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第23巻「猿神グルの戦い」

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第1章 予兆

1.忘れ物

 朝の日差しが降りそそぐロムド城の前庭に、大勢の人々が立っていました。

 銀の鎧兜のロムド兵は城の入り口と正門を結ぶ通路に沿ってずらりと整列していますが、それ以外の人々は城に近い場所に三々五々集まっています。

「いい天気だな。雲ひとつねえぞ」

 とゼンが夏空に目を細めると、メールも空を見上げてて言いました。

「今日も暑くなりそうだよね。こんな中を旅するのって、しんどいんじゃないのかなぁ」

「そうよね。メイ女王は病み上がりなんだから、もっと気候が良くなってから国に戻ればいいのに」

 と足元からルルが言ったので、フルートが答えました。

「メイ女王はいつまでも国や城を留守にしておくのが心配なんだよ。セイロスに城を乗っ取られた上に、操られてとんでもない命令ばかり出してきたから、メイの中は今も混乱しているはずだからな」

「メイ女王とハロルド王子が戻ったら、城の混乱も収まるかしら……?」

 ポポロが心配顔になったので、ポチは尻尾を振ってみせました。

「ワン、大丈夫ですよ。メイ城には女王とロムド王が事情を知らせる手紙を書き送ったし、先に戻ったメイ軍が、ちゃんと話してくれてるはずですからね。あとはメイ女王が城に戻れば、きっとメイは元通りですよ」

 

 そんなやりとりをしているのが、金の石の勇者の一行でした。

 リーダーは聖なる金の石から勇者に選ばれたフルート、サブリーダーはドワーフと人間の血を引くゼン、それに、海の王と森の姫を両親に持つメール、天空の国の魔法使いのポポロ、天空の国の犬のルルに、やはり天空の国の犬の血が混じっているポチ、というメンバーです。

 勇者になった頃にはまだ子どもだった彼らも、旅と戦いを続ける間に成長して、今では最年長のルルが十七歳、フルートとゼンとメールが十六歳、ポポロが十五歳、一番年下のポチでさえ十三歳になっていました。大半がもう子どもとは呼べない歳ですが、だからといって青年と言い切るのにもちょっとためらわれる、微妙な年頃です。実際、彼らは人や場面によって大人扱いされたり、少年少女と呼ばれて子ども扱いされたりしていました。

 ただ、彼らは闇の竜から世界を守る勇者たちでした。歳はまだ若くても経験のほうは充分です。つい半月前にも、隣国メイから軍隊を率いてロムド国に攻め込んだセイロスを、激戦の末に撃退していました。

 今日は、戦いの後ロムド城で静養していたメイ女王が、皇太子のハロルド王子と共にメイへ帰る日でした。女王の出発を見送るために、城の主だった人々が見送りに集まっていたのです。

 王の見送りは正装が礼儀だったので、フルートは金の鎧兜を身につけ、ゼンも青い胸当てをつけて、戦姿(いくさすがた)になっていました。メールは花柄のシャツとうろこ模様の半ズボンの上に薄いショールをはおり、ポポロは星の光をちりばめた黒い長衣姿になっています。ルルやポチは犬なのでいつもと同じ格好ですが、毛並みを櫛(くし)で綺麗にすいてもらっていました。それが彼らの正装だったのです。

 

 勇者の一行よりもっと城に近い場所には、ロムド王が家臣たちと一緒に立っていました。ロムド王は銀の髪とひげの老人ですが、姿勢も表情も若々しく、家臣たちと話す声にも張りがありました。

「メイ女王が出発を知らせてきてから、すでに一時間が過ぎているが、女王はまだ出てくる気配がない。我々は早く来すぎたのかもしれんな」

「どの国であっても、女性はお支度に時間がかかりますからね」

 やんわりと応えたのは、宰相のリーンズでした。ロムド王に昔から従ってきた腹心で、王より少し年下なのですが、王が若々しいので、宰相のほうが年配に見えてしまっています。

「だが、あのメイ女王は化粧などに時間をかけるようには見えませんぞ。何事かあったのではないでしょうな」

 と腕組みしたのは、濃紺の鎧を着たワルラ将軍でした。ロムド軍の総責任者で、やはりロムド王に昔から使えてきた老将軍です。女王の様子を見るために、城の中に部下を送るべきかどうか迷っていると、ロムド王が言いました。

「女王の元にはオリバンとセシルが行っている。何かあれば、知らせがくるだろう」

 王が落ち着き払っているので、待たされている人々も辛抱強く女王が出てくるのを待ち続けます。

 ただ、王の後ろに立っていた灰色の長衣の青年だけは、城の入り口ではなく、城そのものを見上げていました。まぶかにかぶったフードの下からは、輝く長い銀髪がのぞいています。城の一番占者のユギルです。

 隣にいたゴーリスがそれに気づいて話しかけました。

「どうかしたのか?」

 こちらは王の側近の大貴族なのですが、黒ずくめの服に半白の黒髪、黒いひげ面、腰には大剣をさげているので、貴族というより剣士と呼ぶほうがふさわしく見えます。

「いえ」

 とユギルは答えましたが、その色違いの瞳は、何かを見透かすように城を見上げ続けていました。

 メイ女王はまだ城から出てきません――。

 

 すると、城の中から一組の男女が出てきました。男性は見上げるように大きな体の美丈夫、女性も長身の絶世の美女ですが、男物の服を着て腰にレイピアをさげています。ロムド皇太子のオリバンと、婚約者でメイの王女のセシルでした。セシルが先に走り出て、ロムド王の前にひざをつきます。

「このような場所に長らくお待たせして申しわけございません、陛下。義母上たちの出発の時刻は過ぎているのですが、若干の忘れ物をしたために、準備に手間取っております。大変おそれいりますが、もう少しだけ、お待ちいただけますでしょうか」

「忘れ物?」

 とロムド王は怪訝(けげん)そうな顔になりましたが、セシルが緊張しながらひざまずいているのを見ると、すぐに言いました。

「出発を急ぐあまり忘れ物をさせてしまっては、大変申し訳ないことだ。メイ女王には心残りのないよう、しっかり準備をしてもらおう。幸い戸外にいるのにも気持ちの良い朝だ。こんな一日の始まりも悪くはない」

 すると、リーンズ宰相がすかさず言いました。

「お待ちの間に咽がお渇きになったのではございませんか。冷たい香茶を運ばせますので、それで一息入れてはいかがでしょう」

「それは名案だ。皆で朝の茶会をすることにしよう」

 とロムド王が言ったので、集まった人々もたちまち笑顔になりました。お茶が配られるのを待ちながら、そこここで雑談が始まります。

 

 フルートたちもまたおしゃべりを始めていました。

「メイ女王は何を忘れていたんだろう?」

「ワン、というか、女王に忘れ物するようなものってありましたっけ? ほとんど着の身着のままでメイ城から連れてきたのに」

「そうね……忘れるものなんてないはずだわ」

「案外、便所が長引いてるだけじゃねえのか?」

「やぁね、ゼンったら! なんてこと言うのよ!」

「ゼンじゃないんだからさ、失礼なことを言うんじゃないよ!」

「なんだよ。女王だって便所くらい行くはずだぞ」

「メイ女王は女性なんだから、そんなことを言わないでって言ってるのよ――!!」

 勇者の一行がいるあたりは特に賑やかです。

 すると、いつの間にかオリバンが彼らのすぐそばに来ていました。大きな体を折り曲げるようにかがめて、ささやいてきます。

「私と一緒に来い。メイ女王がおまえたちを呼んでいる」

 え? と一行は驚きましたが、オリバンが返事も待たずに城へ歩き出したので、あわてて呼び止めました。

「おい、待てよ、オリバン!」

「メイ女王があたいたちに何の用事――」

 とたんにフルートが仲間たちの話をさえぎりました。

「黙っていこう。内密の呼び出しなんだ」

 えぇ? といっそう驚いた仲間たちへ、フルートは続けました。

「わからないのか? メイ女王はこのために出発を遅らせたんだよ。女王の忘れ物はぼくたちだったんだ」

 周囲の人々に聞こえないように、フルートは声を潜めています。

 仲間たちは思わず顔を見合わせました。いったい何の用事だろう、と誰もが考えますが、オリバンもフルートもどんどん先へ歩いて行くので、急いで後を追いかけました。全員で城の中へ入っていきます。

 そんな様子を、ロムド王とリーンズ宰相とユギルの三人が、ひそかに見送っていました――。

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