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第23巻「猿神グルの戦い」

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第4章 山脈越え

10.山脈越え

 フルートたちの一行は、森の中で昼食をすませると、いよいよ山越えを始めました。風の犬や空飛ぶ絨毯に分乗して、ミコン山脈の頂上をめざします。

 麓は良い天気だったのですが、山の斜面に沿って上昇していくと、やがて濃い霧の中に突入して周囲が見えにくくなってきました。

「霧にまかれてはぐれると大変だ。みんな集まれ」

 とフルートが呼びかけたので、一行は間隔を詰めました。フルートとポポロを乗せたポチが先頭を飛び、ゼンとメールを乗せたルルと、姉弟が乗った絨毯が並んでそれに従います。

「前から不思議だったんだけどさ、なんで山ってこんなふうに急に霧が出るんだろうね? 父上の島には海から霧が押し寄せてきたんだけど、この辺には海なんてないだろ?」

 とメールが言うと、あら、とルルが答えました。

「この霧は雲よ。山にはよく雲がかかるでしょう? 私たちは今、雲の中を飛んでるの」

「ワン、それにこの雲も、元々は海から来てるんですよ。サータマン国の西にあるバルス海から吹いてきた湿った風が、山にぶつかって雲に変わるんです。雲は山を越えるときに雨をたくさん降らせるから、ミコン山脈のサータマン側には、こっち側よりもっと深い森が広がっているんですよ」

 とポチが博識ぶりを披露します。

 ははぁ、とゼンは言いました。

「そういや、赤いドワーフの戦いでサータマンの麓を通ったとき、ジャングルみたいな森も通ったよな。あの辺は雨が多かったから、森も深かったのか」

「覚えてるわ。あのときには、さすがのゼンも道に迷ったのよね」

 とルルが冷やかしたので、ゼンはたちまちむっとしました。

「地図もなしに見知らぬ国を歩いてたんだから、道がわからなくなるのは当然だろうが。ああいうのは迷ったとは言わねえぞ」

「あら、道がわからなくなったことを迷うって言うのよ。潔く認めなさいよ」

「うるせえ! ドワーフは道に迷ったりしねえんだ!」

 とゼンはますますむきになります。

 

 すると、やりとりを聞いていた姉の銀鼠が、口を開きました。

「元々のサータマンは、ミコン山脈よりずっと南の草原地帯にあった国なのよ。山脈の麓の森には、昔はいくつもの別の国があったの」

「今から二百年くらい前にサータマンが周囲に侵略を始めて、まわりの国々はみんな滅ぼされて、サータマンに併合されてしまったんだ。サータマンはそうやってできた大帝国さ」

 と弟の灰鼠も言いますが、その口調に憎しみが感じられたので、フルートは聞き返しました。

「もしかして、お二人はその周辺国の出身ですか?」

 とたんに姉弟はいまいましそうに舌打ちしました。

「そうよ。あたしたちは、サータマンに滅ぼされたファルナーズ国の末裔(まつえい)なの! ファルナーズは元祖グル教が生まれた国よ!」

「当時のサータマン王は、自分の帝国を広げていくのに、グルの教えを勝手にねじ曲げて、都合のいいように作りかえたんだ! そんなものはグルでもなんでもない!」

 姉弟の口調があまり激しかったので、勇者の一行はたじろぎました。

「だから元祖グルっていうのにこだわってたわけ? それでサータマン王のことも嫌いだったんだ」

 とメールが言いますが、姉弟はまだ腹をたてていました。

「それだけじゃないわ! 今の王のサルドルード三世はとんでもない暴君で、細々と続いていた元祖グル教の里を、古い異端の宗教だと言ってすべて焼き払ったのよ! 冗談じゃないわ、異端の宗教はどっちよ!」

「仲間の信者が大勢殺されたし、生き延びた者はみんなサータマンから逃れて散り散りになった! ぼくたちはそうやってロムドに流れ着いたんだ!」

 恨みのこもった口調に、フルートたちは思わず絶句しました。宗教と政治が絡み合った暗い歴史です。

「ったく。これだから人間って奴らはよ」

 とゼンが苦々しくつぶやきます。

 

 ところが、そのときポポロがフルートの腕を引きました。

「停まって、フルート。誰か出てくるわ」

「出てくる?」

 とフルートが驚いて聞き返すと、目の前の空中に本当にひとりの人物が現れました。濃い霧の中なので、霧がこごって人になったように見えましたが、その人物は青い長衣を着て太い杖を握っていました。

「青さん!?」

 と一同が叫ぶと、はっはっは、と聞き覚えのある野太い笑い声が帰ってきました。

「こんなにミコンの近くまで来ていながら素通りですか、勇者の皆様方? ぜひ大神殿に立ち寄っていただきたい、と大司祭長がおっしゃっていますぞ」

 それは事態を知らせにミコンに飛んだ青の魔法使いでした。青様! と元祖グル教の姉弟も言います。

 武僧はそんな二人に目を向けました。

「案内役ご苦労、銀鼠、灰鼠。赤から知らせは受けていた。おまえたちも一緒に大神殿に来なさい」

 青の魔法使いは魔法軍団の長なので、部下たちに対しては口調が普段と少し違っていました。

 姉弟は絨毯の上で顔を見合わせました。ちょっとためらってから、姉が答えます。

「せっかくのおことばですが、私たちはミコンに立ち寄ることはできません。元祖グルのしもべとして、異教徒の都に足を踏み入れるわけにはいかないのです」

「ミコンは、悪しき想いさえ持っていなければ、異教徒や無神論者にも門戸を開く都だ。もちろん、おまえたちも入ることができるぞ」

 と青の魔法使いは重ねて勧めましたが、姉弟は頑固に首を振りました。

「それは絶対にできません」

「ぼくたちは元祖グルの敬虔なしもべなんです」

 そのやりとりに、ゼンはまた舌打ちしていました。

「グルだのユリスナイだの、人間は本当に面倒くせえよな。神は神に違いねえだろうが」

「だよねぇ。どの神様も本当の神のいろんな顔なんだ、って前に天空王も言ってたのにさ」

 とメールも言いましたが、声は潜めていました。おおっぴらにそれを言うと姉弟と喧嘩になりそうだ、と察したのです。そのくらい、彼らにとって元祖グルというのは絶対的な存在のようでした。

 

 フルートは青の魔法使いに言いました。

「ぼくたちは先を急いでいます。シュイーゴの町の人たちがどうしているか気がかりなんです。大司祭長のお招きはありがたいんですが、ミコンには寄らずに行きたいと思います」

 フルートがミコンで偽のユリスナイの声を聞き、もう少しで光の淵に身を投げそうになったのは、一年半も前のことでした。その後のミコンがどうなっているのか、のぞいてみたい気もしましたが、いろんなことを考えて、そんなふうに答えます。

 ふぅむ、と武僧は腕組みすると、霧が立ちこめる空中へ呼びかけました。

「勇者殿たちはミコンには立ち寄らないそうですぞ、大司祭長」

 すると、一瞬の間の後で、空中に今度は純白の長衣の人物が現れました。南方系の浅黒い肌に黒い瞳、短い赤毛の中年の男性で、首に神の象徴を下げ、細い銀の肩掛けをつけています。神の都ミコンの大司祭長でした。にこやかな顔でフルートたちへ手を差し出します。

「やあ、またお目にかかれましたね、金の石の勇者の皆様方。お元気そうでなによりです」

 と自分からフルートたちの手を握っていきます。

 その様子に元祖グル教の姉弟は目を丸くしました。

「嘘! ミコンの大司祭長が、自分からわざわざ出向いてきたっていうわけ?」

「なんであんな子どもたちに、大人みたいに丁寧に接するんだ?」

 姉弟は勇者の一行の真の姿にまだ気づいていません。

 

 フルートは大司祭長に丁寧に言いました。

「せっかくのお誘いをお断りして申しわけありません。ただ、今日中にミコン山脈を越えて、サータマンに入りたいと考えていたんです。状況が状況なので、一刻も早く確認したほうがいいような気がして」

「確かに、セイロスがサータマン王と手を組んだのであれば、ゆゆしき事態です。我々もサータマン方面へ人をやって確認している最中です」

 と大司祭長は答えました。にこやかだった顔が真剣な表情に変わっています。

 一方、フルートは急に心配そうな声になりました。

「お願いです。セイロスがサータマン王のところにいると確認できても、ミコンのほうからサータマンに攻め込むようなことはしないでもらえますか。サータマン王は野心家だけど、サータマンの人たち全員がそんなふうなわけじゃありません。ぼくたちと同じように普通に暮らしている人たちも大勢いるんです。どうか、その人たちに危害を加えるような真似はしないでください」

「勇者殿は、敵の王は憎んでも敵国の国民は憎まないでほしい、とおっしゃるのですね。あれほどたびたび危害を及ぼしてきたサータマンだというのに。勇者殿たちご自身がサータマンから危険な目に遭わされたこともあったのではないですか? やはり、あなた方は光の申し子だ」

 大司祭長がしみじみと言ったので、元祖グル教の姉弟がまた目を丸くします。

 ゼンは肩をすくめました。

「だってよ、シュイーゴの町のサータマン人は、ミコンに攻め込もうとか他の国を占領しようとか、そんなことは全然考えてなかったんだぜ」

「そうそう。牛や馬を飼って、家族仲良く暮らしてたもんね。ああいう人たちが少しでもいるんなら、その国を全滅させていいはずはないだろ?」

 とメールも言います。

 純白の衣の大司祭長は静かに笑いました。

「皆様方のおっしゃる通りですね。憎むべきはサータマン王やセイロスの野望であって、我々の敵はサータマン人ではない。ましてグルを信じる人々を敵と見ることでもありません。今、この場所でお約束しましょう。ミコンは都に攻めてきた敵とは勇敢に戦うし、サータマンが山脈を越えてロムドなどに攻め込もうとするときにも、全面的に戦ってこれを阻止しますが、こちらからサータマンに攻め込むようなことは決していたしません。司祭や僧侶たちにもそう強く言い渡しましょう」

 大司祭長の声は穏やかですが、確固とした力に充ちていました。

「よろしくお願いします」

 とフルートたちが頭を下げます。

 

 その様子を見守っていた青の魔法使いが、感心したようにつぶやきました。

「やはり勇者殿たちだ。これで聖戦は避けられた」

「どういう意味ですか、青様?」

 と姉の銀鼠が聞き返すと、武僧は顎ひげを撫でながら言いました。

「サータマン軍がミコンに攻めてくるかもしれないというので、先手を打ってサータマンに攻撃をしかけようという気運が、ミコンで高まっていたんだ。異教徒のグルの信者に対して聖戦を行おう、とな。それで大司祭長も判断に迷っておられたのだ」

「え、じゃあ、それをあの子どもたちが止めてしまったということですか? たったあれだけのやりとりで……?」

 と弟の灰鼠も驚いたので、青の魔法使いは姉弟を見ました。

「なにを意外がっている? ああ見えても彼らは――」

 言いかけて武僧は口をつぐみ、すぐに、にやりと笑いました。

「まあ、勇者殿たちはあの通りの外見だ。無理もないか。いずれおまえたちにもわかるだろう」

「わかるって?」

「いったい何がですか?」

 姉弟はますます意味がわからなくなって、狐につままれたような顔になりました――。

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