夜半過ぎ、ロムド西部のガタンでは、ついに街を囲む水路が完成しました。街の中を流れていた水路を東側でせき止め、街の周囲に作られた水路に水が流れるようにしたのです。
街の東の入り口では、本来の水路に土嚢が山と積み上げられ、水が街中に入ってくるのを防いでいました。上流から流れてきた水は土嚢の壁にぶつかって左右に分かれ、しぶきを立てながら街壁の外側の水路へ流れていきます。
大きなかがり火の光でそれを眺めていたオリバンに、白の魔法使いが言いました。
「ただいま土嚢に堅固の魔法を施しました。例えセイロスが魔法でこれを取り除こうとしても、容易にはまいりません」
オリバンは女神官を横目で見ました。腕組みしたまま言います。
「水路は無事完成して、ガタンは外堀で守られることになった。それは良かったが、何故、魔法軍団は率先してこの作業を行わなかったのだ? おまえたちの魔法を合わせれば、こんな水路などあっという間に完成したのに、おまえたちは土嚢を積むのは西部の自衛団に任せきりでいた。何か理由があったのか?」
そう尋ねるオリバンの鎧やマントは泥に汚れていました。作業が間に合わなかったら大変だと考えて、オリバンも自衛団の人々と一緒に土嚢を運び、積み上げる作業をしたのです。
白の魔法使いは深く頭を下げました。
「殿下には大変なご心配とご苦労をおかけいたしました。ですが、我々魔法軍団全員が守備の魔法で水路を作るより、真にその場所を守ろうと想う住人が、心を合わせ力を合わせて作った水路のほうが、守りの力ははるかに上なのです。私たちは、その守りの力を魔法でつなぎ止めただけですが、おそらく、あのセイロスであっても、この水路を破壊することは容易ではないはずです。それくらい、西部の人々が自分たちの街を守ろうとする想いは強力です――。時間は少しかかりましたが、大変強固な防御ができました。セイロス軍はきっと攻撃に苦労することでしょう」
水路の岸では、オリバンよりもっと泥と汗にまみれた男たちが、音を立てて流れる水路に歓声を上げ、互いに握手を交わしていました。
「やったな!」
「ああ、間に合った!」
「水が勢いよく流れてるじゃないか! これなら敵も水路は越えられないな!?」
「越えられないとも! 絶対ガタンに侵入なんてさせるもんか!」
すると、喜んでいる人々に呼びかける者がありました。
「みんな、次は水路の外からの攻撃に備えよう! 水路を越えられないと知った敵は、必ず矢を射てくるし、壁越しに火も投げ込むかもしれないんだ――!」
それはフルートの父親でした。周囲の街や村に呼びかけて自衛団を大きくする中で、自然と自衛団のリーダーのような立場になっていたのです。
「よし、じゃあ、通りのあちこちに矢よけの屋根をかけよう!」
「火には水槽を準備しなくちゃな!」
「水槽なんてどこにある?」
「飼い葉桶を使えばいい! あとは、家の中から風呂桶を引っ張り出してこよう!」
「そりゃ名案だ」
「延焼しないように、燃えてる家を壊す斧や鋤(すき)も準備しようぜ――!」
口々に話し合い街の中へ駆け戻っていく男たちに、通りに面した家から数人の女たちが呼びかけました。
「あんたら、手が空いたら広場においでよ!」
「なんだ、おまえたち、シルに避難しなかったのか?」
と男たちが驚いて聞き返すと、女たちは胸を張りました。
「なに言ってんだい! 女がみんな避難しちまったら、あんたら男だけで食事の支度をどうするっていうのさ!? もうすぐ夜食ができるからね! そしたら広場に運ぶから、手が空いた人から食べにおいでって言ってんだよ!」
「そりゃありがたい!」
「そういや俺も腹ぺこだ」
「土嚢をあれだけ運んだんだ。腹が減るのは当然だな!」
女たちに励まされて、男たちは疲れも忘れて走って行きました。女たちも張り切って台所へ戻っていきます。
そんな人々の様子に、オリバンは、なるほど、と納得しました。
自衛団の男たちも街に残った女たちも、ガタンを守るためにとても自主的に動いています。彼らが「魔法軍団が守ってくれるだろう」と魔法使いたちをあてにしていたら、これだけの自主性や団結力は生まれないはずでした。
白の魔法使いがオリバンにまた言いました。
「私の部下たちは敵からの魔法攻撃を防ぐことに全力を尽くします。赤の部下たちは攻撃に回る予定です。敵は二万、こちらは西部の住人を含めても五百名程度。全員が持てる力を尽くして、援軍到着までガタンを守り通します」
「よろしく頼む」
とオリバンはうなずき、すぐにこう続けました。
「白の魔法使い、もう少し時間が取れるか? 頼みたいことがあるのだ」
「はい、殿下のご命令であれば」
「この水路の向こうにセシルたちと兵士たちがいる。彼らと会って話をしたいのだ」
セシルとメイの女騎士団、オリバンが率いてきたロムド正規軍の半数は、フルートの指示で街の東側で待機していました。ガタンが水路で守られ始めても、彼らはまだ街の外に留まっていたのです。
「承知しました」
と白の魔法使いが杖を振り上げたとたん、オリバンと彼女は水路を越えて街の外に立っていました。月明かりがない暗闇ですが、街の入り口で焚くかがり火の光が、そこまで届いていました。荒野の中に石畳の街道が延びています。街道はガタンの街の中を通っているのですが、街の外に水路を巡らせるために、街の入り口の橋は破壊してありました。
「セシル様たちはあちらにおいでです」
と魔法使いが示した方角に、いくつかの灯りが見えていました。近づいていくと、荒野の中にかがり火を焚き天幕を張って、女騎士団とロムド兵が野営の最中でした。見張りの兵士がオリバンたちを認めてセシルを呼びに行きます。
「オリバン! 白の魔法使い!」
セシルはすぐに駆けつけてきました。すぐ後ろには、大柄な女騎士のタニラも従っています。
オリバンは二日ぶりで会った婚約者をしっかりと抱きしめました。セシルもオリバンを抱きしめ返します。いぶし銀の鎧を着た皇太子と白い鎧の美姫を、かがり火が照らします。
けれども、甘い時間を楽しむ余裕はありませんでした。セシルがオリバンを見上げて言います。
「ガタンの周囲の水路が完成した報告は受けていた。間に合って本当によかった。街の西側の様子はどうなっているんだ?」
「セイロスたちは、ポポロが魔法で出した軍勢に追われて、大きく西に後退した。だが、明るくなるのと同時にまた出撃してくるだろう。連中の狙いはこのガタンだ。守りが堅い分だけ、攻撃も激しくなる。あなたたちも街の中に入ったほうがいい」
とオリバンが言ったので、セシルはびっくりして相手を見つめ直しました。
「私たちに街に逃げ込めと言っているのか、オリバン?」
「ガタンは敵に包囲される。街壁が切れている入り口は、なおのこと攻撃を受けやすくなるだろう。この場所は危険だ」
心配するオリバンに、セシルはますます驚いた顔になり、やがて首を振りました。
「それはできない。私たちはフルートからここを死守するように言われたのだから」
「だが、入り口を守るのならば、街の中からでもできることだ――!」
頑固に言い張るオリバンを、セシルはそっと押し返しました。美しい顔に毅然とした表情を浮かべて言います。
「オリバン、誤解をしないでほしい。こう見えても、私はメイで女騎士団を率いて戦ってきた軍人だ。王宮で守られるだけの、たおやかな王女などではない。自分がするべきことはちゃんとわきまえているし、フルートが何故この場所を私たちに任せたのかもわかっている。我々は、ガタンの裏口の番人なのだ。裏口に近づこうとする輩(やから)は、ひとり残らず追い返してやる。あなたたちが正面玄関での戦いに集中できるようにな。心配はいらない」
「セシル……」
婚約者から拒絶されてオリバンが絶句していると、セシルの後ろからタニラが進み出てきました。
「ご安心ください、殿下。隊長には我々女騎士団がついております。我々は軍師のチャスト殿のことはよく存じているし、一緒に出動して戦った経験もあるのですから、この場所を守るのには最適の配置であるはずです」
その後ろには、いつの間にか他の女騎士たちも集まっていました。皆、セシルたちの声を聞きつけて起き出してきたのです。セシルやタニラの背後に整列して言います。
「お任せを、オリバン殿下。隊長と東の入り口は、私たちが死守いたします」
「おそれながら、殿下、我々も女騎士団と協力して、セシル様と街の入り口を全力で守る覚悟でおります」
と口を挟んできたのは、ロムド兵たちでした。やはり話を聞きつけて起き出してきて、女騎士たちに負けまいと精一杯胸を張って並んでいます。
オリバンもとうとう苦笑いをしました。
「皆の実力を疑ったわけではない。ただ、街の中にいたほうが有効に戦えるのではないかと思ったのだ。だが、この戦いの指揮官は私ではなくフルートだった。彼の作戦に疑問を呈するつもりはない。悪かったな、諸君」
自分の非を潔く認められるのは、この皇太子の長所です。女騎士団やロムド兵たちは、いっせいに満足した顔になりました。
「フルートたちが話していた通りだな。あなたは本当に心配性だ」
とセシルから優しく言われて、オリバンが赤面します――。
白の魔法使いは、そんなやりとりを少し離れた場所から眺めて、静かにほほえんでいました。
ガタンの街の中では西部の住人とロムド軍と魔法軍団が一致団結していますが、この東の入り口でも、メイの女騎士団とロムド軍とが同じ目的のために心を一つにしているのです。ばらばらな立場のはずの人々を、つなぎ合わせて協力に向かわせているのは、フルートたち勇者の一行と、オリバンとセシルの二人でした。彼らが信頼し合い、精一杯協力し合おうとするので、他の者たちもそれに従ってくるのです。
「これは彼らには真似できないことだ。セイロスとあの軍師に率いられた軍勢には、絶対に……」
女神官は、まだ星が光る未明の空に向かって、そっとそうつぶやきました。