一行は霧の中のトンネルを通ってミコン山脈の北の斜面を上り、山頂を越えて、南側の斜面を下っていきました。行けども行けども白一色の景色が続く旅でしたが、それもとうとう終わりが近づき、あたりが見えるようになってきました。薄れていく霧の中に、たくさんの木々が緑の葉を茂らせています。
ポチとルルは地上を見下ろしながら話し合いました。
「ワン、ロムド側より森が濃い。サータマンが近いみたいだ」
「警戒の魔法がかけられた国境って、どこにあるのかしら? 気がつかずに引っかかったら大変よ」
二匹の上でもフルートたちが話し合っていました。
「国境の魔法はどのあたりにあるんだろう? ポポロ、見えるかい?」
「今は何も感じられないわ。注意して見ていくわね」
「鳥がいるけど、特に変わった様子はねえな」
「あたいはさっきから森の木の声を聞いてるんだけど、こっちも何も言ってないみたいだなぁ……」
そうこうするうちに彼らは霧の中を抜け、完全にトンネルの外に出ました。すぐ足元には濃い緑の森が広がっています。
「敵に見つかったら大変だ。森の中に下りよう」
とフルートが言ったので、ポチとルルは高度を下げて木々の間に入りました。空飛ぶ絨毯もついてきます。
フルートは絨毯を振り向きました。
「サータマン国はもう目の前のはずなんです。国境に目印はあるんでしょうか?」
「あら、ようやくあたしたちの出番?」
「道案内なんて全然必要ないのかと思っていたよ」
と元祖グル教の姉弟は皮肉を言いましたが、すぐに真面目な顔になって続けました。
「川や谷を国境にしているところならともかく、普通は明確な国境なんてないものよ。少なくとも、あたしたちがサータマンを離れた頃には、ミコン山脈側に国境の目印なんてほとんどなかったわ」
「ただ、警戒の魔法をかけたとなれば、話は別だな。よりどころがなかったら、そういう魔法は使えないから。森の中か森の外れに、国境の目印があるはずだ」
「目印――」
一行は周囲を見回し始めました。森の中は麓に向かってまだ斜面が続いていたので、そこをゆっくり下りながら、目印のようなものを探します。
ルルがくんくんと鼻を鳴らしてから言いました。
「変ね。そんな大がかりな魔法が使われていたら、闇の匂いもしていいはずなのに」
「ワン、匂いがしないの?」
「かすかには匂うのよ。でも、この程度の闇の匂いは、どこでもけっこうするものなの。闇の怪物が棲んでいる場所ならなおさらね。大きな闇魔法の気配はしていないわ」
ルルは困惑した顔をしていました。ポポロも魔法使いの目で国境の目印を探していましたが、いっこうに見つかる気配はないようでした。
「やべぇぞ。国境がわからねえと、マジで突っ込んで攻撃を食らうじゃねえか」
とゼンが言ったので、フルートは鎧の胸当ての下からペンダントを引き出しました。透かし彫りの真ん中で光る石へ話しかけます。
「金の石、国境の目印を見つけられないか? このままじゃサータマンに入れないんだ。」
けれども、魔石は返事をするように一瞬光っただけで、あとは何も変化がありませんでした。そうこうするうちに、夕暮れが近づいてきて、森の中が暗くなり始めます。
フルートは溜息をついて言いました。
「このまま飛び続けるのは危険だ。国境を探すのは明日にして、下に降りよう」
そこで一行は森の中に下り立ちました。ポチとルルが犬の姿に戻って、ぶるぶるっと全身を振ります。
姉の銀鼠が話しかけてきました。
「今夜はここで野宿? それとも、もう少し別な場所を探すの?」
「もう薄暗くなっているから、歩き回るのは危険です。今夜はこの場所で野宿します」
とフルートが答えると、よし、とゼンが背負ってきた荷物を下ろしました。適当な倒木に腰を下ろすと、パンを切り分け、チーズと燻製肉をのせて差し出します。
「まずは食えだ。夕飯にしよう。最初は誰だ?」
「ワン、ぼくとルルにくださいよ。みんなは山脈越えしながら昼ご飯を食べたけど、ぼくとルルはずっと飛びっぱなしで何も食べられなかったんだから」
とポチが言ったので、最初のパンは犬たちに配られました。ここまでの苦労をねぎらうために、分厚い燻製肉がもう一切れ追加されます。
「あたいの分はチーズを多めだよ、ゼン」
「あ、あたしもそのほうがいいわ……」
とメールとポポロが言ったので、ゼンはリクエストに応えていきます。
その間、フルートは周囲を見回していました。どこかに国境の目印らしいものはないか、とまだ探し続けていたのです。けれども、森の中はどんどん暗くなり、とうとう近くにいる仲間たちしか見えなくなってしまいました。夜の闇が森をおおっていきますが、フルートがまだペンダントを外に出していたので、金の石の光で仲間の姿は見えていたのです。
目印探しをあきらめたフルートは、ふと元祖グル教の姉弟が見当たらないことに気がつきました。さっきまでそばにいたはずなのに、姿が見えなくなっています。
「銀鼠さん、灰鼠さん、どこですか――!?」
声に出して呼ぶと、すぐ近くの木立の陰から姉の声がしました。
「騒がないで。ここにいるわよ」
なんでそんなところに、と木立の後ろをのぞき込んだフルートたちは、思わず目を丸くしました。姉弟は草におおわれた地面に空飛ぶ絨毯を敷き、その上にあぐらをかいて座っていたのです。絨毯の前の置いたランプが彼らを照らしていますが、二人ともいつの間にか灰色の長衣を脱いで、白っぽい異国の服装になっていました。裾がふくらんだズボンに幅広の帯、刺繍のある短い上着という格好で、脚は裸足です。
「なんだかアクの服に似てるわね」
とルルがテト国の女王の名前を出すと、ポチは首をかしげました。
「ワン、それってサータマンの民族衣装ですか?」
「そうよ。礼拝のときには必ずこの服にならなくちゃいけないの」
と姉の銀鼠は言うと、頭に布のベールをかぶりました。弟のほうは何もかぶりません。
「礼拝って?」
とメールも尋ねました。姉弟が改まった様子でいるので、興味をひかれたのです。
「もちろん、元祖グルへの礼拝よ。それから、あたしたちの守り神のアーラーンにも祈るわ。あたしたちは毎日明け方と日暮れに、必ず礼拝をしなくちゃいけないのよ」
へぇ、と勇者の一行は感心しました。なんとなく邪魔してはいけないような気がして、その後は質問をやめて黙って見守ります。
姉弟はあぐらをかいたまま両手を胸の前で合わせると、目を閉じました。その口から低い声が流れ出します。歌のようにも聞こえますが、フルートたちには歌詞の意味がわかりませんでした。異国のことばで紡がれた詠唱だったのです。厳かな響きを帯びながら、うねるように森の中を流れていきます。
ルルがポポロを鼻先でつついてささやきました。
「これが元祖グルのお祈りなのね。ユリスナイに捧げる祈りの歌に、ちょっと似てるわ」
「うん……。赤さんの大地の詠唱にも似てる気がするわね」
「これはグル語? 銀鼠さんや灰鼠さんはこれで魔法の呪文を唱えてんの?」
とメールが不思議がると、ポチが答えました。
「ワン、違うと思いますよ。もし魔法にグル語が必要なら、魔法を使うために、赤さんみたいに共通語が話せなくなるはずだから」
「でも、ずいぶん力を感じるお祈りだ。二人とも本当に熱心な元祖グル教の信者なんだな」
とフルートは姉弟を見つめながら言いました。二人は手を合わせたまま、額をすりつけるように何度も頭を下げ、長い祈りを歌い続けています。その姿は、本当に、ミコンの教会でユリスナイに祈りを捧げていた信者たちを思い出させます。
すると、いきなりゼンが声をあげました。
「あそこで何か光ったぞ!」
仲間たちはどきりとして、ゼンが指さすほうを眺めました。木立が暗い影を作っていますが、ゼンが言う光は見えません。
「確かに今、光ったんだ! ぼぅっとこう――!」
とゼンがむきになると、今度はポポロが叫びました。
「本当! あそこよ!」
とゼンとは違う場所の暗がりを指さします。確かに赤い光がぼんやりと広がっていましたが、すぐにしぼむように暗くなってしまいました。
「なぁに、いったい!?」
「ワン、もしかして敵ですか!?」
ところが、彼らがそれだけ騒いでいても、元祖グル教の姉弟は礼拝をやめようとしませんでした。二人の祈る声が二重唱のように大きくなっていきます。
すると、闇の中でまた光が湧き上がりました。赤い光が灯火のように森の中を照らします。
フルートは思わず背中の剣を握りましたが、姉弟の祈りが低くなると、同時に赤い光も暗くなったので、はっとしました。
「あの光は二人の祈りに呼応してるんだ!」
「じゃあ、あの光はグル教に関係あんの!?」
とメールが驚きます。その後ろで姉弟の祈りがまた大きくなり、森の中にまた赤い光が湧き上がりました。それも今度は三つ四つと数が増えていって、森の中に一列に並びます。まるで何かを示しているようです。
フルートたちは顔を見合わせてしまいました。
「ねぇ、もしかして、あれって……」
「うん、国境の目印なのかもしれない!」
そう話し合うと、彼らはいっせいに光へ走り出しました――。