ディーラを出発して三時間後、勇者の一行と元祖グル教の姉弟は、ミコン山脈の麓に広がる森の中に下り立ちました。
ゼンと犬たちはすぐに狩りへ飛んでいき、フルートとメールとポポロは薪にする木を集め始めます。
森の中は緑が濃く、地面や木の幹は分厚い苔(こけ)でおおわれていました。まるで緑の絨毯を一面に敷き詰めたような光景です。その上を涼しい風が渡っていくので、少女たちは思わず大きく伸びをしました。
「いいなぁ、ここ! すっごく気持ちいいじゃないか!」
「ほんと。さっきまであんなに暑かったのが嘘みたいね」
フルートもまわりを見回しながら言いました。
「ここはロムド南部の湿地帯とミコン山脈の境目に当たる場所だよ。山に積もった雪が溶けて一年中うるおしているから、緑も濃いし空気も湿ってるんだ。ここから湧き出した水は北へ流れていって、ロムド南部の湿地帯を作っているんだよ」
このあたりの知識は、学校の授業で習ったことです。
すると、ポポロがちょっと考えてから言いました。
「シュイーゴと同じような感じなのね……。あの町もミコン山脈の麓にあって、春になると雪解け水が一気に流れてきて洪水になっていたでしょう?」
「そうそう。町中水浸しで、家の一階は完全に水に沈んでたよねぇ。住人はみんな舟で移動してさ」
とメールも言いました。そのために、シュイーゴは「水の町」とも呼ばれていたのです。
「あそこの人たちは、毎年春に洪水になることも計算ずみで暮らしていたんだ。うまく洪水を利用してさ」
とフルートは話し続けました。春先の洪水は雪を溶かして古い牧草を運び去り、洪水が引いたあとの大地には新しい牧草が生えてきます。シュイーゴの住人はそこで牛や馬を飼って生活していたのです。
「この辺には? やっぱりそんなふうに暮らしてる人がいるの?」
とポポロが尋ねました。緑の濃い豊かな森ですが、彼らの他に人の気配はありません。
フルートは答えました。
「住んでいる人はいるのかもしれないけど、あまり多くないと思うな。このあたりに町や村はないんだよ。間に大湿原があって、それを越えてどこかへ行くのはものすごく大変だからね」
「人間が来ない自然の楽園ってことかぁ! ますますいいなぁ!」
森の民の血をひくメールが、気持ちよさそうにまた伸びをします。
すると、そこへルルに乗ったゼンがポチと一緒に飛んできました。片手には野ウサギを三匹もぶらさげています。
「もう捕まえてきたの!?」
とフルートたちが驚くと、ゼンと犬たちは得意そうに答えました。
「あったりまえだ! 俺たちを誰だと思ってるんだ!?」
「ワン、ぼくが藪からウサギを追い出して、ルルが追いかけて、ゼンが仕留めたんですよ!」
「ウサギだけじゃなく、鹿もウズラもたくさんいたんだけど、あんまり捕まえても食べきれないしね。これくらいあれば、お昼ご飯には充分でしょう?」
メールは思わずあきれました。
「早すぎるよ。まだ薪が全然集まってないんだよ」
するとゼンは手を振りました。
「ああ、薪はいい。この辺に火を焚けそうな場所がねえんだ。どこもかしこも苔だらけでよ。うっかり焚き火なんかしたら、森中に燃え広がりそうだぜ」
「じゃあ、あの方法で?」
とフルートが聞き返すと、ゼンがにやっとします。
「そうだ。あの方法でいこうぜ」
最初に到着した場所に戻ると、そこでは元祖グル教の姉弟が待っていました。ゼンが下り立つと、弟が手にしていた鍋を突き出します。
「そら、言われた通り水を汲んできてやったぞ」
「まぁったく。よりによって水汲みだなんて。あたしたちをなんだと思ってるのかしら」
と姉のほうは口を尖らせています。
ゼンは憮然としました。
「なんだよ。おまえらの分の昼飯も作ってやるんだから文句言うなよ」
「食料ならちゃんと持ってきてるわよ。それに、どうやって料理するつもり? 見たところ、勇者のご一行様は薪も集められなかったんじゃないの?」
「集められなかったんじゃねえ。集めなかったんだ!」
とゼンは言い返しましたが、その後はもう何も言わなくなりました。ウサギをさばいて料理するほうに忙しくなってしまったのです。てきぱきと肉を切り分けると、野菜と一緒に鍋に放り込みます。内臓や骨は一足先に犬たちの昼食になります。
その様子を、元祖グル教の姉は不思議そうに眺めていました。
「火がなかったら料理なんかできないじゃない。あの子たち、どうするつもりかしら」
「あの女の子が魔法使いなんだ。魔法で料理するんだろう」
弟のほうは気のない返事です。
材料と調味料を鍋に入れたゼンが、体を起こして言いました。
「よし、準備はできた。頼むぞ」
「わかった」
と答えたのは、ポポロではなくフルートでした。皆が見守る目の前で、すらりと背中の剣を抜きます。黒い柄に赤い石がはめこまれた炎の剣です。
とたんにウィィィ……と大きな音が森に響き始めたので、フルートたちはびっくりしました。これまで聞いたこともなかった音です。木々の枝から鳥たちがいっせいに飛び立ちます。
苔むした岩に座っていた姉弟も飛び上がりました。フルートたち以上に驚いた顔で剣を見て言います。
「それは!?」
「アーラーンが騒いでいるわよ! その剣の正体は何!?」
「何って、炎の剣だよ。フルートの剣さ」
とメールが答えると、いきなり音が止まりました。森の中が前と同じように、しんと静かになります。
フルートたちは顔を見合わせました。
「なんだ、今の?」
「どこから聞こえてくるのかわからなかった。何の音だったんだろう?」
「ワン、アーラーンが騒いでるって言いましたか? 確かアーラーンってグル教の神様の名前でしたよね?」
とポチが尋ねると、弟の灰鼠が顔をしかめました。
「元祖グル教と言えってば。そう、ぼくたちの火の神の名前だよ」
「アーラーンは大きな火の力を感じると、あんなふうに叫ぶことがあるの。金の石の勇者が火の魔剣を持ってるって話は聞いていたけど、それがそうなのね。ものすごい威力があるようね――あなたたちには不相応なくらいに」
と姉の銀鼠も言いました。最後のひと言はあからさまな皮肉です。
ゼンはまた、むっとした顔になりました。
「アーラーンだか、あーらそう、だか知らねえが、料理の邪魔をするんじゃねえ! いいからさっさとやってくれ、フルート」
「うん」
フルートは剣を両手で握り直しました。地面に直に置かれた鍋の前に立つと、刃を下に向けます。
元祖グル教の姉弟は目を丸くしました。
「あんたたち、何をするつもり?」
「まさか――」
フルートは剣をちょっと引き上げると、そのまま鍋の中に突き立てました。具材と水がなみなみと入った鍋です。
すると、剣の刀身のまわりで、ふつふつと泡が沸き始めました。じきに泡は鍋全体に広がり、ぐらぐらと沸騰を始めます。
姉弟の魔法使いは叫びました。
「火の魔剣で料理してるわけ!? そんな馬鹿な!」
「聖なる火でなんてことをするんだよ!?」
「なぁに言ってんだ。火ってのは料理したり暖を取ったりするのに使うもんだぞ。使い方としては全然間違ってねえだろうが」
とゼンは言い返し、すぐにフルートに言いました。
「よし、もういいだろう。炎の剣は火力が強くて、このままだと全部蒸発しちまうからな」
「ちゃんと火は通ったかな?」
と言いながらフルートは鍋から剣を引き抜きました。しずくも一瞬で乾いたので、すぐに鞘に収めます。
「ああ、いい匂い」
「火が焚けないときにはこれに限るよねぇ」
とポポロとメールは笑顔で鍋をのぞき込みました。ゼンが味見をして、塩と香草を加えます。
「嘘でしょ……火神アーラーンが敬意を表して声を出すほどの魔剣だって言うのに」
「こいつら、なんて罰当たりなことをするんだ」
銀鼠と灰鼠の姉弟は、勇者の一行にあきれたり怒ったりしていました――。