三十分後、フルートの言う通り朝食をすませた一行は、荷物をまとめて、目印の石の前に立ちました。皆、リュックサックや大きなバッグを持っていますが、元祖グル教の弟が丸めた絨毯まで抱えていたので、メールは驚きました。
「空を飛ばないときって、そうやって絨毯を運ぶのかい？ 大変そうじゃないか」
「我々元祖グル教のしもべは、いつもこうやって絨毯を持ち歩くんだよ。もちろん礼拝のためにね。別にどうってことはないよ」
と弟が答えたので、はぁ、とメールは言いました。分厚い絨毯は実際にはかなり重そうに見えたのですが、また喧嘩になっては大変なので、それ以上は突っ込まないようにします。
ゼンは腕組みして国境の石を眺めていました。横に立つフルートへ目を移して言います。
「さあ、いよいよだぞ。いいかげん、どうやって国境をこえるのか教えろよ」
フルートはもったいぶることもなく、すぐに答えました。
「さっきみんなも見ただろう？ この国境は動物ならまったくなんでもなく越えることができるんだ。馬で越えよう」
馬で？ と一同は驚きました。
「俺たちは馬なんて連れてきてねえだろうが」
「もしかして、あたいに花馬を作らせるつもりかい？」
「で、でも、馬は通れても、上に乗った人は攻撃されそうな気がするわよ……」
「ワン、馬に乗って大丈夫なら、ぼくたち風の犬に乗っても同じことですよ」
「そうよ。むしろ私たちに乗るほうが安全だわ。攻撃が来る前にかわしてみせるわよ」
口々に言う一行の横で、元祖グル教の姉弟はあきれた顔をしていました。なんて馬鹿な作戦を思いつくんだろう、やっぱり子どもだ、と考えているのです。
ところが、フルートは首を振りました。
「馬に乗って越えるんじゃないよ。馬で越えるんだ」
「だから、馬で越えるって言っても馬がねえって――！」
「どこが違うのよ！ 同じでしょう！？」
仲間たちがいっそう騒ぐと、ポポロが急に、はっとした顔になりました。おそるおそるフルートに聞き返します。
「ねぇ、もしかして……馬で越えるっていうのは、馬の姿になって越えるっていうこと？ あたしの魔法で……」
えええ！！？ と全員は驚愕しました。あまり驚きすぎたので、すぐには誰も何も言えません。
ポポロだけがフルートに話し続けました。
「あたしの魔法でみんなが馬になれば、国境はきっとあたしたちを動物と思って通してくれるわよね……もしかして、それが作戦？」
フルートは、にっこり笑いました。
「正解だよ。君の魔法で馬になって国境を抜ける。念のために継続の魔法もかけてほしいんだ。国境の先で敵に見つかったら、すぐに逃げて国境のこちら側に戻れるようにね」
仲間たちはますます仰天しました。
「マジで馬に変身する気かよ！？」
「ど、どうして馬なのさ！ 動物になればいいなら、犬とか鳥でもいいはずだろ！？」
すると、フルートは仲間を指さしました。
「自分たちの格好を見て見ろよ。身につけている防具はいいとしても、荷物はきっと変身してもそのままだ。犬や鳥で、これだけの荷物が運べるかい？」
一同は思わずまた絶句しました。ゼンは自分が担いだ食料のリュックに触れて、うぅむ、と唸ります。
姉の銀鼠があきれて話しかけてきました。
「ちょっと、本気で馬に変身するつもり？ 動物への姿替えはかなりの魔力が必要なのよ。本当にできると思ってるの？」
「そうだよ。相手に自分を違う姿に思わせることなら比較的簡単だけど、自分の体そのものを馬にしようっていうわけだろう？ 失敗すればとんでもない怪物になりかねない、危険な魔法だぞ」
と弟も警告しますが、フルートはまったく揺らぎませんでした。
「ポポロなら絶対大丈夫です。できるよね、ポポロ？」
「う、うん……」
とポポロはとまどいながらうなずきました。姉弟が危ぶむような顔になります。
ゼンとメールもまだ心の準備ができずにいました。
「本当に馬になるのか？ それしか方法はねえのかよ？」
「あ、あたいちょっと、この国境がホントに越えられないかどうか調べてみるよ。もしかしたら魔法攻撃が来るってのは間違いかもしれないんだしさ――おいで、花たち！」
花使いの姫が呼びかけると、ざぁっと森の奥で雨のような音がして、色とりどりの花が雲のように押し寄せてきました。
「みんな、人間になるんだよ。で、あっちに向かって歩いていっとくれ」
とメールに言われて、花の群れはたちまち寄り集まり、人の姿に変わりました。長い髪の男性になって、森の中を目印の石のほうへ歩き出します。
「なに、あれ。花を操って人にしているわけ？」
「あんな魔法は隊長だって使ったことがないぞ」
と銀鼠と灰鼠が驚いて話し合います。
そのとき、花人が目印の石の向こう側へ行きました。国境を越えたのです。
とたんに地面からいきなり光る槍が突き出してきました。花人を真下から貫き、そのまま四方へはじけてしまいます――。
光の槍にちぎられた花が雪のように降りしきる中、勇者の一行は立ちすくみました。姉弟が唇を震わせて言います。
「嘘。今のはアギレーの槍じゃない……」
「サータマン王はこんなものを国境にしかけたのか……？」
「アギレーの槍というのは？」
とフルートが聞き返しました。誰もが青ざめていますが、フルートだけは落ち着いています。
弟の灰鼠が答えました。
「稲妻の神アギレーが使う魔法の雷だよ……グル教の連中にこれが使えるとは思わなかった」
「セイロスがグルに力を貸しているのね。なんて奴よ！」
と姉の銀鼠は憤慨します。
フルートは今度は犬たちに尋ねました。
「今ので敵がやってくる気配は？」
「ないわね」
「ワン、しません」
とルルとポチが答えると、ポポロも遠い目で周囲を見て言いました。
「敵の兵士はどこからも現れないわね。きっとアギレーの槍の魔法が防がれると、それを感じてやってくるんだわ」
「よし。それじゃ変身して国境を越えるぞ。いいな？」
フルートのことばに、仲間たちはもう反論することはできませんでした。ゼンとメールが顔を見合わせます。
「ま、まあ、ポポロの魔法は明日の夜明けには解けるしな……」
「うん、ポポロも最近魔法がすごくうまくなってきたもんね」
けれども、二人とも顔色はすぐれません。
一方、ルルとポチは一緒に大きく後ずさりました。
「私たちはもう犬だから、馬になる必要はないわよね？」
「ワン、みんなが馬になったら、その後から追いかけていきますから……」
「ポポロ」
とフルートが促したので、ポポロは意を決して片手を上げました。声高く呪文を唱えます。
「レワーカニマウヨマカナニメータルエコオーウヨキツーコ！」
さらに継続の呪文も続けます。
「ヨーセクゾイーケ！」
とたんに仲間たちの姿が変わり始めました。二本脚で立っていられなくなって四つん這いになり、体がぐんぐんふくれあがって元の形を失っていきます――。
やがて、その場には数頭の馬の群れが現れました。毛並みの色も体の大きさもばらばらな馬たちです。
一番大きな黒馬が、長い首をねじって自分の体を見回しながら言いました。
「なんだ、こりゃ！ 黒星になってるじゃねえか！」
それはゼンの声でした。白地に灰色ぶちの馬がそれに答えます。
「ホントだ。額には白い星もあるよ。ゼンの馬の黒星じゃないか」
こちらはメールの声です。
「そういうおまえもゴマザメになってるぞ！」
「え？ あれ、ほんとだ！ このぶち模様はあたいのゴマザメだよね！」
「みんな、自分の馬になっちゃったみたいね……」
と体が茶色で脚や鼻面やたてがみが黒い、鹿毛（かげ）の馬が言いました。こちらはポポロの声ですが、姿は彼女の馬のクレラになっています。
すると、ヒヒヒン！ といななきが上がりました。一回り小さな二頭の馬が口々に言います。
「やだ！ 私たちは変身させなくていいって言ったじゃない！ ポポロの魔法はいつだって余計なところまで巻き込むんだから！」
「ヒヒン、ぼくたちは犬なんだから、馬になる必要はなかったのになぁ」
ルルとポチの声でしたが、ポチは、ワンの代わりに馬のいななきが混じっていました。ルルは全身茶色、ポチは全身真っ白の小馬です。
ご、ごめんなさい……とクレラの姿のポポロが首を垂れます。
元祖グル教の姉弟も二頭の馬に変わっていました。全身灰色でたてがみと尾が火のように赤い、美しい馬です。
姉のほうが溜息をついて言いました。
「まあ、怪物にならなかっただけマシかしらね」
「でも、こんなみっともない姿は死んでも彼女に見せられないよ。いつまでこんな格好でいなくちゃいけないんだ？」
と弟も言いました。どうやら弟はロムドに恋人がいるようです。
灰色ぶちのメールが答えました。
「心配ないよ。ポポロの魔法は明日の朝には消えちゃうんだ。明日の夜明けには元の姿に戻れるよ」
「ああ、俺たちの荷物もちゃんと載ってやがる。フルートの言う通りだったな」
とゼンが背中にくくりつけられたリュックサックを見て言いました。他の仲間が持っていた荷物も、それぞれの背中にあります。弟の灰鼠の背中には丸めた絨毯がつけられていました。
「じゃあ、とにかく国境を越えましょうよ。こんなところでぐずぐずしていてもしょうがないものね」
と茶色の馬になったルルはフルートを振り向き、とたんに驚きました。
「え……もしかしてフルートなの！？」
他の馬もいっせいにそちらを見て、あっと声をあげました。
仲間たちが自分の馬になったのですから、フルートも彼の馬のコリンに変身するはずでした。おとなしいけれど我慢強い栗毛の馬です。
ところが、フルートは全身が輝くほど白くなっていました。体は確かに馬ですが、他の馬たちより一回り小さくて、ルルやポチと同じくらいの大きさしかありません。たてがみの色は黄金、瞳は鮮やかな青、蹄はヤギのように二つに分かれていて、尾は何故かライオンの尻尾になっています。そして、その額には一本のねじれた長い角がありました。
「フルート……その格好……ユニコーンになったの？」
とポポロがおそるおそる尋ねると、一本角の獣は口を開きました。
「うん。どうやら、ぼくだけ怪物になっちゃったようだな」
紛れもなくフルートの声です。
仲間たちは思わず天を振り仰ぎました。
「ったく！ 二千年にひとりの天然お人好しは、馬にならねえでユニコーンに変身したのかよ！」
「怪物は怪物でも、超がつくくらい聖なる怪物じゃないか。ホントにフルートらしいんだからさ」
とゼンとメールがあきれます。
魔法の警戒網が引かれた国境の前で、七頭の馬は純白のユニコーンを取り囲みました――。
