サータマンの王都カララズにある、サータマン城――。
その豪華な部屋のひとつにサータマン王とセイロスとギーが集まり、食事をしていました。王は健啖家(けんたんか)なので、山盛りのご馳走や銘酒が次々に運ばれてきては、床に広げた布の上に所狭しと並べられていきます。
部屋には美しく着飾った美女たちもいて、王たちに酒をつぎ、楽器をかなで、うすぎぬの服をなびかせて踊りを披露していました。客人のセイロスのために宴会を開いているわけではなく、これが王の普段の食事なのです。
ランジュールも同じ部屋にいましたが、彼は天井に近い梁(はり)の上に正座して、「質素倹約、粗食健康」などとつぶやきながら、前に置かれた小さな食卓に手を合わせ、箸を使ってヒムカシ風の食事をしていました。もちろん幽霊が食事をする必要はないのですから、食べる真似をして遊んでいるだけです。
やがてギーが腹をなでながら声をあげました。
「ああ、食った飲んだ! もうこれで充分だ!」
あら、とギーに酌をしていた美女が言いました。
「もう終わりでいらっしゃいますの? お酒もお料理もまだまだございますのに」
「いやいや、本当にもう充分だ! これ以上はもう一口だって入らない! これ以上食ったら腹が破裂する!」
まあ! おほほ……と女たちはいっせいに笑いました。ギーの横にいた美女がギーの手を引いて立ち上がります。
「それではこちらにどうぞ、若殿様。私が夜伽話(よとぎばなし)をお聞かせしますわ」
と準備してあった別室に誘います。
「う、うん、そうだなぁ……」
ギーは酔って赤くなった顔で鼻の下を伸ばし、セイロスのほうを見ました。一応、意向を確かめたのです。
「せっかくの誘いだ。行ってこい」
とセイロスは答えました。こちらはいくら酒を飲んでも平然とした顔です。
ギーは喜んで美女と部屋を出ていきました。酔ってはしゃぐギーと美女の艶っぽいやりとりが遠ざかって行きます。
サータマン王がセイロスに言いました。
「そなたのためにも部屋は準備してあるんだぞ。美女もよりどりみどりだ。なんだったら、そなたの周りにいる女たち全部を連れていってもいい」
「いや、私はけっこうだ」
とセイロスは酒を飲みながら答えました。そんな彼の両膝や体には何人もの美女がしなだれかかって秋波を送り続けているのですが、彼はいっこうに目も向けません。
はて、とサータマン王は短い首をひねりました。
「ここの女たちは気に入らないのか? では、後宮から別の女たちを呼ぶか? それとも若い美男たちのほうがよいのか?」
「その趣味はない。人に女を用意してもらうほど女に不足していないだけだ」
とセイロスはそっけなく言います。
それを聞いて、天井のランジュールが肩をすくめました。
「だよねぇ。セイロスくんがちょっと誘えばほとんどの女性は舞い上がっちゃうんだろぉから、わざわざ女性を紹介されなくてもいいに決まってるよねぇ。とはいえ、デビルドラゴンがそういうことをしたがるかどうかはわかんないけどさ、うふふふ……」
音楽が賑やかに演奏されているので、幽霊のひとりごとは他の人々には聞こえません。
すると、そこへどやどやと入ってきた一団がありました。下男や女たちの制止を振り切り、槍や剣でさえぎろうとした衛兵たちも無造作に押しのけて、サータマン王に近づいていきます。
「食事中に失礼します、陛下。緊急にお話ししたいことがあって伺いました」
と先頭の男が言いました。刺繍を施した立派な服をまとい、白髪頭には丸い帽子をかぶっています。グル教の大僧正でした。一応丁寧なことばづかいをしていますが、王の許しを得ないうちに話し始めます。
「陛下が我々に断りもなく北にお引きになった国境線についてです。何も知らずに国境を越えてしまった信者が、戻ろうとして魔法に引っかかり、すでに七十人以上も亡くなっております。このような警備は行きすぎです。ただちに国境の魔法を解除していただきましょう」
サータマン王はつまらなそうに言いました。
「わしが北の国境を強化したのは、ミコンに住みつく異教徒どもが我が国へ攻め下ってくるのを防ぐためだ。あの国境の向こうは異教徒どもの領地。そんな場所へ敬虔なグルの信者が足を踏み入れるはずはなかろう」
「麓には山の恵みで暮らしをたてている信者も大勢いるのです! 木こり、炭焼き、豚飼い、木の実やキノコの採集などをする者たちなどが、山に入れなくなって大変困っております!」
と別の男が言いました。大僧正より質素な服を着たグルの僧侶です。麓の人々の訴えを大僧正に伝えたのは、この僧侶でした。
けれども、サータマン王は相変わらず心動かされた様子がありませんでした。酒を口に運びながら言います。
「異教徒の山の動植物が恵みなどであるはずがない。そんな汚らわしいものは、売買しても口にしてもならないはずだ。グルは異教徒どもに属するものも決して許さない。そうであったな、大僧正?」
王からグル教の信条を聞き返されて、大僧正は一瞬ことばに詰まりました。少しの間考えを巡らしてから、また言います。
「国境の向こうの産物に関しては、王の言う通りでしょう。だが、国境を見落として越えてしまう者もあります。気づいて引き返そうとしたのに魔法の槍に貫かれてしまうというのは、あまりにも行きすぎです!」
すると、セイロスが口を開きました。
「国境の守りには、おまえたちが以前設置した守備石を使っている。グルの祈りには反応するはずだ」
それを聞いて、大僧正も僧侶も顔を真っ赤にしました。
「そ――そのようなことは、ひと言も連絡がなかったではありませんか!」
「そうとわかっていれば、あれほど大勢が国境で命を落とすことはなかったのに!」
怒りに身震いしながら糾弾しますが、サータマン王はそっけなく言いました。
「今知らせた。今後、国境に近づく者はグルへ敬虔な祈りを捧げるように。謁見はここまでだ。下がれ」
大僧正と僧侶はまだ訴え続けようとしましたが、衛兵たちが寄ってたかって二人を外へ追い出してしまいました。陳情に来た他の人々も一緒です。
「陛下! お待ちを、陛下!」
「あなたは何をしようとお考えだ!? グルは横暴をお許しになりませんぞ、陛下――!」
僧侶たちの声が遠ざかって聞こえなくなります。
ふん、とサータマン王は鼻を鳴らしました。
「坊主どもが、グルの名を笠に着てうるさく口出ししてくる。わしのどこが横暴だというのだ。わしほど敬虔で熱心なグルの信者はおらぬというのに。おかげでせっかくの食事がまずくなってしまったわい」
「どこをどう見ても横暴な王様だけどねぇ?」
と天井からランジュールがまた突っ込みましたが、距離がありすぎて、その声は下には届きません。
すると、セイロスがおもむろに言いました。
「話がしたい。人払いをしてもらおう」
王はすぐに周囲へ合図をしました。たちまち下男も美女たちも退いて、部屋にはサータマン王とセイロスと衛兵が残るだけになります。衛兵はまるで彫刻のように微動もせずに壁際に立っていました。王を警護する彼らは、何を見聞してもいっさい関わらない訓練を積んでいるのです。
「それで? なんの話だ?」
とサータマン王が尋ねると、セイロスは手にしていた酒のカップを床に置きました。とたんにカップが消えてサータマンの地図が現れたので、王は目を丸くします。
「今ここで作戦会議をするのか? 性急だな」
「おまえに合わせていては、食事ばかりでなかなか進まないからな」
とセイロスは辛辣に言い返して、地図へ目を向けました。
「さっき坊主たちにも言った通り、サータマン国の北の国境には、グルの守備石を利用して国境線を張った。これは防御を果たしているだけでなく、敵がこちらの様子をうかがうことも防いでいる。仮に誰かが守備石を破壊したり、国境の魔法をさえぎったりすれば、即座に軍隊をその場所へ送り込むこともできる。同盟側はサータマンの内部を探れなくなったということだ」
サータマン王は太った体を乗り出して、セイロスの反対側から地図をのぞき込みました。
「ミコンに聖戦を仕掛ける準備は着々と進んでいる。だが、いよいよ攻撃開始の暁には、国境線の魔法は消すのだろうな? 進むだけで退くことができないようでは、あまりに危険な賭けになるぞ」
「それに関しては任せておけ――。それより、おまえに聞きたかったのは、この地に強力な怪物が存在するかどうかだ。闇の怪物でも、そうでなくてもいい。戦闘力の高い怪物はサータマンに存在していないのか?」
すると、話を聞きつけて天井からランジュールが舞い降りてきました。
「なぁに、なぁに、今、強い怪物って言ったぁ!? ひょっとして、それをボクにくれるつもりなのかなぁ? そりゃそぉだよねぇ。ボクは世界最高の優秀な魔獣使いなんだからさぁ! どぉんな怪物でも手なずけて、思いっきり派手に戦わせてあげるよぉ!」
「そうだ。おまえの出番だ、ランジュール」
とセイロスは言って、サータマン王へ目を戻しました。
「ここまで戦ってきて気がついたことだが、この時代の連中は怪物に弱い。私の時代であればなんということもない怪物にも、右往左往してなかなか倒せずにいる。今の時代に魔法を得意とする人間が少ないことも関係しているのだろう。封印された怪物でもいい。強大な怪物の情報があれば教えろ。解き放って、同盟軍にぶつけてやる」
「いいねぇ、いいねぇ! すごぉくいい作戦だねぇ! どんな怪物だって、ボクにかかれば飼い慣らされたワンワンちゃんみたいにおとなしくなるんだよぉ! だから、とびっきり強くて凶暴な怪物を紹介してよねぇ!」
ランジュールはすっかり上機嫌です。
「とびきり強くて凶暴な怪物か」
サータマン王は腕組みすると、思い出すようにじっと考え始めました――。