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第23巻「猿神グルの戦い」

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9.偵察

 「さあいいよ、アリアン。中に入って」

 とキースが自分の部屋の扉を開けながら言いました。束ねた長い黒髪に端整な顔立ち、白い服に青いマントの聖騎士団の格好をした闇の王子です。

 彼らはロムド城の中に準備された、自分たちの居間にいました。小猿の姿のゾとヨがアリアンのドレスの裾にしがみついて、引き留めるように言います。

「アリアン、また部屋にこもっちゃうのかヨ? オレたち淋しいヨ」

「オレたちも一緒に中に入りたいゾ。入れてほしいゾ」

 アリアンは首を振りました。

「だめなのよ。私たちはサータマンを偵察するの。そこにはセイロスがいるかもしれないんだもの、あなたたちをそばにいさせるわけにはいかないわ」

 こちらは長い黒髪に美しい顔立ちの闇の娘ですが、着ているドレスは若草色でふんわりと優しい色合いをしています。

 キースも諭すように言いました。

「セイロスが偵察に気づいたら、ぼくたちを操ろうとするかもしれないからな。奴がぼくたちに手を伸ばしてきたら即座につながりを断てるように、ぼくの部屋全体に魔法をかけたんだ。万が一そうなれば反動もものすごいから、おまえたちまでは守ってやれない。いい子だから、グーリーと一緒に安全なところで待っていてくれ」

「安全なところって、どこだヨ?」

「オレたち、アリアンやキースのそばにいるのが一番いいゾ!」

 とゾとヨは駄々をこねました。小猿の姿に化けたゴブリンの子どもたちは、アリアンやキースが大好きなのです。

 黒い鷹のグーリーが、止まり木で翼を広げてピィィ、と鳴きました。こちらの正体は巨大な闇のグリフィンです。

 キースはうなずきました。

「そうだ。この居間からも離れていたほうがいい。三匹で外で遊んでおいで。で、夜にはみんなで一緒に食事をしよう」

「食事?」

「オレたちがお利口に待ったら、何かご褒美をくれるかヨ?」

 ゴブリンたちに聞き返されて、キースは思わず笑いました。

「冬に作ってやった氷菓子を覚えているかい? 甘い牛乳を凍らせて柔らかくなるまで練ったやつさ。あれでどうだい?」

 二匹は飛び上がりました。

「氷菓子! あれはすごくおいしかったヨ!」

「暑い夏の夜に冷たい氷菓子! それは最高だゾ!」

 ピィィィ、とグーリーもお相伴(しょうばん)を期待して嬉しそうに鳴きます。

「よし、それじゃ決まりだ。三匹で遊びに行ってこい」

 とキースに言われて、ゾとヨを背中に乗せたグーリーが窓から飛び出していきます――。

 

 アリアンは、ほっとしてキースに言いました。

「あの子たちが素直に行ってくれて良かったわ。この前みたいに透視を通じて捕まってしまったら、私たちはみんなセイロスに操られて、ロムド城の人たちに害をなすかもしれないから」

「この部屋は特別な造りにしたんだ」

 とキースは自分の部屋の扉をたたいてみせました。

「闇魔法だけだとセイロスに力負けするから、その外側に城から光の魔法を引き込んだんだ。仮にぼくの魔法が破られても、光の魔法が守ってくれるはずだ。ただ、そうなると周囲にかなりの反動が行く。だから、ゾやヨやグーリーには安全な場所にいてもらいたかったんだ」

「ありがとう、キース」

 とアリアンはほほえみました。以前はキースに冷たくされて悲しんでばかりいた彼女ですが、今では笑顔もすっかり明るくなっています。

 そんな彼女に、キースも照れたように頬をかきました。

「いや、えぇと――それじゃ部屋にどうぞ、お姫様」

 おどけた口調は照れ隠しです。

 

 アリアンはキースの部屋に入り、すぐに驚いて中を見回しました。

 部屋からは家具もカーテンも絨毯も消え、窓さえ消えて、石の床と壁が広がっていたのです。燭台(しょくだい)もありませんが、部屋全体に白い光が充ちていたので、暗くはありません。この光はキースの魔法が放っているものでした。キースは闇の王子ですが、彼が生み出す魔法は聖なる魔法を思わせる白い色をしています。

 部屋の奥の壁には、ぽつんと鏡がひとつ掛けられていました。これもキースが魔法で出したもので、アリアンは鏡に景色を映すことで、さまざまな場所を透視することができます。

 キースは後ろ手で扉を閉めると、自分がはおっていたマントを外してアリアンに着せかけました。

「これにも魔法をかけておいた。何かあったときに君を守ってくれるはずだよ」

 と話しながら背後から留め具をはめてやり、そのまま伸ばした腕でアリアンを抱きすくめました。驚く彼女をに顔を寄せ、ささやくように言います。

「気をつけて。ぼくはずっと後ろにいる。何かあったらぼくのほうへすぐに飛ぶんだ」

 城の女性相手に歯の浮くようなことばで口説いてきた彼も、アリアンには気の利いたことばがなかなか出ないようでした。ただただ真剣にそう言うと、いっそう強く抱きしめます。

 アリアンは赤くなると、すぐにキースに寄りかかりました。自分に回された恋人の腕を抱いて、優しく言います。

「ええ、わかったわ。守ってね、キース」

 青年は黙ってうなずきます――。

 

 アリアンは鏡の前に立つと、銀の表面にじっと目を向けました。同時に透視したい方角へ心を飛ばします。

 その後ろに立つキースの姿が変わりました。白かった服が黒一色になり、後ろでひとつに束ねていた髪はほどけて流れ、その中から二本のねじれた角が現れます。同時に、ばさりと音を立てて翼が広がりました。黒い羽毛におおわれた大きな翼です。部屋いっぱいに広がると、抱きしめるように後ろからアリアンを包み込みます。

 すると、部屋を充たす白い光も強まり始めました。脈動を繰り返しながら、部屋全体が明るくなっていきます。キースが本格的に守りの魔法を使い始めたのです。

 アリアンは鏡に向かって呼びかけました。

「お願いよ。サータマン国の様子を見せてちょうだい」

 たちまち鏡は外の風景を映し始めました。どこかの街の上を風のように飛び抜け、夏でも頂上に雪をいただいている山脈を越え、その向こう側へと下りていきます――。

 ところが、その途中で、急に鏡は暗くなってしまいました。岩だらけの山の斜面を下っていたのですが、いきなり鏡の中が真っ黒になって、何も見えなくなってしまったのです。

 アリアンはびっくりして鏡を見つめ直しました。もう一度念をこらしますが、やはり鏡が何も映さないので、声に出してまた呼びかけます。

「どうしたの? サータマンが見たいのよ。見せてちょうだい」

 けれども、やっぱり鏡は暗いままです。

 アリアンはとまどって振り向きました。

「変よ。鏡がサータマンを映さないわ」

 キースは血の色になった瞳でいぶかしそうに鏡を見ました。

「鏡の力が弱ったのかな。新しい鏡を出そうか?」

「いいえ、きっと違うわ……。私が透視できないように、サータマンを魔法でおおったんじゃないかしら」

「闇魔法で? だが、それなら君の透視力のほうが勝るはずだろう?」

「かすかに光の魔法の気配はするのよ。でも、それほど強力じゃないから鏡で見通せるはずなのに、見ることができないの。まるで別の力に邪魔されているみたいだわ」

「別の力に?」

 キースとアリアンは立ちつくし、夜のように暗くなって何も映さない鏡を見つめました――。

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