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第22巻「二人の軍師の戦い」

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第32章 ガタン攻防戦・3

94.裏口

 ガタンの街の西で、チャストはランジュールが戻ってくるのを待っていました。時間が過ぎるに従って、日が高く昇っていきますが、いくら待っても幽霊は偵察から帰ってきません。太陽が頭上にかかった頃、ついに軍師は舌打ちをしました。

「やはり奴はあてにならなかったか。内部の様子さえわかれば、有効な作戦も立てられたのだが」

 まさか敵が霊能力者を準備していたとは思わないので、ランジュールがいつもの気まぐれを起こして、どこかへ行ってしまったのだろう、と考えたのです。

 街の西の入り口では、今もまだセイロスとメイ軍が攻撃を続けていました。

 門には絶え間なく魔弾が飛び、街中には矢が撃ち込まれます。矢は撃ち尽くしてもセイロスの魔法で戻ってくるので、いつまでも際限なく射続けることができます。セイロス自身も、すでに三時間以上攻撃を続けていますが、威力はまったく衰えません。

 一方、街を守るロムドの魔法軍団には、疲れが見え始めていました。

 元祖グル教の姉弟は櫓の上から攻撃を続けていますが、降ってくる炎が小さくなっていました。彼らを守っていた浅黄色の老婆は、疲れ果ててしまったのか、別の魔法使いと交代しています。そして、セイロスの魔弾がぶつかるたびに、門や街壁が大きく揺れるようになっていました。光の魔法使いたちの守りが、繰り返される闇の攻撃に、そろそろほころびようとしているのです。

 

「今が好機だ」

 とチャストはつぶやき、改めて戦場を見渡しました。

 街の北と南では、水路を渡る橋が作られていますが、まだ完成してはいません。念のために後方も振り向きますが、そちらから敵の軍勢が押し寄せてくる気配もありません。

 チャストはついに決心しました。近くに控えさせていた小柄な兵士を呼ぶと、自分がはおっていたフード付きのマントを渡して言います。

「これを着てここに立っていろ。おまえは私だ。いいな」

 赤いフード付きのマントは、軍師チャストのトレードマークでした。チャストは自分と同じような背格好の兵士に、自分の身代わりを命じたのです。兵士が驚きながら受け取り、フードをかぶります。

 チャストは鎧姿になると、馬の向きを変えて後方へ走り出しました。軍師が前線を離脱したのですが、味方には気づかれませんでした。すぐに後方を警戒する五千騎の元にたどりついて、二人の部隊長を呼びつけます。

「マヒド候、タトラエ候、部下を率いて私と共に来い! ガタンを裏から攻めるぞ!」

 戦闘は今、セイロスがいる西側で非常に激しくなっています。守りも西に集中しているので、東は手薄になっているはず、と読んだのです。

 二人の部隊長はメイ軍の中でも戦歴が長い人物だったので、マントを着ていなくても軍師をすぐに見極めました。即座に自分の部下たちを率いてチャストに従います。総勢五百騎ほどの軍勢でした。

「あまり街に近づきすぎるな! 敵に見つからないようにしながら東へ回るんだ!」

 とチャストは走りながら言いました。東の入り口を突破して街に入ることができれば、敵陣を混乱させることができます。ロムドの魔法軍団を崩す絶好のチャンスだったのです。

 彼らは街の北側を大回りして東へ向かいました。間に低い丘をはさむと、戦闘の音がぐっと遠くなります。代わりに聞こえてきたのは、空の高い場所を飛ぶ鳶(とび)の声でした。夏空に輪を描きながら飛び回っています――。

 

 丘の横を駆け抜けて東に出ると、ガタンの街外れが行く手に見えていました。チャストはまっすぐ街の入り口には向かわずに、さらに東へ走りました。街のこちら側も水路で囲まれているので、まず川上で流れをさえぎろうとしたのです。街路樹が並ぶ街道をめざします。

 すると、街路樹の陰で動き出すものがありました。木陰から、水路沿いの茂みの中から、次々と銀の鎧兜の騎士が姿を現します。ロムド兵の集団です。

「やはりこちらにもいたな! だが、ごくわずかだ!」

 とチャストは言いました。現れたロムド兵は、たった四、五十人だったのです。五百騎からなるチャストたちの敵ではありません。メイ兵が馬上で剣を抜き、勢いよく切り込もうとします。

 ところが、ロムド兵に続いて、もう一団の騎士たちが出てきました。こちらは白い鎧兜で身を包み、揃いの赤いマントをはおっています。チャストたちは驚いて、思わず手綱を引いてしまいました。赤いマントにはメイ国の紋章が染め抜かれていたのです。

 その間に、白い騎士たちはロムド兵とメイ軍の間に並びました。メイ軍の行く手をさえぎり、ロムド兵たちを守るような形に展開します。

「おまえたちはナージャの女騎士団か!? 何故こんなところにいる!?」

 とチャストは尋ねました。彼女たちはハロルド王子の護衛になって、王子と共にロムド城へ向かったのです。日数から考えて、ようやく城にたどりついた頃のはずでした。城からはるか西のこんな場所にいる理由がわかりません。

 すると、大柄な女騎士が兜の面おおいを引き上げました。浅黒い肌に黒い瞳の顔が現れて、チャストを見返します。

「これは軍師殿! こんな場所でお目にかかれるとは奇遇ですね! あなたのご指示どおり、ハロルド殿下はロムド城に無事に到着されました! 我々女騎士は、西部へ戻ってメイ軍の暴走からロムド国を守るように、と殿下からご命令を受けたのです!」

 軍師に報告するタニラの声には皮肉な響きがありました。チャストの裏切りを知っているのです。

 チャストは顔をしかめて、目の前の敵を眺めました。ロムド兵が五十名に、ナージャの女騎士たちが五十名。合わせても百名なので、人数ではチャストたちのほうがはるかに多いのですが、同じメイ軍の女騎士団が敵に回っているのがやっかいでした。何故なら――。

 

 チャストの後ろから急に声が上がりました。

「おまえもそこにいるのか、アンジェリカ!?」

 メイ軍の部隊長のマヒド候が、女騎士団に呼びかけたのです。

 すぐに、女騎士のひとりが進み出てきて、面おおいを上げました。赤毛に青い目の若い女性ですが、凜々しい口調で答えます。

「ここにいるわ、父上! あたしたちはいつも隊長を守るために存在しているのだもの!」

「隊長だと!?」

 マヒド候とチャストは同時に聞き返してしまいました。ナージャの女騎士たちが隊長と呼ぶ人物は、一人しかいません。

 すると、女騎士たちの後ろから、もう一人の女騎士が現れました。全身白い鎧兜を着ているところは同じですが、マントは青い色をしていました。やはり面おおいを上げて、美しい顔をあらわにします。

「エミリア王女!!」

 とマヒド候とチャストはまた同時に言いました。セシルの別名です。

 セシルはゆっくりとメイ軍を見渡してから口を開きました。

「そこにいるのはメイ国の軍師チャストと、マヒド候が率いる第十七部隊、それにタトラエ候の第二十一部隊だな。なにゆえロムド国に攻め入った? ロムド国とメイ国は友好条約を結んだ同盟国だ。それを一方的に破って攻め込むとは、神にも許されない裏切り行為だぞ。メイはいつからそのような卑劣な国になったのだ?」

 なに!? とメイ兵たちはいっせいに色めき立ちました。セシルはメイ国の王女ですが、故国ではあまり良く思われてこなかったのです。メイ兵が武器を握ったので、女騎士団もいっせいに剣を握りました。その後ろではロムド兵も武器を抜こうとします。

 けれども、マヒド候がそれを抑えるように進み出てきました。娘のアンジェリカや女騎士たちに向かって言います。

「この国は以前は要の国と呼ばれていて、セイロス殿が受け継ぐはずの国だった! セイロス殿が国を取り戻す手助けをせよ、と女王陛下が我々にご命じになったのだ! 神の正義はセイロス殿や我々に共にある! おまえたち女騎士団も、メイの戦士の誇りがあるならば、ただちに我々と共に戦うのだ!」

 マヒド候は女騎士団に、自分たちのほうに加われ、と言っていましたが、女騎士は誰ひとり動こうとはしませんでした。セシルが皮肉な笑い顔になって言います。

「義母上が本当にそんな命令を下したと信じているのか? 普段あれほど慎重な義母上が、そんな理にかなわない無謀な戦いを命じたことを、不自然と疑う家臣はいなかったのか? セイロスはこの世によみがえってきた闇の魔法使いだぞ。母上を操って都合のよい命令を下すことも簡単にできるのだ」

 

「お黙りを、エミリア様!」

 とチャストは鋭くさえぎりました。目を光らせながらセシルをにらんで言います。

「それ以上、女王陛下を侮辱すれば、あなた様であっても容赦はいたしませんぞ。我らは陛下に忠誠を誓った兵士。陛下のご命令通り、セイロス様の王国を取り戻すのです」

 すると、セシルが言うより早く、アンジェリカが叫びました。

「女王陛下は捕らえられているのよ、父上! セイロスとチャスト殿に裏切られて!」

「しかも、チャスト殿はハロルド殿下まで暗殺なさろうとした! 我々は殿下を狙う刺客と戦って、殿下をロムド城まで送り届けたのだ!」

 とタニラも言いました。

 セシルがだめ押しのようにメイ兵に向かって言い放ちます。

「メイ国を裏切ったのは誰だ!? すべてを企み仕組んだのは何者だ!? メイの兵士はこの戦いを不自然と見抜けない愚か者ばかりか!?」

 鳶の声だけがする荒野で、セシルの声は敵味方の双方に響き渡りました。メイ軍の中から、ざわざわと潮騒のように話し声がわき上がってきます。それは不安と疑いの声でした。メイ兵たちも本当はこの戦いを妙だと感じながらやって来たのです。セシルの鋭いことばに、押し殺してきた疑念が表面に吹き出してきます。

「黙れ!」

 とチャストはまた叫び、メイ兵に命じました。

「あれはメイの戦士ではない! 王女と共にロムドに寝返った裏切り者だ! 女王陛下のために裏切り者を倒し、ロムドを解放して正しい王の下に戻せ!」

 それは事実上の攻撃命令でした。女騎士団とロムド軍がいっせいに剣を抜いて迎撃態勢になります。

 ところが、メイ軍は動きがばらばらでした。武器を抜く者、抜かない者、仲間の行動を確かめるように周囲を見回す兵士も大勢います。セシルの問いかけがメイ兵の中に動揺を引き起こしたのです。

 

 すると、マヒド候が馬の向きを変えました。チャストに向かって話し出します。

「軍師殿、エミリア様の話に、私はずっと抱えてきた疑問が腑(ふ)に落ちたのを感じています――。メイ城で我々に出動命令が下ったとき、女王陛下のご様子は尋常ではありませんでした。何かに取りつかれているようだ、と多くの者が感じましたが、軍師殿とセイロス殿にせかされ、軍師殿に対する信頼もあって、取るものも取りあえずここまで攻めてきたのです。ですが、軍師殿、エミリア様がおっしゃるとおり、これは本当に正義の戦いなのでしょうか? 何百年にもわたってこの国を治めてきた王を追放して、二千年も前の時代の人間を王に据えることが、本当に正しいことと言えるのでしょうか?」

「父上……」

 と女騎士のアンジェリカが感激したように言いました。メイ軍の動揺はますます大きくなっていきます。

 一緒に兵を率いてきたタトラエ候がマヒド候へ言いました。

「我らは主君の命に従って戦うのが役目だぞ! 卑しい王女の戯言(ざれごと)に丸め込まれて、陛下のご命令に逆らうというのか!?」

 こちらはセシルに反発していますが、マヒド候は首を振り返しました。

「これが正しい命令だと思えるか、タトラエ? それに、エミリア様がロムドに移った今もメイを故郷と大事に思ってくださっていることは、娘から聞いて知っている。私はエミリア様のことばのほうを信じよう――。第十七部隊よ、私に従え! 正義はこちらの側にあるのだ!」

 マヒド候の部隊の兵士たちはすぐに移動を始めました。マヒド候やセシルたちがいる側に立ちます。第十七部隊の兵士たちはおよそ三百。女騎士団やロムド兵と合わせると四百騎の集団になります。

 一方、チャストの陣営は二百騎ほどに減ってしまいました。人数が一気に逆転したのを見て、タトラエ候の部隊からもロムド側に移ろうとする兵士が出てきます。

 チャストは顔を歪めて歯ぎしりすると、戻るぞ! と撤退命令を出しました。駆け出したチャストの馬に従ったのは、タトラエ候とその部下の兵士たちだけでした。その彼らさえも、迷うようにマヒド候の部隊やセシルたちを振り向きながら走っていきます――。

 

 チャストたちの部隊が西へ駆け戻って見えなくなると、マヒド候は馬から下りて、セシルの馬の前にひざまずきました。

「エミリア様、今から我々メイ軍第十七部隊もロムドの守備につかせていただきます。女騎士団同様、我々にもご命令ください」

 セシルは馬の上からうなずき返しました。

「貴殿の正義と勇気に心から感謝する。私たちと一緒にロムドを守ってくれ。それがメイを守ることにもなる」

 マヒド候が頭を下げたところへ、アンジェリカが駆け寄ってきました。

「父上! 父上なら、きっとこうしてくださると信じてましたわ!」

 と父娘で手を取り合います。

 一方、セシルには後方から進み出たロムド軍の副隊長が話しかけました。

「まさか、メイの軍師が一戦も交えずに引いていくとは思いませんでした。我々は全員が討ち死に覚悟でいたのですが。ひとえにセシル様のおかげです」

 それを聞いてセシルは笑顔になりました。

「私ではない。私と女騎士団をここに配置したのはフルートだ。チャストが街の裏口を狙ったときに、同じメイの人間の我々ならばメイ軍を説得できる、と考えたのだろう。戦闘を避けるために――いかにも彼らしい作戦だな」

 そこへ副隊長のタニラも来て言いました。

「戻っていった部隊もかなり動揺しているように見えました。軍師殿やセイロスに対する疑念は、本隊に持ち込まれて広がっていくでしょう。軍師殿たちはいよいよ追い詰められてきました。この後、彼らがどう出るか」

 セシルは水路と石壁に囲まれたガタンの街を眺めました。街の中や西の入り口での戦闘は気になりますが、自分たちの持ち場を離れることはできません。

「チャストがもっと大勢を率いて再び攻めてくる可能性もある。我々は油断することなく、引き続き裏口の番をするぞ」

 とセシルは言うと、街の中にいるオリバンたちの無事をそっと祈りました――。

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