夜が明けて明るくなったガタンでは、いたるところで賑やかな槌音(つちおと)が響いていました。
未明に街を囲む水路を完成させた住人が、今度は矢の攻撃に備えて通りや広場に屋根をかけているのです。ロムド兵も住人と共に作業に取り組んでいます。
ガタンで大きな材木商を営んでいる主人が、広場の真ん中で声を張り上げていました。
「材木や板はうちに置いてあるのをありったけ使っていいからな! ロープや釘はクリークの店で出してるから、足りなくなったら言ってくれ!」
防御の進行具合を馬で見回っていたオリバンは、材木商の主人に近づいて話しかけました。
「店の商品をすべて提供してくれたのだな。大変だっただろう。感謝するぞ」
主人は皇太子から直々に声をかけられたので、感激に顔を赤くしながら答えました。
「いやいや、ご心配には及びません、殿下。我々商人は、こんなふうに国が戦になったら、必要な商品をすぐに放出することにしていたんです。しかも、商品の代金は、後でギルドを通じてもらえることになっています。ご存じでしょうか。ロレン・マーリスという東部のギルドの元締めが、西部のギルドにも呼びかけて、そういう取り決めにしたんです」
ああ、とオリバンは驚きながら納得しました。ロレン・マーリスというのは、フルートの祖父のことです。ロムド東部の大商人だった彼は、孫のフルートが金の石の勇者だと知ると、全財産を軍資金としてロムド王に寄付しただけでなく、国中のギルドに、経済面から戦争の支援するよう、呼びかけてくれました。その彼がこんなところでも力になってくれているのか……と感動します。
広場や街壁に近い通りには、周囲の建物から張り出す形で屋根がかけられていました。街壁の階段を登った上にも、壁と屋根がある立派な見張り所が作られていきます――。
一方、街中の井戸という井戸でも、たくさんの男たちが水汲みをしていました。街の中を流れる水路をせき止めてしまったので、井戸から水を汲むしかなかったのです。手桶にいっぱいになった水を運んでは、街のあちこちに設置された水桶に貯めていきます。水桶の正体は、馬に餌をやるための飼い葉桶や、家の中にあった風呂桶です。
屋根をかける作業ができない者は、みんな、この水運びの作業に携わっていました。ペックを始めとするシルの町の悪童たちも、重い水を何十杯となく運んでいます。全員汗みずくですが、他の大人たちに誉められ励まされているので、文句を言う者はいません。
そして、そんな街中に、料理のいい匂いが漂い始めていました。街に残った女たちが、作業をする男たちのために朝食を準備しているのです。
ガタンでは、街の住人も他の街から来た住人もロムド兵も、男も女も、皆が一丸となって戦闘に備えていました。人々の気持ちが、ますます一つになっていきます。
そこへ白の魔法使いが現れて、オリバンに報告しました。
「殿下、哨戒に出た部下から、メイ軍を率いたセイロスが移動を開始して再び街道に出た、と連絡がありました。あと二時間ほどでここに押し寄せると思われます」
「二時間か、間もなくだな。ポポロが魔法で出したロムド軍はどうなった?」
「朝が来たので消滅いたしました。敵の哨戒兵が見張っていましたが、軍勢は勇者殿のご命令に従って北へ走ったところで消えたので、幻とは気づかれなかったようです」
「そうか――。大軍が行方をくらませたから、フルートの狙い通り、敵は焦っているかもしれんな」
「敵はまっすぐこちらに向かっています。戦況は勇者殿の作戦通りに動いているようです」
と女神官は答え、さらに報告を続けました。
「それから、エスタ国でクアロー軍と戦っていた青から、今朝早く連絡が入りました。あちらもかなりの激戦になったようですが、キース殿の元にアリアンたちが駆けつけ、ワルラ将軍が率いる援軍も戦場に到着したので、昨日のうちにエスタとロムドの連合軍が勝利を収めたそうです。クアロー軍は離散。クアロー王とその側近のミカールという男も、戦場から少し離れた場所で遺体になって見つかりました。彼らは逃亡しようとして仲間割れを起こしたようです。青の部隊はこの後、ワルラ将軍たちと協力して、クアロー軍の残兵をエスタから追い払います。エスタの戦線はもう心配ないでしょう」
「ミカール……大砂漠で私やユギルを亡き者にしようとした男だな。仲間割れということは、クアロー王と同士討ちになったか。連中にふさわしい最期かもしれん」
とオリバンはうなずきました。気になる存在が一組減ったことは、実に喜ばしいことでした。
すると、そこに二人の魔法使いが現れました。一人は若葉色の長衣に銀の髪の娘、もう一人は赤錆色の長衣を着て全身を長い白い毛におおわれた大男です。娘のほうが言います。
「隊長から白様がお呼びだと聞いてまいりました。ご用でしょうか?」
「ウー?」
毛むくじゃらの男も尋ねるような声をあげます。赤の魔法使いの部下の二人です。
白の魔法使いは答えました。
「敵の軍勢が迫ってきている。勇者殿に指示されたとおり、最後の準備を整えなくてはならない」
「最後の準備?」
と言ったのは、魔法使いの二人ではなくオリバンでした。昨夜、フルートは何を言い残して出発しただろう、と考えます。
「勇者殿たちの身代わりを立てなくてはならないのです、殿下。勇者殿たちがガタンにいると見せておくように、というのが勇者殿の指示です」
と女神官は言うと、娘と大男に向き直りました。
「若葉はメール様に、赤錆はゼン殿に変身しろ。勇者殿たちがお戻りになるまで、変身を解いてはならない」
二人の魔法使いとオリバンは目を丸くしました。
「あたしはメール様のような花の魔法は使えませんが……。それにあたしも赤錆も変身はできません。あたしはただの精霊使いだし、赤錆はただの雪男です」
と娘が言うと、大男もウーウーとうなり声を上げました。やはり、自分にはとても無理だと言っているように聞こえます。
「二人には私が変身の魔法をかける。勇者殿たちの替え玉は、普通の人間には無理なのだ。敵の攻撃が集中するからな」
と女神官が言ったので、そういうことならば――と二人の魔法使いは承知しました。女神官が杖を振ると、たちまちメールとゼンがそこに現れます。メールは花柄のシャツにウロコ模様の半ズボンをはいて緑の髪を束ねているし、ゼンは青い胸当てをつけて大きな弓矢を背負っています。
「さすがは白の魔法使いだな。目の前で見ても偽物とはわからないぞ」
とオリバンが感心すると、ゼンがウーとうなりました。姿はそっくりになっても、ゼンのように話すことはできないのです。
「白様、勇者様とポポロ様には誰が変身することになるのですか?」
と娘が尋ねました。メールの姿になっていても、話し方はメールよりずっと丁寧です。
「ポポロ様には私がなる。戦闘中にポポロ様が魔法を使ってみせないと、敵に怪しまれるかもしれないからな」
と白の魔法使いが杖を振ると、今度は女神官が消えて小柄な黒衣の少女が現れました。赤い髪をお下げに結っていて、宝石のような緑の瞳をしています。
「まあ、本当にポポロ様と瓜二つです、白様!」
とメールに化けた娘は歓声を上げ、すぐに周囲を見回しました。
「そうなると、勇者殿に化けるのは赤の隊長なのですね? 隊長はどちらに?」
「いいや、赤は替え玉にはなれない。敵の軍師に姿を見られているから、赤がいないと不自然に思われるかもしれないからな」
と白の魔法使いは言いました。姿はポポロなのに口調は男ことばなので、どうも違和感があります。
「それじゃ、誰が? 灰鼠か銀鼠ですか? それとも、白様の部隊の誰かが?」
「ひょっとして、河童がフルートになるというのか?」
とオリバンも言い、訛がきつい河童がフルートをやっても大丈夫なのだろうか、とひそかに心配しました。「おらは金の石の勇者のフルートだで」などと言えば、一発で正体がばれてしまいそうです。
ところが、白の魔法使いはポポロの姿で首を振りました。
「いいえ、殿下。勇者殿はもっと適任の方にやっていただきます。なにしろ、勇者殿は全軍に命令を下す総司令官ですから」
宝石のような瞳で、にっこりとほほえまれて、オリバンは面食らいました。彼女がそれ以上話そうとしないので、腕組みしてしばらく考えてから言います。
「ひょっとして……フルートになるのは、この私なのか?」
「左様です」
とポポロの顔がまたほほえみます。
メールになった娘は、ぱんと手を打ち合わせました。
「殿下が勇者殿というのはぴったりですわ! ねえ、赤錆――じゃない、ゼン。だって、殿下はまだ敵に一度も姿を見られていないんですもの」
ウンウン、とゼンになった雪男がうなずきます。
「もちろん、いつも私がおそばにいて、殿下をお守りいたします。よろしゅうございますね、殿下?」
と白の魔法使いに言われて、オリバンは渋々うなずきました。彼女がまた杖を振ると、大柄な皇太子は金の鎧兜を着て二本の剣を背負ったフルートに変わります。
苦虫をかみつぶしたような顔つきで自分の姿を見回したオリバンは、溜息をついてつぶやきました。
「この体ではろくに戦えんな。敵と直接対決したりしないことを祈るしかない……」
東の空に上った太陽が、街壁を越えて家々の屋根を照らし始めました。街の真ん中に建つ教会の鐘楼(しょうろう)が、朝日に金色に輝いています。
その間もセイロスが率いる軍勢は、ガタンに向かって進軍してきます。
後に歴史に残るガタンの攻防戦は、間もなく戦いの火ぶたが切られようとしていました――。