ミコン山脈の南側に広がる大国サータマン――。
高原に建つサータマン城では、暗い地下室に火を焚いて、怪しげな儀式の真っ最中でした。黒い衣を着た男が火の前に立ち、幾種類もの香料や香木を炎の中に投げ込み、立ち上る煙へ呪文を唱えています。
火の向こうの床には大きな円が描かれ、内側に五十人近い人々が集められていました。男が多いのですが、女や子どもも交じっていて、逃げ出せないように鎖で縛られ、目隠しと猿ぐつわをされています。
一方、地下室の入り口に近い場所には金と黒檀(こくたん)でできた椅子があって、初老の男が太った体を押し込むように座っていました。立派な服に黒豹のマントをはおり、指という指には大きな宝石の指輪をはめ、豪華な宝冠をかぶっています。この国に君臨するサータマン王です。
王は先ほどからずっと儀式を眺めていましたが、急に肘置きをたたくと、横の家臣に言いました。
「すでに小一時間がたつのに、まだ現れんぞ。失敗したのか?」
王の声が不機嫌になり始めていたので、家臣はあわてて答えました。
「大がかりな術には時間がかかる、と術師は申しておりました。今しばらくお待ちくださいますように、陛下」
ところが、王はいっそう不機嫌になりました。
「力のない者ほど、もったいをつけるものだ。わしは実力のある闇魔法使いを招け、と命じたはずだぞ。格好ばかりの儀式につきあっている暇はない」
サータマン王の声は周囲にも聞こえていました。術師が呪文を途中で止めて、じろりと王を振り向きます。
「この国に、私より強力な闇魔法の使い手はおりません。私で不満ならば、他をお探しください、陛下」
口調は丁寧でも、明らかに腹を立てています。
王も鋭く言い返しました。
「幸運で成り上がった奴が偉そうにぬかしおるな。イール・ダリがロムドで敗れなければ、おまえは永遠に二番手だったのだぞ。無能な者はわしには必要ない。できぬならできぬと言って、さっさと立ち去るがいい」
術師は怒りで顔を赤くしました。火にかざしていた手をさっと王に向けて闇魔法をくり出します。
ドン!
魔法は王のはるか手前で爆発して、地下室に光と風を巻き起こしました。サータマン王の周囲に控える魔法僧侶たちが、とっさに術師の魔法を防いだのです。炎が風にあおられて大きく揺れ、円の中に集められた人々が声にならない悲鳴を上げます。
王を攻撃されて、控えていた衛兵たちが飛び出してきました。術師がまた闇魔法を使おうとしたので、魔法僧侶たちは王の周囲に障壁を張ります。地下室が一触即発の状態になります――。
ところが、そこへ声が聞こえてきました。
「私を呼ぶのは何者かと思えば、おまえか、サータマン王」
まだ若い男の声ですが、声の主の姿は見当たりません。
「捕まえた!」
と闇魔法の術師は叫ぶと、争いも忘れて火に向き直りました。また香木を炎に投げ込んで呪文を唱え始めます。
衛兵と魔法僧侶たちは立ち止まってそれを見守りました。サータマン王は椅子から身を乗り出します。
「ようやく来たか。待ちかねたぞ──」
呪文の声が大きくなると、燃える炎も大きくなって、地下室の天井を焦がすほどになりました。術師は炎へ両手を突きつけて言いました。
「地獄の業火(ごうか)よ、王の待ち人をここへ招け!!」
ゴゴゴゥ……
炎は音を立てて渦巻くと、向きを変えて床へ下り、そこに描かれていた円に沿って燃え広がりました。あっという間に、目隠しされた人々を取り囲み、火の輪を縮め始めます。人々は音と熱気に驚いて逃げだそうとしましたが、鎖で縛られているので動くことができませんでした。猿ぐつわの下で悲鳴を上げながら火に追い詰められていきます。
すると、炎の中から黒い光がわき上がりました。火の輪に沿って広がり、上にも広がって、燃える人々を光の中に呑み込んでいきます。
術師は笑い出しました。
「ははは、見ろ! 私にも招けたではないか! そうだとも! 私は国一番の闇魔法使いだからな――!」
人々を呑んだ光はますます大きくなり、闇の術師を黒く照らしました。術師の笑い声が次第に甲高く、調子外れになっていきます。
「わはははは……ははははハ……ハぁはははハハ……!!」
人々は思わず目を見張りました。術師が笑いながらその場で崩れ出したからです。人の形を失って黒い塊になり、床の上に落ちて泥のような山を作りますが、それでも高笑いは止まりません。
「アぁハハハ……ヒぁハァハハハハ……ワァはハハァァ……!!!」
泥から聞こえる笑い声は、苦しい息づかいのようにも聞こえます。
異様さに眉をひそめたサータマン王に、魔法僧侶が言いました。
「あそこからさしてくるのは闇の光です。闇魔法使いの体は闇に近いので、大量の闇を体内に取り込んで、人の形を失ってしまったのです。おどろと呼ばれる怪物で、かのイール・ダリもロムド城であれに変わったと聞いております」
「人の限界を超える闇の光か」
とサータマン王は目を細めて黒い光を見つめました。その中心から何かが現れようとしていたのです。
すると、光は急に収縮を始めました。細い柱のように円の中央に寄り集まっていったのです。光が去った場所から目隠しの人々は消えていました。光の柱もすぐに低くなっていきます。
と、そこから長いものが鞭(むち)のように飛び出して、笑っているおどろを突き刺しました。おどろになった術師は、キィィ、と鋭く叫ぶと、鞭に吸い取られるように消えていきました。後には何も残りません。
代わりに円の中心にはっきり姿を現したのは、紫の鎧を身につけた長い黒髪の青年でした。腰には大剣をさげ、片腕に紫の兜を抱えています。顔立ちは整って凜々しいのですが、瞳は血そのものの色をしていました。居合わせた人々がいっそう後ずさります。
けれども、サータマン王は逆に椅子から身を乗り出しました。
「そなたはデビルドラゴンだな!? そうなのだな!?」
青年は血の瞳をつまらなそうに王に向けました。
「おまえは闇魔法でそれを呼び出したのだろう? 何を疑っている。それより、もう少しましな魔法使いを使え。生贄(いけにえ)の数も少なかったから、ここに出てくるのに手間取ったぞ」
王は手を打って歓声を上げました。
「ようやくわしの元へ来たな、闇の竜! 待ち疲れたぞ! だが、生贄が少なかったとは申し訳なかった。あのいまいましい異教徒どもを使ったのだが、負け戦が続いたために捕虜が少なかったのだ」
ふん、と青年は笑いました。
「私は今はセイロスだ。おまえたちもその名で呼べ」
「かつてロムド国の場所にあったという、要(かなめ)の国の皇太子の名前だな。それがそなたの正体だったのだろう、デビルドラゴン」
と王は言いました。おまえのことは調べ上げてあるのだぞ、と言外に伝えています。
セイロスは、ふふん、とまた笑いました。凜々しい笑顔ですが、その陰にはぞっとするような暗さと残忍さが潜んでいます。
「それで、私をここに呼びつけて何の相談だ、サータマン王。面白い話ならば聞いてやろう」
王も、にやりとしました。こちらの笑顔にも腹黒さが潜んでいます。
「わしの元へ来るだろうと思って待っていたのに、いっこうに現れないから、こちらから招待状を出したのだ。メイ国などを使ったりするから敗れたのだぞ。そなたがまだ影の竜だった頃から協力してきたのは我が国だ。そなたの野望を実現するために、今回も我が軍を貸そうではないか」
「そちらの条件は?」
とセイロスは単刀直入に聞き返しました。
「大陸の南半分と、ロムド十四世の首!」
とサータマン王も即答しました。恨み重なるロムド王の名前には、ことさら力がこもります。
セイロスはまた笑うと、尊大に言いました。
「よかろう。私に力を貸せ、サータマン王」
その瞳がみるみる黒く変わっていきました。普通の人間と区別できなくなってしまいます。
王はまた手を打ち合わせて喜びました。セイロスを城の中へ案内しようと、椅子から立ち上がります。
すると、セイロスが言いました。
「待て、まだ供が到着していない」
「供?」
「私の部下たちだ。来い!」
セイロスが手を振ると、ごぅっと地下室に風が巻き起こり、風がほどけた後に二人の人物が現れました。二本角の兜をかぶった金髪の青年と、白い服を着た幽霊の青年です。二人とも驚いたように周囲を見回します。
「ここはどこだ!?」
「あぁらら。セイロスくんが急に姿を消したと思ったら、ここってもしかしたらサータマンのお城じゃないのぉ?」
「今度はここが我々の拠点だ。ついてこい」
セイロスは最低限の説明だけでさっさと歩き出しました。サータマン王が先に立って歩き出したからです。セイロスの後ろで金茶色のマントがひるがえります。
人になった闇の竜は、こうして野心家の王の城に現れたのでした――。