「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第22巻「二人の軍師の戦い」

前のページ

86.朝日

 ロムド国の西部でも夜は明け始めていました。

 メイ国では雨が降り出していましたが、山脈を越えたロムドでは雨の気配はまったくありません。ただ、ひんやりとした朝の空気が、西の街道に漂っています。

 街道横では、かがり火を焚いて、大勢のロムド兵が野営していました。馬も杭や街道脇の立木につながれています。ほとんどの兵士は、防具を着たまま、自分のマントにくるまっての雑魚寝(ざこね)です。

 すると、野営地に角笛が響きました。朝を告げるおんどりの声にも似た音色です。たちまちロムド兵たちは起き上がると、装備を整え直して、自分の馬に飛び乗りました。あっという間に一万人あまりの騎兵の大軍が出現します。

 そして、彼らはいっせいに駆け出しました。街道はすぐ横を東西に走っていましたが、彼らが向かったのはそちらではありませんでした。北へ――薄明るくなってきた荒野へと、まっしぐらに走って行ったのです。

 

 水路の向こうの木陰から、夜通しロムド軍を見張っていたメイ兵の部隊は、その様子を見てあわてました。

「連中はどこに行くんだ?」

「我々の軍を攻撃するつもりなら西、ガタンの街へ行くなら東に向かうはずなのに、北へ行くぞ」

「とにかく、後を追ってみよう」

 メイ兵たちは木陰から馬を引き出すと、ロムド軍に気づかれないように距離を取って、後を追いかけ始めました。次第に明るくなっていく荒野を、ロムドの騎兵部隊は北へ北へと走っていきます。

「本当に、連中はどこに行くつもりだ?」

「こっちに砦でもあるんだろうか?」

「軍師殿は、そんなことは言っていなかったが……」

 ロムド軍の行動の意味がわからなくて、メイ兵は首をひねっています。

 すると、ロムド軍は急に速度を上げ始めました。砂埃を立てながら行く手の丘を駆け上がり、その向こうへと駆け下りていきます。

 メイ兵たちも急いで追いかけましたが、草もほとんど生えていない丘を駆け上がり、頂上に差しかかったとき、オレンジの光が右手から射しました。地平線から太陽が昇ってきたのです。まぶしさにメイ兵たちは思わず目を細めます。

 ところが、次の瞬間、彼らは逆に大きく目を見張りました。確かに丘を駆け下っていったはずのロムド軍が、眼下のどこにも見当たらなかったのです。

「ロムド軍はどこに行った!?」

「消えたぞ!」

「馬鹿な! あれだけの大軍だというのに!」

 けれども、いくら荒野を見渡しても、ロムド軍の姿はどこにも見つかりませんでした。まるで軍全体が神隠しにでも遭ったようです。

 すっかり明るくなった荒野を、朝日が照らし始めていました――。

 

 

 哨戒に行ったメイ兵たちが本隊へ戻ったとき、メイ軍はすでに隊列を整え、セイロスを先頭にして進軍を始めていました。あたりが明るくなったので、ガタンを征服するために出発したのです。

「軍師殿! 敵の軍勢が荒野の北へ動き出して姿を消しました!」

 と哨戒部隊から聞かされて、チャストは驚きました。攻めてくるメイ軍を防ごうと西へ走ったり、ガタンを守るために東へ向かったりするならば筋なのですが、何もないはずの北へ向かったというのは、あまりに意外な行動でした。しかも、身を隠すものがない荒野でこつぜんと姿を消したというのは、さらに理解ができません。

 本当は、それはポポロの魔法が夜明けと共に時間切れを迎えただけのことでした。魔法で呼び出された幻のロムド軍は、フルートに命令されていた通り、夜明け前に北へ走り始め、朝日を浴びて消えていったのです。

 けれども、チャストはその事実を知りませんでした。あの軍勢はやはり幻だったのではないか、と一瞬考えますが、前日の戦闘で大勢のメイ兵が死傷したことを思い出して、すぐにその考えを捨ててしまいました。幻が本物になる魔法など、チャストはこれまで聞いたことがなかったのです。

 さらに考え続けて、軍師はついにひとつの結論に至りました。先頭のセイロスに追いつくと、馬を寄せて言います。

「ロムド軍が荒野の中で姿をくらましました。おそらく、我々から見えないようにする魔法を、軍全体にかけたのだろうと思います」

 ふん、とセイロスは鼻を鳴らしました。

「魔法軍団の魔法か。だが、どれほど強力な魔法で身を隠したとしても、一度攻撃をしかけてくれば、すぐに姿は見えるようになってしまうのだ。恐れるほどのことではない」

「連中は北へ向かったのです。大きく迂回して、我々の後ろに出るつもりでいるのかもしれません。挟み撃ちに注意が必要です」

「その前にガタンを占領すれば良いだけのことだ」

 とセイロスはそっけなく言いました。わけのわからない敵の行動にも、動じる様子はありません。

 

 セイロスがそれ以上話に乗ってこなかったので、チャストはまた離れて考え続けました。

 こちらが次にガタンを攻撃するつもりでいることには、敵も気がついているはずです。それなのに、ロムド軍の大半が北へ去ったということは、ガタンを守るべき兵士がいなくなったというになります。ガタンは今、どのような状況になっているのだろう、と考えを巡らします。

 そうしながら、ふとチャストは自分が落ち着かない気持ちになっていることに気がつきました。これまで数え切れないほど戦闘に出撃し、形だけの将軍にも策を授けて勝利に導いてきた彼ですが、今回の戦いは今までとどうも勝手が違っているのです。

 敵にこれほど多くの魔法使いが揃っている状況は初めてでしたが、こちらにはそれを上回る闇魔法が使えるセイロスがいます。兵の数も、敵は一万あまりなのに、こちらにはまだ二万もいるのですから、戦力としてはこちらのほうが優勢です。それなのに、チャストの胸の底からは、得体の知れない不安のようなものがわき上がってきていました。今回の戦いは、敵が何を考え、どうしようとしているのかが読めません。チャストがこれまでの経験から培ってきた「当然こうなるべき」という理屈が通じないのです。

 行方がわからなくなったロムド軍は、今はどこにいるのか。これから何をしようとしているのか……。

 まさか、ポポロの魔法が切れて消えてしまっただけとは思わないので、チャストは真剣に悩んでしまいます。

 

 すると、進軍する軍勢の後方から馬に乗ったメイ兵の集団がやってきて、チャストに駆け寄りました。それは前の晩チャストがテイーズから食料を運んでくるように、と命じた部隊でしたが、食料の馬車は従えていません。兵士たちが一様に青ざめていたので、どうした? と尋ねると、部隊長が報告しました。

「我々は夜の中を駆けて未明にテイーズに到着しました。いえ、テイーズだった場所に到着した、と申し上げます。テイーズの街はすっかり焼失しておりました。家は一軒残らず焼け落ち、黒焦げになった柱が赤い熾き(おき)になって光り、白い煙が一面に充満していました。おそらく、麦畑の火が街にも飛び火して、街全体を焼き尽くしたのだと思われます。焼け跡に人は誰もおりませんでした。焼死体にも出くわさなかったので、全員が街から逃げ出したのだろうと思います」

「テイーズが焼失した!?」

 チャストはまた愕然としました。ガタン襲撃が長引くときには、一度テイーズに引き返し、態勢を整えてからまた攻めて出ることを考えていたからです。

「テイーズにいるはずの歩兵部隊はどうした!? 火事になった麦畑を抜けられなくて、テイーズに引き返した騎馬隊もいたはずだ! それはどうした!?」

「わかりません。明るくなってきてから周囲を捜索したのですが、味方を見つけることができなかったので、とにかくご報告を、と思って戻ってまいりました」

 チャストは拳を握って身震いしました。敵にしてやられたことに気づいたのです。急いでまた先頭へ走り、セイロスに馬を寄せてささやきます。

「テイーズが敵によって焼失させられました。隠れていたロムド兵が、麦畑に火を放った後、テイーズの街にも火をつけたものと思われます」

 まさかあの少年がこんな思い切った手段を選ぶとは、とチャストは怒りに震えていました。住人にとって、畑を焼かれ、家や街を焼かれることは、大変な苦痛であるはずです。火をつけた兵士や軍は住人たちから恨まれます。優しすぎるあの勇者ならば、いくらそれが有効とわかっていても、そんな残酷な方法は取らないだろう、とチャストは思い込んでいたのです。――それがテイーズの住人自らの決断で行ったことだったとは、想像することができません。

 さすがのセイロスも、この報告には顔色を変えました。やはり抑えた声でこう言います。

「我々は後方基地を一つ失ったな。テイーズにいるはずの部隊はどうした」

「まだ連絡はつきません。おそらくサガルマの街まで退いたものと思われます」

 ここでも、メイ軍の歩兵部隊がテイーズの住人に捕虜になったとは想像がつかない軍師です。

 

 セイロスは不機嫌そうに、じろりと軍師を見ました。

「では、この後はどうするつもりだ、軍師? サガルマまで退いて、そこで援軍の到着を待つのか?」

 チャストは首を振りました。

「ガタンは目の前です。予定通り攻撃して一刻も早く制圧します――。サガルマまで戻る余裕がないのです。テイーズの歩兵部隊は食料を運んでいました。それと合流できなかったので、我々の食料は底をついています。ここからサガルマまでの道のりは二日。食料なしで引き返すことはできません」

 すると、セイロスは、ふふんと鼻で笑いました。

「このうえ、サガルマまで退くなどと消極策を打ちだしたら、貴様の頭をはねるつもりだったぞ、軍師。首の皮がつながったな」

 冷ややかにそう言って、セイロスはまた軍勢の先頭に立ちました。何事もなかったかのように、大軍を率いて進んでいきます。セイロスの本質は積極的な攻撃を好む武将なのです。

 チャストは、そっと溜息をつきました。やはり、どうにも面白くない気配がしています。誰かに決められたルートに否応なしに乗せられているような、そんな感覚です。チャストの脳裏に、またフルートの面影がちらつきます。

 負けはせん……とチャストは心でつぶやきました。敵が何を企んでいたとしても、こちらは戦略と力で粉砕して、勝利を勝ち取るだけのことです。

 ガタンの街がある東の彼方では、薄い雲から抜け出した金色の朝日が、まぶしく輝き始めていました――。

素材提供素材サイト「スターダスト」へのリンク