人たちも口々に勇者の一行に話しかけていました。
「去年の春祭りには怪物から助けてくれてありがとう!」
「憲兵から逃げ切ったと聞いていたよ。無事で本当によかった」
「あのとき金の石の勇者に間違われた人たちがどうなったかって? もちろんすぐに無罪放免になったよ。なにしろ何十人もいたし、みんな仮装していただけだったからね」
「機転を利かせた奴が『ご褒美がもらえると思って金の石の勇者を名乗っただけだ』なんて言ったものだから、憲兵はぷりぷり怒って解放したのよ」
「ずっと心配していたのかい? 金の石の勇者は本当に優しいんだなぁ」
集まっていたのはシュイーゴの住人でした。勇者の一行に親しげに話しかけ、笑顔を見せています。さらに周囲にはたくさんの子どもたちも集まって、勇者たちを見ようと押し合いへし合いしていたので、あたりは大変な賑やかさです。
すると、人々をかき分けるように、一組の家族がやって来ました。父親らしい男性が、妻や子どもや両親と一緒に、フルートたちの前までやってきます。
「ああ、本当に君たちだ! 久しぶりだね、また会えて嬉しいよ!」
と話しかけられて、フルートたちも歓声を上げました。前回シュイーゴを訪れたときに、溺れていた子どもを助けてお礼に泊めてもらった一家だったのです。家族はみんな変わらず元気そうでした。あのときにはまだ小さかった女の子も、今ではすっかり背が伸びて、母親の後ろからフルートたちをのぞいていました。メールと目が合うと、恥ずかしそうに隠れてからまた顔を出して、にこっと笑ってきます。
「よかった、元気そうだね」
とメールも笑顔になりました。この子を冷たい水から助け出したのは彼女だったのです。
元祖グル教の姉弟はまた目を丸くしていました。
「なに、この人気ぶりは?」
「彼らはグルの信者が忌み嫌う異教徒だろう? なのに、なんでこんなに親しそうにしているんだ?」
すると、二人を案内した僧侶が答えました。
「彼らは昨年の春祭りのときに、自分たちに怪物の大群を惹きつけて、捨て身でみんなを救ってくれたのですよ。しかも、サータマンの憲兵に追われとった。この町には憲兵を嫌う人間が多いのです。なにしろ、ここは元祖グル教の隠れ里ですからな」
えっ!? と姉弟は驚きました。その声を聞きつけて、フルートたちも振り向きました。
「なんだなんだ?」
「いったいなんの話をしてんのさ――?」
と駆けつけます。
「ここが元祖グル教の隠れ里ですって!? そんな!」
「ここはシュイーゴなんだろう? そんな名前の隠れ里は聞いたことがなかったぞ!」
と姉弟がまだ驚いていると、僧侶は話し続けました。
「表向きはグル教に改宗したように見せとりますからな。だが、我々が信じているのは、今でも元祖グルです。そして、元祖グルの下には大勢の神々がいる。サータマン王やグル教の僧侶たちは『神はグルだけで他の神々は邪悪な怪物だ』と誹(そし)るが、現に我々はこうして元祖グルの神々に守られておりますからな。いるものをいないと言われても、はいそうですか、と従うわけにはいきませんわい」
そう言って、僧侶は顎ひげをのんびり撫でました。銀鼠と灰鼠はサータマン王やグル教の話をすると、すぐに憎しみをあらわにしますが、この老人の話には怒りを越えた余裕のようなものがあります。
フルートは口元に手を当てて考え込むと、僧侶に確かめました。
「シュイーゴでは春祭りを開いて、春の神様を起こすために踊りますよね。グル教に神様はひとりしかいないんだとしたら、春の神様なんていないことになる。あれはグル教じゃなくて、元祖グル教のお祭りだったんですね?」
「そのとおりです、勇者殿」
と僧侶はほほえみ、周囲に立つ町の住人を示してみせました。
「我々シュイーゴの人間が大切にしているのは、山から大水と芽吹きを運んでくる春の神と、秋の実りをもたらしてくれる秋の神です。だから、春祭りと秋の収穫祭は何百年間も続けてられきました。それに、祭りには近隣から大勢の観光客が集まるので、我々には大事な商売どきになります。わしらは表向きはグルに改宗したことにして、伝統と商売を理由に、ずっと元祖グルとその神々を崇め続けてきたのです」
なるほど、とフルートたちは納得しました。
姉の銀鼠が改めて周囲を見回して言いました。
「じゃあ、この結界も元祖グルの魔法で作っているのね。妙だとは思ったのよ。グルの信者はこんな強力な魔法は使えないはずだから。あなたも元祖グルのしもべだったのね」
僧侶はうなずきました。
「そう、わしに遣わされているのはお告げの神のノワラ。ノワラが騒いで知らせてくれたので、今回のサータマン王の襲撃にも、事前に備えることができたのです」
「さっき、アーラーンが騒いだはずだな。仲間の神に出会って喜んでいたのか」
と弟の灰鼠もやっと納得します。
すると、寄り集まって何か相談していたシュイーゴの住人が、またフルートたちのところへやってきて言いました。
「これから、あんたたちを歓迎して食事会を開くよ」
「こんな状況だから大したものはないんだけど、ぜひ食べていってちょうだい」
それを聞いて、ゼンは目を輝かせました。
「そういうことなら俺だって作るぞ。食料ならたっぷり持ってきたからな」
と背中に担いだ荷物を揺すってみせます。
フルートもうなずいて言いました。
「喜んで参加させてもらいます。それに、皆さんに伝えたいことがあるし、聞きたいこともあるんです。ゆっくり話ができるとありがたいです」
それでは、とシュイーゴの住人は勇者の一行を囲むようにして移動を始めました。隠れ里の中央へ案内していきます。そこに彼らの炊事場と集会所があったのです。
姉の銀鼠が肩をすくめました。
「ほんとに変な連中よね。子どものくせに、いっぱしの大人みたいな言い方をして。生意気なんだから」
「でも、これでぼくらは彼らをシュイーゴに送り届けたことになるんだろう? お役御免だ。やれやれ、やっとロムド城に帰れるぞ!」
と弟の灰鼠が嬉しそうに伸びをします。
ところが、町の住人は彼らにも駆け寄ってきて、押したり手を引いたりし始めました。
「さあさあ、あんたたちもそんなところに突っ立ってないで!」
「母ちゃんたちが手によりをかけた料理を作るから、こっちに来いよ」
「あらまぁ、どっちもなかなかの美形だねぇ。姉弟かい? よく似てるね」
「どうだ、あんた。うちの息子の嫁に来ないか? 三十過ぎなのにまだ恋人もいなくてな」
「あんたはうちの婿にならない? うちの娘、あたしに似て美人なのよ」
え、あの、ちょっと……と姉弟はあわてふためきましたが、住人はわいわいと連れていってしまいました。二人が断ろうとしても、お構いなしです。
それを見ながら、僧侶はつぶやきました。
「町を焼かれて逃げのびた我々に、金の石の勇者たちとアーラーンの使い手が現れた。すべてはグルとノワラのお導きじゃな。ありがたいことじゃ」
老人は両手を胸の前で合わせて神に一礼すると、一同の後を追って歩き出しました――。