ガタンの東の入り口から西へ駆け戻りながら、チャストは悔しさに歯ぎしりを続けていました。度重なる失敗に、これはいったいどういうことだ、と考えます。
これまでチャストは十数年にわたって、メイ国王軍の軍師として戦闘の指揮をとってきました。出動したのはサータマン相手の戦いがほとんどでしたが、敵の動きと考えを読み、地の利を読んで、相手の作戦をことごとく討ち破ってきたのです。
どんなに強大な国でも、戦場で戦っている兵士や指揮官は人間です。自分たちの作戦が片端から破られると、新しい作戦を考えついても、「これもまた破られてしまうのでは？」と考えてしまいます。迷いの出た作戦はどうしても動きが鈍るので、さらに討ち破りやすくなります。そうして、敵はますます士気が下がることになり、最後には「とてもかなわない」と考えて、適当なところで停戦条約を結ぶようになるのです。
今、その敗者の立場に立たされているのは、チャストたちのほうでした。思い通りにならない戦いの連続に、兵士たちの士気は下がり、疑いの念を持ち始めていました。この戦いは本当に自分たちが正しいのだろうか。ロムドに攻めてきてよかったのだろうか……。兵士たちの胸の中は、そんな不安でいっぱいになっているのです。その結果が、マヒド候の造反でした。このままでは、もっと多くのメイ兵がロムド側に寝返ってしまうかもしれません。
「なんとかしなくては……」
とチャストは考え続けました。兵士たちは勝てる指揮官にしか従いません。負け続けの流れを止め、どうにかして敵と味方の双方に勝ってみせなくてはならないのです。
ただ、チャストはさすがに並の人間ではありませんでした。この状況でもまだ、焦ることなく戦況を分析して、作戦をたてようとしていました。今は作戦のために一旦撤退しているだけだ、と自分に言い聞かせて冷静さを取り戻します。
街の西側に戻ってみると、セイロスたちはまだ攻撃を続けていました。入り口の門は魔弾が当たるたびに揺れ動きますが、まだ破られてはいません。
チャストは鋭い目でその光景を眺めました。
「やはりおかしい……。奴の正体はデビルドラゴンだ。いくら魔法軍団が力を合わせて守っていても、これほど手こずるはずはない。しかも、まだ金の石の勇者は出てきていないのだから、願い石を警戒するときでもない。何故、力を出し惜しみしている？ そんなことをして、なんの得があるというんだ――？」
チャストは敵ではなく味方のセイロスについて考えを巡らしていました。作戦をたてるために、まず自軍の戦闘力から見直しを始めたのです。やがて、唐突にあることに気がついて、まさか、とつぶやきます。
「力を出し惜しみしているのではなく、力を発揮できずにいるのか、セイロス？ おまえはデビルドラゴンが人となってこの世によみがえってきた存在だ。それなのに、デビルドラゴンの力すべてを使えるわけではない、ということなのか……？」
軍師の頭の中を、様々な情報と思考が駆け巡っていきました。これまでのセイロスの戦い方やその様子、セイロスが話したことや、これまでデビルドラゴンについて聞いた話などを可能な限り思い出し、常人には真似できない速度で精査、分析していきます。
その結果たどり着いたのは、先ほどひらめいた可能性と同じ結論でした。
「やはりセイロスはデビルドラゴンの力を完全には発揮できずにいる。だから、ロムドの魔法軍団にも力負けしているんだ。だが、何故だ――？」
疑問はさらに深まります。
すると、チャストはまた唐突にメイ女王の話を思い出しました。一ヶ月前、他の国々と同盟を結び直すようハロルド王子と進言に行って、女王から聞かされた、大昔の戦いの言い伝えです。
「セイロスが願い石に負けてデビルドラゴンとなったとき、残された光の軍勢は一計を案じ、奴の力の一部を封じ込めた宝を奪って、取り戻しに来た奴を捕らえることに成功した――とあったらしい。エミリアたちはその竜の宝をセイロス自身のことと解釈しておったが、それは矛盾じゃ。セイロスはデビルドラゴン自身であるのだから、奴の力の一部などであるはずはない。奴の力の一部を封じ込めた宝は、今も奴とは別の場所にあるのじゃ」
メイ女王はその宝を願い石だと考え、竜の宝を持つフルートもデビルドラゴンになって世界の敵に回るだろう、と予想していましたが、チャストにはそうは思えませんでした。フルートという二代目の金の石の勇者は、あまりにも無私無欲で、闇に転じるような隙などないように思えるのです。
そうであれば、竜の宝は今もまだ世界のどこかに隠されていることになります。デビルドラゴンの力の一部を封じ込めたまま……。
「だからなのか？」
とチャストはまたつぶやきました。
「だから、おまえは力を発揮しきれずにいるのか？ では……」
チャストはさらにもうしばらく考えを巡らしてから、おもむろに馬を走らせました。魔法攻撃を続けるセイロスに後ろから近づき、声をかけます。
「話がございます、セイロス様」
「なんだ。橋が完成したか」
とセイロスは魔弾を撃ち出しながら答えました。何時間にもわたって魔法攻撃を続けているのに、息ひとつ乱していません。どぉん、と魔弾がまた街の門に激突して、門の周りから砂煙が上がります。
チャストは声を低め、セイロスだけに聞こえるように言いました。
「その件ではありません。あなたの力の一部を封じたという、竜の宝のことについてです――」
とたんに周囲から音がなくなりました。
敵味方の叫び声、味方の部隊長が攻撃継続を命じる声、矢が弓を離れる音、頭上で敵の魔法が炸裂する音、火花がぱちぱちと降ってくる音……様々な喧噪に充ちていた戦場から、突然すべての音が消えてしまったのです。
戦場の風景は今も周囲に広がっていますが、チャストには音がまるで聞こえてきません。そんな彼をセイロスが振り向いて、じっと見つめていました。ゆっくりと聞き返してきます。
「なんの話がしたいと言った、軍師。もう一度言ってみろ」
チャストは背筋がぞぉっと冷たくなりました。セイロスの声は研ぎ澄ました刃のような鋭さだったのです。セイロスのまなざしも、視線でチャストを貫いてしまおうとするようです。声も視線もこれまでにないほど冷ややかなのに、同時にとてつもなく熱いものをはらんでいて、剣呑（けんのん）なことこのうえありません。
どうやら竜の尾を踏んでしまったらしい、とチャストは考えましたが、ここで引き下がるわけにはいきませんでした。冷や汗が背中を流れていくのを感じながら答えます。
「勇者たちが探していた竜の宝の件です。それはあなたの力の一部を封じたものであったはずです。それがないために、あなたは――」
そのとたん、ばりばりっと雷が空を割くような音が響いたので、軍師は思わず飛び上がってしまいました。黒い稲妻がセイロスの周囲に広がったのが、はっきり見えたのです。それは四枚の黒い翼のようにも見えました。
「勇者たちが探していただと！？ フルートたちがその存在を知っていたというのか！？」
ガラガラガラ！！！
今度は落雷の音が響き渡り、頭上からチャストの足元へいくつもの魔弾が降ってきました。一歩でも動けば直撃されそうで、チャストは立ちすくみました。このままセイロスに殺されるのではないかと恐ろしくなりますが、同時に、頭の別な場所は冷静に思考を続けていました。セイロスはフルートたちが竜の宝を探していたことを知らなかったのか……と考えていたのです。竜の宝とはいったい何なのだろう、とも考えます。
すると、セイロスが、ずいと迫ってきました。セイロスはチャストよりずっと背が高いので、おおいかぶさるように顔を近づけて言います。
「連中は確かにずっと何かを探していた。そのために世界中を旅していたのだ。だが、連中は何故それを知ったのだ。話せ！」
セイロスの声には魔力がありました。立ちすくんで声も出せずにいたチャストの口が、自分の意思に関係なくすらすらと話し始めます。
「彼らはデビルドラゴンを退治する方法を探し求めて世界中を回り、ユラサイ国に言い伝えられていた古い戦いの記録に行き当たったそうです。それは二千年前の光と闇の戦いに関する言い伝えで、デビルドラゴンになったあなたから、力の一部を封じ込めた宝を奪って捕らえたいきさつが書かれていた、とメイ女王は話していました。ただ、勇者の一行もその宝の正体についてはまだ知りません。この世界によみがえったあなたを、竜の宝だと解釈しているのです」
セイロスはすぐには何も言いませんでした。チャストを見下ろしたまま、兜の上から顎に指を当てて、考えるような表情になります。
やがて再び口を開いたとき、セイロスの声からは刃物のような鋭さが消えていました。
「私が竜の宝か――よく見抜いたものだ。連中にしては上出来と誉めてやろう。だが、それだけのことだ。私は人間であったために、光の敵によって闇の竜から引き離され、世界の最果てに幽閉されてしまった。その私を言い伝えは竜の宝と象徴したのだ」
これまでの激怒ぶりとはうって変わった落ち着きぶりですが、チャストはそれを嘘と見抜きました。竜の宝の話題を出しただけで、あれほど怒った理由がわからないからです。セイロスは竜の宝などではない。彼の力の一部を封じ込めた竜の宝は、今も世界のどこか別な場所にあるのだ、と確信します。
その表情に、セイロスの声が再び鋭くなりました。
「何を期待している、軍師。私が力を失って弱体化しているとでも思っているのか。そうではない。私は自分のものになる街を少しでも傷つけまいとしているだけなのだ。だが、それにもいいかげん飽きてきた。おまえの作戦もいつまでたっても実現しそうにないのだから、このあたりで一気にたたみかけることにしよう――」
とたんに、チャストの周囲に再び音が戻ってきました。
わぁわぁと兵士たちが叫び、矢が飛び、魔法が炸裂する音が響き始めます。
そして、気がつくと、チャストの目の前からセイロスは消えていました。先ほどからずっとそうしていたというように、街の門へ魔法攻撃を続けています。
すると、ギーがチャストに話しかけてきました。
「どうした、軍師。さっきからそんなところにひとりで突っ立って。ぼぉっとしていると流れ矢に当たるぞ」
そのことばで、チャストは自分がセイロスの魔法の中にいたことを悟りました。セイロス自身は攻撃を続けながら、同時にチャストに話しかけていたのです。
「確かにすごい魔力だ。だが……」
それがデビルドラゴンの全力かどうか確かめるように、チャストはセイロスの後ろ姿を見つめてしまいました。
