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第22巻「二人の軍師の戦い」

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80.新月

 日没と共に戦場から退却したセイロスとメイ軍は、後を追ってきたロムド軍を振り切ると、街道からあまり遠くない荒野の中で停止しました。夜の闇があたりを閉ざしたので、それ以上駆け続けることができなくなったのです。

 兵士たちは追ってくる敵の足音が聞こえないことを確認してから、馬の背を下りました。極度の緊張と疲労から、崩れるように座り込んでしまいます。口を開く者はほとんどいません。敗北の重い空気が、軍全体をおおっています――。

 

 セイロスは自分の馬を下りるとチャストを呼びつけました。現れた小男へ冷ややかに言います。

「見事にやられたな、軍師。連中は大軍で待ち構えていたぞ」

 チャストは赤い長衣のフードをまぶかにかぶって、うつむきがちに立っていました。低い声で答えます。

「常識では考えられない迎撃態勢です。我々が侵入する前から、西部に大軍を配置していたとしか思えません」

「そんな馬鹿な! 俺たちが到着する前からそれを知ることなんて、できるはずがないじゃないか!」

 と横にいたギーがわめきましたが、セイロスは苦々しく言いました。

「ロムドの一番占者が我々について以前から予言していた、と言うのか。だが、それではどれほど策を練っても無駄ということだ。おまえがいても、ロムドは破れないことになる」

 すると、軍師はフードの下からにらむようにセイロスを見上げました。兵士たちが掲げるかがり火に、瞳がぎらりと光ります。

「どれほどすぐれた占者であっても、未来のすべてを言い当てることはできません。さらに、占いの結果は時の流れに沿って変化していくもの。攻撃に備えて軍を配備しておくことはできても、確実に勝てる方法まで占うことはできないのです――。今夜はこのままこの場所に駐屯します。敵が偵察にきて我々を発見するかもしれませんが、今宵は新月なので、夜の間の襲撃はないでしょう。夜明けが近づいてきたら、こちらから先に動き出します。一部の兵を割いてロムド軍へ向かわせ、敵を惹きつけている間に、ガタンを攻め落とします」

「その作戦を敵の占者に読まれたときにはどうする」

 とセイロスは聞き返しました。予想外の大軍が出現したのはユギルの占いのせいだと思っているので、軍師の策にも懐疑的になっています。

 チャストはいっそう強い口調になりました。

「いかにロムドの一番占者でも、すべての戦況、すべての戦術は読めません。仮にそれが可能だとしたら、昨年、ロムドの首都がサータマンに襲撃された戦いは起きなかったはずです。占いは万能ではないし、占いが戦略を越えることもありません。敵に攻撃される前にガタンを落として我々の砦にし、援軍の到着を待つ。それが明日の作戦です」

「よかろう。もう一度だけ、おまえの策を信用してやる」

 とセイロスは言い、マントをひるがえして歩き出しました。後を追ってきたギーに言います。

「全軍に、夜明け前に出撃すると伝えろ。軍師の指示に従うように、とな」

「あ、ああ……」

 ギーはまだ半信半疑でしたが、セイロスの命令なので、言われたとおり兵士たちのほうへ走って行きました。

 

 セイロスが去った後も、チャストは同じ場所に立ったまま、じっと足元をにらみつけていました。

 もう一度だけ信頼する、とセイロスは言いましたが、それはつまり、今度失敗すれば次はもうないぞ、ということです。ひょっとしたら、失敗したらおまえの命はないぞ、という意味も込めていたのかもしれませんが、チャストはそのことは特に恐ろしいと思っていませんでした。「軍師が戦略に敗れれば命を失ってもやむなし」と長年言い続けてきたチャストです。自分の命を賭けるからこそ、本気で戦況を見極め、真剣に作戦を立てることができるのですから、失敗したらおまえを殺す、とセイロスが言ったとしても、当然のことを言われたのに過ぎません。

 ただ、セイロスやギーやメイ兵たちが自分に疑いのまなざしを向けてくることだけは、どうにも我慢ができませんでした。ロムド軍に大敗したために、彼の信頼は大きく損なわれたのです。名軍師と呼ばれ、中央大陸に敵なしとまで言われた自分が……! と心の中で歯ぎしりします。

 チャストは若い頃から痩せていて背が低く、見るからに貧相な男でした。髪も早くから抜け始めて、三十代半ばには完全な禿げ頭になってしまいました。人を惹きつける風貌には恵まれなかったのですが、それを埋め合わせるように、戦闘を正確に分析をして確実に勝利に導く、優れた頭脳が与えられました。地方の一兵卒から軍人人生をスタートした彼は、その才能のおかげでどんどん出世して、最終的には国王軍の軍師という最高の地位にまで上り詰めました。彼が総司令官になれなかったのは、メイ軍の司令官が国王の血縁者で独占されていたからです。

 軍師という職業は、チャストにとっては天職であり、自分自身の存在を肯定するたったひとつのものでした。チャストは、妻も家族も持たずに、ただひたすら軍師としての人生を歩み続けてきたのです。

 その彼に、初めて手痛い敗北をもたらしたのは、金の石の勇者のフルートとロムド国でした。今また同じ敵に二度目の大敗を喫(きっ)して、チャストの自尊心は大きく傷つけられていました。激しい怒りと憎悪に、痩せた体が震えます。

「必ず倒す……必ず、貴様たちを倒してみせる。私の命を賭けても、貴様たちを破ってみせるぞ……」

 低くつぶやいたことばが、呪詛(じゅそ)のように闇に紛れていきます。

 

 チャストは震える拳を握って怒りを隠しながら、メイ軍の被害の状況を確認していきました。

 二万あまりいた軍勢は、戦闘の中で三百名ほどを失っていました。激戦だった割には少ない被害でしたが、兵が受けた精神的な打撃は大きく、さらに空腹が追い打ちをかけていました。セイロスの部隊に同行していた食料の馬車が、戦闘中に破壊されてしまったからです。

 幸い、たった一台残った馬車に行軍用の携帯食があったので、チャストは全兵士にそれを配って夕食にさせました。ただ、翌日の分まではなかったので、被害が少なかった部隊の兵士たちを呼び寄せて命じました。

「テイーズには我々の本隊が駐屯している。麦畑の火事もいいかげんおさまったはずだ。食料を積んだ馬車を三十台、大急ぎでここへ運んくるんだ。残りの本隊には、夜明けと同時に出撃するよう伝えろ。全軍でガタンを襲撃する」

 このときになってもまだ、チャストは自分たちの本隊が馬車ごと捕虜になったことを知らずにいたのです。部隊も、それが実行不可能な命令だとは知らないまま、西へ出動していきます。

 さらにチャストはまた別の部隊を呼び寄せ、敵の動きを見張るように言いつけました。

「絶対に攻撃は仕掛けるな。敵も明るくなってきたら我々を探し始めるから、動きが見えたら、ただちに知らせに来い」

「了解です、軍師殿」

 と哨戒部隊は東へ走ります。

 残りの兵士たちは、簡素な食事を口にした後、地面に転がって眠り始めました。日中、地割れに足留めされて渇きに苦しめられ、続けてロムド軍との激戦に突入したので、誰もが泥のように疲れ切っていたのです。戦闘で負傷した兵士のうめき声が、時折夜風に乗って聞こえてきます。

「私は負けんぞ、金の石の勇者……」

 とチャストはまたつぶやきました。ロムド軍が駐屯している東をにらみつけます。

 けれども、その時フルートはもう仲間たちとメイへ出発していました。ちょうど、空の上からメイ軍の灯りを見つけ、赤の魔法使いにもらった食料で賑やかに食事を始めていたところだったのです。

 両軍が相手の様子を互いに知らぬまま、新月の夜はゆっくりと更けていきました――。

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